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昔話 かつての勇者と大魔王
「新たな勇者が見つかっただと?」
「はい、大魔王様。辺境の名もなき村で、大賢者アスクレピオスが一人の子供を見いだしたと……」
「クックック……それはなかなかに興味深いではないか。俺も先代から大魔王の座を受け継いでから日が浅い。その勇者とやらが、いまだ現れぬ俺のライバルになってくれればいいのだがな。ファーーーーッハッハッハ!」
それは、まだエクスが大魔王としてモンスターの頂点に君臨していた頃の話。
新たな勇者あらわるという報告を受けたエクスは、怯えるどころか喜びすら露わにして余裕の高笑いを上げていた。
当時の戦況は圧倒的にモンスター優勢。
歴代最強の大魔王エクスの前に、人類は為す術無く滅びを待つばかりだった。しかし――。
「よし……ならば一度、その勇者とやらの顔を見ておくとするか。イビルアイの用意はできているか?」
「は! すでにイビルアイは新たな勇者を確認しております!」
「よかろう! では映像をこちらに回せ! その勇者とやらがどんな奴か、この俺によく見えるようになァ!」
深い闇に紫色の炎が灯る魔王城の広間に、エクスの邪悪な指示が響く。
そしてそれから少し置いて、闇の中に一人の幼い少女の姿が映し出される。
「この者が勇者のようです、大魔王様」
「ほう……?」
その少女こそ、当時まだ十歳にもなっていなかった幼き日のフィオレシア・ソルレオン。
しかしすでに少女の燃えるような赤い瞳には、一切を寄せ付けない孤高の光と、見た者全てをその視線だけで射殺さんばかりの強大な力が宿っている。
生まれて初めて見る勇者――その例えようのない立ち姿に、エクスは自分でも無自覚のまま、じっとその少女の横顔を見つめ続けていた。
「イーッヒッヒ! 勇者というからどんな奴かと思えば、ただの小娘ではないか!」
「まったく、我々も舐められたものです……いかがでしょう大魔王様。この未熟な勇者の娘……魔軍四天王において最も美しく残酷と謳われたこの鮮血のマチュアーテが、今すぐ始末してさしあげても……」
「引っ込んでろマチュアーテ! てめえのやり方はまどろっこしくていけねぇ! おうおうエクスよぉ、勇者はこの殲滅のドラガにやらせろ! あのしみったれた村もろとも、勇者のガキを血祭りに上げてやらぁッ!」
「――ならぬッッ!」
「!?」
このような幼く未熟な勇者など、恐るるに足らず。
少女の姿を見た魔の重鎮たちから、次々と嘲笑が上がる。
だがそのような空気を一喝したのは、他ならぬ大魔王エクスだった。
「このような幼い子供を相手に、始末だの血祭りだのアウトに決まっておろうが!? なにを考えておるのだ貴様らはッ!?」
「はあ? しかし大魔王様、この娘は勇者です。放置すれば、将来我々モンスターの大きな脅威になるやも……」
「そ、それは……まあ、そうだな。うむ……もちろん放置などはせぬぞ! えーっと……まずはこの娘の住む村の周辺に、ちびスライムと沼ネズミ、ついでにお散歩ナメクジを配置するのだ! フハハハハ……これであの娘も終わりであろうなァッ!?」
「おもいっきり最弱モンスターですが……本当にそのようなメンバーでよろしいのですか? なんなら、ジェノサイドドラゴンとかを向かわせれば一撃かと……」
「あのような小娘一人に、我が軍の精鋭を差し向ける必要などない! それに、ジェノサイドドラゴンは先日子供ができたと嬉しそうに話しておったからな! なにかあったら大変だ!」
「そ、そうですか。かしこまりました……それでは、そのように手配いたします!」
「頼んだぞ! クックック……勇者め、これで貴様もおしまいよ……! ファーッハッハッハ!」
果たして。エクスの指示により向かった雑魚モンスターは、そのことごとくが当時まだ未熟だったフィオの良い経験値となった。
挙げ句の果てには『仲間になりたそうにこちらを見ている!』などと言い、しれっと勇者パーティーに加入する始末である。さらには――。
