新月

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新月

 私は何を見せられているんだろう。  婚約者であるはずの吉村拓馬さんと結婚する事を前提に同居を始めたばかりのマンション。その寝室のしかも2人で選んだベッドの上で絡み合う男女。  一瞬、そんなはずないのに私が彼に抱かれている途中で、幽体離脱しているのかと錯覚しちゃった。  でもそうじゃないのは情事の合間に交わされるふたりの会話にならない会話で分かり、現実を突きつけてくる。 「…あ、あんっ。拓馬っ。」 「美晴っ。い、いっ。」  ふたりとも行為に夢中で、寝室のドアの影に立っている私になんか全く気付いていない。  男は間違いなく婚約者だが、私の名前は美晴じゃない。そして目の前の痴態を晒す女が誰かを私は知っている。  私が大切なもの、大切にしたいと思っているものを全て私から常に奪っていく存在。誕生日が半年も違わない異母妹の美晴だ。  私、坂本莉乃は新幹線が停まる地方都市にあるそこそこ大きな坂本建設の社長である父と生前市議会議員を務めていた祖父の娘である母の間に生まれた。いわゆるお互いの利害が一致したための縁組だったようだ。  幼い頃は父のことを仕事を理由にあまり帰って来ないけれど家にいる時は優しい人だと思っていたが、私が小学校に上がった頃、祖父が亡くなると態度が一変して全く家に寄り付かなくなった。おそらく祖父の顔色を伺う必要がなくなったからだろう。  母はいい意味でも悪い意味でもお嬢様で、そんな父に何か言おうとする事もなくにこにことして家で過ごしていたから、私も父がいないのは仕事が忙しいのだと単純に思っていた。
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