繊月

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 それから朝食の仕込みをして毛布に包まり、朝になるのを待つ。なかなか眠れなくて何度も体の向きを変えて、うとうとしただけで朝になっていた。     朝になってすぐに部屋の隅で裏が印刷されていない広告で作ったメモ用紙に書き置きをして、スマホを重し代わりに置き、その上に拓馬さんからもらったエンゲージリングを載せる。下手に持ち出して何か言われるのも嫌だった。 ―― 私は、拓馬さんと結婚出来ません。ここにももう戻る気はありません。いままでお世話になりました 莉乃――    もうここに何の未練もなかった。  手持ちが何もないのは不安ではあるが、このままここにいる意味はない。仕事ももう退職するばかりの状態だったし、今日の送別会でお別れ出来たことにさせてもらう。    いつも通りを心がけて仕事に行くような白いカットソーと黒のストレートパンツにネイビーブルーのカーディガンを羽織ると朝食の準備をして、自分用のおにぎりも作った。ご飯が減りすぎているとおかしいから、いつも通りにひとつだけ。具材なんてないから塩むすびだ。  テーブルに父と侑子さんの朝食を並べると寝室に繋がる内線をかけて完成したことを知らせる。呼び出し音だけで目覚まし代わりになるから出なくても気にしない。仕事に持って行っていた水筒に水道水を入れてキッチンを出た。  玄関に用意しておいたトートバッグにおにぎりと水筒を入れたら昨日履いていたパンプスを履こうとして、もう一度考え、シューズボックスを開けた。普段庭掃除に使っていたスニーカーに足を入れ、実家を後にする。 つい振り返って家を目に焼き付けていた。確かに母と私の思い出がある家だが、もう自分の居場所ではとっくになくなっている。  このままずっと我慢するくらいなら、全てを捨てて歩き出したっていいと思った。
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