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「……さっきのね、アインシュタインってね」
静かな亜緒の声が隣から聞こえた。
顔を向けると、濃い睫毛に縁どられた瞳がまっすぐに俺を見ている。
すべてを見透かすように、吸い込むような引力で見つめてくる。
こんなに近くにいるのに。亜緒の瞳の中に俺がいるのに。
「ほら、私がいまアシスタントで出てるクイズ番組あるでしょ?あれで、この間アインシュタインのことやったの。それで、その時にね!」
言葉を切った亜緒が目がふっと曇らせ、期待を込めた瞳で首を傾げる。
「……見てくれてたりする?」
「見てない」
「あ、だよね!うん、いいの別に!澄生がそういうの見ないって知ってるし」
あははと不自然な笑みを貼り付けて、うんうんと首を縦に振る。
――…… なんで、そんなふうに笑うんだよ。
亜緒の揺れる夜底のような深い漆黒の瞳の奥を、俺は絶対に覗かない。
今の亜緒といると吸うべき酸素がすべて奪われて、脳みそが死ぬ直前みたいに動かなくなる。前はそんなことなかった。俺たちは同じように息をして、同じものを見て、感じて……。
聞きなれた、やけに明るい亜緒の声が鼓膜を揺らす。
「そ、それでね!アインシュタインが言ったらしい言葉に“常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである”っていうのがあるんだって」
「うん」
「それ聞いたときにね……」
記憶の中の何かをなぞるようにゆっくり瞬きをする亜緒に、攫われたような感覚になる。
「―……澄生のことが浮かんだの」
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