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部屋に戻って、亜緒の前にカップをおく。亜緒はそれを楽しそうに覗きこんだ。
「おお!相変わらず不透明度1000%だ」
「こんなん飲んで、具合悪くなんない?」
「うん、大丈夫」
もんでもないように言っているけど、これで気持ち悪くなって卒業テストを受けられなかったりしたら最悪だ。最悪どころじゃない。亜緒の人生が変わる、この濁り切っている液体のせいで。……俺のせいで。
それに、卒業テストが終わったら……。
「やっぱ、やめとけよ。テスト終わったらその足で引っ越すんだろ…、仕事も、あるんだろ……」
卒業テストが終わったら亜緒はここを出ていく。大学には進学せず、本格的に芸能界で生きていくために。亜緒の居場所はこんな地方都市じゃないし、ましてや俺の隣なんていうせせこましい場所でもない。
この夜が明けて、亜緒が俺の部屋からいなくなれば、もう終わる。
亜緒はいなくなる。俺の毎日から。俺たちの世界から。残るのは……。
わかっているから、俺は亜緒を追いかけたりしない。縛ったりもしない。
……思い出を植え付けるようなことも、したくない。
亜緒の前に置いたカップを取り上げようとすると、それより早く亜緒の手がそのカップを掴んだ。
「大丈夫!」
「大丈夫じゃねーからいってんだろ」
「いいの、平気だから。引っ越しの準備はもう済んでるし、寝ないのも慣れてるから」
「でも、」
「お願い…、澄生と一緒に飲みたいの」
「……」
「吐きそうになりながら、おえってなりながら……、最後、だから」
そう頼りなげに小さく笑う。
亜緒はコーヒーカップを両手で包むように持って、ふぅふぅと息を吹きかけた。
最後…、俺よりきっと亜緒のほうがちゃんとわかっている。
亜緒の湯気に煙る下向いた長い睫毛が、微かに震えているのを俺は見ないふりをした。
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