「むう……勇者め、雪山地帯に足を踏み入れたか! しぶとい奴だ!」
「ご安心下さい大魔王様……あの山は我が配下が絶対零度の結界を張っています。いかに勇者が強かろうと、生物である以上、限界を超えた寒さには太刀打ちできぬでしょう」
「ぬわーーーー!? 貴様の言うとおりだ! 猛烈な吹雪で勇者の奴がガタガタと震え、動けなくなっているではないか!? このままでは……!」
「左様! ついにあの勇者の命運もここまで! 我々はここで、勇者の最後を見ているだけで良いのです!」
「ぬうう……たしか、魔王城の倉庫に人間どもから奪い取った〝伝説の鎧〟があったな……聞けば、あの鎧はどのような熱さも寒さも完璧に防ぐらしいが……よし!」
「大魔王様!? いったいどちらに!?」
「急用だ! すぐ戻る!」
「は、はあ……」
数分後。
『勇者フィオレシアは、伝説の鎧を手に入れた!』
こんなのとか。
「魔王城に続く橋が壊されてる……! これじゃあ、どうやってこの谷を越えればいいのか……あれ? 壊れた橋に張り紙が……」
『遅かったな勇者よ! この橋は我がしもべたちが一足先に破壊しておいたのだ! だがそのままでは貴様が困るであろうから、すぐ隣にあるダンジョンに自由に空を飛べるペガサスを一頭用意しておいてやったぞ! ――大魔王より――』
「大魔王……」
こんなのとか。
とにかく二人は、このような謎の茶番を数年にわたって繰り返した後、ついにその時を迎えることになる。
「君が大魔王エクスだね!? ようやくここまで辿り着いたよ!」
「クックック……! よく来たな勇者よ。まさか我が精鋭たちを一人も殺さず、生かしたまま制圧するとはな……敵ながら天晴れなやつ!」
迎えた決戦の時。
単身魔王城へと飛び込んだ勇者フィオレシアは、恐るべき力でモンスターの軍勢をなぎ倒し、ついに大魔王エクスと対峙していた。だが――。
「っ……と……」
「んんんん……? どうしたのだ勇者よ? まさか、この俺の圧倒的大魔王パワーに怖じ気づいたのではあるまいなァ!?」
「やっと、会えた……っ! ずっと……ずっと君に会いたかったんだ……っ!」
「なっ!?」
だがしかし。
ついに対峙した勇者から大魔王に向けられたのは、剣ではなく万感の想いが込められた抱擁だった。
「な、なにをしているのだ貴様は!? 俺は大魔王だぞ!? 戦うのではないのかッ!?」
「君と戦うなんて……そんなこと、もう私にはできない……! ずっと感じてたんだ……旅の途中、君が何度も私を助けてくれたことも、私のことを見守ってくれていたことも……!」
「な、なん……だと……!?」
突然のことに驚くエクスはしかし、自身に必死にしがみついて笑みを浮かべ、大粒の涙を流す少女の姿に言葉を失った。
フィオはとっくに気付いていたのだ。
勇者として救世の旅を押しつけられた自分を、大魔王エクスがずっと見守ってくれていたことを。
孤独で辛い旅路の間も、ずっとそばで支えてくれていたことを。
だがエクスもまた、この頃にはすでにただの哀れみや同情以上の感情をフィオに抱いていた。
初めは単に幼い子供に危害を加えるなどもっての他というだけだった動機は、より大きく暖かな親愛の情に昇華されていたのだ。
どうしてこうなったのかではない。
この二人は、なるべくしてこうなったのだ。
「旅の間、ずっと君に会うことだけを考えてた……! そしてもし君に会えたら、絶対に言わなきゃって思ってたことがあって……!」
「お、俺に? なにを……!?」
「君のことが大好きだっ! 好きで好きで好きでたまらないっ! これからは、死ぬまでずっと君と一緒にいる! もう絶対に離さないからっ!」
「ぬわーーーー!?」
大魔王エクスと、勇者フィオレシア。
魔王城で行われた二人の最終決戦は、表向きには天を砕き、大地を割り、海を焼き尽くす壮絶なものだったと言われている。
平和になった現在。
その戦いの真実を知る者は少ない――。
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