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「……ほら、もう帰れよ」
「澄生、あのね、」
「今、部屋に戻れば登校まで少しは寝れるから」
「……」
亜緒がゆっくりと顔を上げた。目が合えば、苦しくなる。
溢れてしまいそう、触れてしまいそう、そんな自分の欲望を押し込める。
「ほんと、帰って寝とけよ。……疲れやすいんだから」
もう一度促すと、わかった、と亜緒はのろのろと立ち上がり、座ったままの俺を見下ろした。
「……澄生、ありがとね」
見上げれば、透明で濁りのない笑顔。心地よい穏やかな声。
この”ありがとね”は間違いなく”さよなら”だ。
「……テスト頑張れよ」
俺こそ、ありがとうなのに。うまく言葉が出てこない。
いままで亜緒と一緒にいられた。高校生なんていう大人の一歩手前の時期まで、疑うことなく俺をそばにいさせてくれた。
いろんなやつに告られて、いろんなことに誘われて。普通そっちの方へ流れて離れていきそうなもんなのに、なぜかいつも俺のところに戻ってきた。
『澄生がいないとつまんない』『澄生と一緒がいい』『澄生の隣が落ち着く』
それがどれだけ、俺にとって特別だったか。
ふにゃりと笑う亜緒を抱きしめて、その熱を俺の中に閉じ込められたらどんなによかったか。
跳ねあがる心臓の鼓動を、俺に与えられた幼なじみというフィルターで押さえつけて。そっけない表情を貼り付けるのは難しいことじゃない。それで亜緒に一番近いポジションを確保できるなら、いくらだって、死ぬまでだって、そうし続けられる。
この世で唯一の愛しい人に、こんなにも早く出会えたのだから。
……出会ってしまったから。
―――……奇跡。
その煌めく眩しさが苦しいほどの奇跡が、ここで解かれるだけのことだ。
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