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第一幕 落、性分
「『お控えなすって!』」
と、極楽やの軒下で叫ぶ初老の男があった。
玄関横の縁側でえんどう豆の筋を取っていた男二人の内、より体格が大きく、燃えるような真っ赤な髪をして、一本だけの角を持つ大男が「あ、『お控えなすって』だ!」と叫び、四つ足で走って玄関に向かった。
「お控えなすった! おれさま、お控えなすったぞ! じゃあ、どうぞ!」
大男は玄関の前にたどり着くと、右手を前に左手を腰にあて嬉しそうに笑った。それはもう、初めて覚えた言葉を使いたくて仕方ない子どもの反応、そのものだった。そのため軒下にいた男は虚をつかれしばし黙ったが、ゆっくりと口を開いた。
「……早速のお控え、誠にありがとうござんす。向かいましたるお兄いさんには初のお目見えと存じます……」
「ウン! 初めまして!」
軒下の男は大男をじっと見つめたまま、少し黙ったあと、小声で「……ウン、……初めましてね……」と返した。それは最早、ちいさな子どもを相手にした反応そのものだったので、まだ縁側でえんどう豆の筋を取っていた男は吹き出した。とはいえ、口上は始めたからには述べきらなくてはならない。
なので、男は肩を震わせている旧友には目もくれず、また口を開く。
「……手前、生国と発しますは、江戸から京への地獄巡りの一本道、誰が言ったか落街道、その三の宿場で御座います。稼業、縁を持ちまして、三の宿場に住まいを構え、轟組三代目を継承いたしました。姓は轟、名は権兵衛。以後、万事万端お願いなんして、ざっくばらんにお頼み申します」
と、この権兵衛の口上を聞き終えた大男は満面の笑みで、こう返した。
「そっかぁ! よろしくなぁ! 俺、『赤丸』!」
権兵衛がガクリと頭を下げると、縁側にいた男――新がようやく立ち上がり、玄関までやってきた。新を見て、大男は飼い犬のように嬉しそうに新を見た。
「親分! おれさま、お控えなすったぞ! できてた!?」
新は大男の赤い髪をモフモフと撫でると、喉を震わせて笑った。
「あぁ、もういい。俺が笑い死ぬ」
「死ぬのか、親分! どうして! 死ぬな! 笑え!」
「ハーッハッハッハッ……!」
赤丸、と呼ばれた男が怯えた顔をすると、いよいよ新は高笑いをした。そしてその笑いが落ち着いてようやく、新は権兵衛を見た。その顔は旧友を見るものだ。
「いや、すまん。久しぶりだな、権兵衛。轟組頭自ら、わざわざこんな場末まで何の用だ」
権兵衛はようやく構えをとくと、新を見上げる。権兵衛の顔にも旧友をみる笑顔があった。
「てめェんとこに新しいのが入ったっていうから見に来たのさ、新さん。こっちの若い奴らみんな断ってたっていうのに、てめェ、なんだってこんな……」
「こんな? おれさま、こんな、なに?」
無邪気に赤丸がそう尋ねると、権兵衛は言葉をつまらせた。助けを求めるように新を見たが、新はすでに目線をそらし、右手を口元におさえ、肩を震わせている。権兵衛は目尻を掻いてから、ゆっくりと口を開いた。
「……ええと、お前さん、赤丸だっけ?」
「そう、赤丸! 親分がつけてくれたんだ。いいだろう? 赤くって丸くって、お日様みたいだろ?」
「そ、あ、……そうさね……よかったねえ」
「ウン! あのな、あとおなつさんがな、おれさまにこの服も作ってくれたんだぞ。いいだろ? 甚平っていうんだ! きれいだろ? なあ! 見て!」
「へえ……そりゃいいねえ……」
「似合うよな?」
「え、ああ、そう、えと、似合うぞぉ……」
「だろ? えへへへ」
「ふふふふ…………、おい、新さん」
祖父と初孫のような会話を繰り広げる二人に、新は右手で口元を押さえて震えていた。が、権兵衛に声をかけられると、たまらずというように吹き出した。ゲラゲラと笑う新を見て、権兵衛はため息を付いた。
「てめェ、いつからそんな笑上戸になった?」
「ハハハッ……いや、フフフ、俺ァこういうやつ、駄目みたいだな、どうも、ハッハッハッ……」
「……ちょいと上がらせてくれ。他にも話はあんだ」
権兵衛の言葉に新は笑いをやめ、普段どおりの冷たい瞳と冷めた微笑みを浮かべる。
「赤丸、おなつさんに客が来たって伝えてくれ」
「あいわかった! 親分!」
素直に大男が極楽やに入り、「おなつさぁん!」と叫びながら去っていく足音を背に、新は極楽やの戸を閉めた。軒下に二人、冷めた目をした男が残る。
「……俺の仁義は聞かなくていいのか、権兵衛」
「それはこれからの話のあとでいい。俺ァてめェのことだって子どもみたいに思ってる。縁や義理で命かけてもらいたくはねェからな」
「あんためのためなら、俺の命は捨ててやるよ」
権兵衛は目を細めて、新を見上げた。
「……あの赤丸ってやつ、どうしたんだ?」
「一月前ぐらいか、雷雨の夜に拾った。親に鬼だと呼ばれていたんだと、……髪が赤くて角があって身体がデカくて、ただそんだけで鬼だと呼ばれて、自分でも鬼だと思っている。……力加減もできねえし物を頼んでもほとんど上手くできねえ、学もねえ、策もねえ、……先もねえ、馬鹿」
新は喉の奥で笑った。
「あんまりしょうもねえから子分にしてやると言ったら、あんなに笑うんで、……マァ、じゃあってことになった」
「なんだ、それ。今までてめェの下につきたいって媚びてた悪童共よりひでえじゃねえか」
「そうだな、本当にそうだ」
権兵衛の呆れ果てた顔に新は目を伏せ、戸を開けた。
「上がりな。たまたま客はいねえし」
「いつもいねえだろ、こんな地獄宿」
「そう言うな、おなつさんが怒る」
といったところで噂をすれば影。おなつがパタパタと廊下を走ってきて、ニッコリと笑った。
「聞こえてるのよ、轟の旦那! そりゃそっちに比べれば雲泥でしょうけど、うちだってね、一昨日は客がいたんだからね!」
「そうだぜ、権兵衛。そいつから有り金全部とってやったから、金のかからねえ極楽やは一月はもつ」
「そうよ! だから新さんにお手当渡せるって言ってるのに!」
「女子どもから金なんかとれるか。ほら、早く部屋用意してくれよ、おなつさん」
「もう! 馬鹿!」
キャンキャンと揃って吠える犬のような二人を見て、権兵衛が笑う。そして、そんな彼らを見て、赤丸も嬉しそうに笑っていた。
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