四隅のはなし

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四隅のはなし

 部屋の四隅には、幽霊が立っている、という話を聞いたことがある。 「あ。そういえば、透明なお(ふだ)とかってないんですか?」  当たり前のように僕の部屋でチキンラーメンを啜っている隣人に、『なんか面白い話ねーのか』と理不尽すぎる話題恐喝を受けたので口にしたセリフだった。 「は? なにそれ。ビニールにマジックで書けってか?」 「いやそういうわけじゃなくて……なんていうかこうー、貼ったらスッと消えるみたいな……」 「いやあるわけねーだろ和紙だぞ消えるかよ魔法じゃねーんだから」  正直僕からしたら、『幽霊を退治(または寄せ付けない)お札』なんて魔法のアイテムとなんら変わりないように思える。 「そら寺の息子のTさんあたりなら『破ーッ!』の一声でスパーっと除霊できるかもしんねーけど、普通の奴はそういうのできねーでしょうが。これ、幽霊を追い払う力だから、ってなんもない空間を指差されても困るっしょ。だからオレがわざわざ和紙に墨で書いてさしあげてんのよお分かりか」 「分かってますけど、でもお札って正直あんまり、良い印象ないじゃ――待って! 俺の発言じゃないです! うちのオーナーがそう言ってただけです!」 「……オーナーってあのどう見てもチャラいおっさんか?」  まあ、うん、そりゃチャラいだろう。僕の勤め先は所謂ホストクラブという場所で、その経営者も大体は元ホストの妙齢の男が多い。そういう風に決まってんのか? というくらい、顔見知りのホスト部オーナーは大体チャラい元ホストだ。 「いや別に怒んねーよそこは事実だろ……ホテル入っていきなり札貼ってあったらオレだって『うける、ここ幽霊出んのかよ(笑)』って思うわ」 「思うんだ……」 「心霊スポットの花形アイテムだろ、扉に貼ってある札。で、チャラオーナーなんか困ってんの?」 「はぁ。どうもその、店の四隅が……っつーか、ホールのトイレ横の角がどうも気になる感じらしくて」 「はぁー、つまり、出るって?」 「と、言っています」  実のところ、ウチのホールは心霊目撃談が結構ある。というかたまに顔見知りになる夜の世界のお姉さんや、送迎のおにーさんの話を聞いているとどうも、水商売と心霊話は切っても切り離せないらしい。  営業時間は深夜、日が落ちてから。大体の店では酒を提供しているし、酔えば理性は溶けて人ならざるモノをうっかり認識してしまうような機会も増える、本物か幻覚かはさておきだ。  更に言えば、人の感情って奴も昼職よりは格段にでかい場所だろう。愛憎渦巻く繁華街、なんて、本当にドラマの中だけの話だと思っていたが、いざその世界に飛び込めば創作の愛憎劇は事実より相当綺麗に作ってあるよな……とげっそりするような現実が広がっている。  刺されたとか、飛んだとか、ラリったとか、入院したとか。さすがに僕の周りで殺された人はいないけれど、遠くの噂でそういう話を聞かないこともない。  人が集まれば感情が生まれる。感情は幽霊に近い。だから水商売の店では心霊騒動が多い。  チキンラーメンの上に乗ったタマゴをかき混ぜた隣人は、長いぼさぼさの黒髪をうざったそうにかきあげつつ、そんなことを語る。 「キャバだって最悪なんだ、ホストなんか推して知るべしだろうがよ。前者はまだマシだ。酒を飲んで女と遊ぶ場所だってわかってる客が多い。だがホストはダメだろ。どう考えても疑似恋愛の場所だろうがよ。ンなん、生霊入れ食いだろうよ」 「生霊、なんですかね……」 「つかお前バッチリ見えるマンだろ。そのー……トイレの横? だっけ? なんか居んの?」 「いや居ないです。先月までは紫の首の長い女が立ってましたけど、リュウヤさんが辞めたら一緒に消えたんで」 「……じゃあそいつの事言ってんじゃねーのか? もういないですよ~って言ってやりゃいいじゃん」 「んー……うーん……いやぁ、紫の人は消えたんですよ。消えたんです、けどー……あの、やっぱりわかりにくい、目立たないお札ってないんですよね?」 「しつけーな、ねーよ。どうしてもバレないように札をカモフラージュしてーなら、お守りに入れるとかがせいぜいだ。別に花瓶の裏とかにはっつけるとかでもいいんじゃね?」 「はぁ。四隅なら、それでもいいんでしょうけど」 「煮え切らねーな、なんだよさっさと言えよ」 「いや実は、トイレ横の角にはもう誰も立っていないんですが……オーナーの腰のあたりに黒い男みたいなやつが巻き付いてるんですよね……」  ナツカくんさぁ、例のお札の人にちょっと、聞いてみてくれない? やっぱりあの隅に変な人影が見える気がするんだよー……。  そう言って眉を顰めるオーナーの腰に巻き付いた人間は、妙にでろっとした質感で、なんだか若干泥のようなにおいがした。  オーナーはかたくなに『フロアの角に人影が見える』と主張する。実際ちょっと前まではそこに立っていた人がいたので、『ああ、そういえば俺も見ましたよ』と賛同するスタッフもちらほらいた。  ――でも、今はいない。  いるのは、オーナーの腰に巻き付いている男のような黒い何かだ。  僕の話を聞き終えるタイミングでチキンラーメンを食べ終えた隣人は、割り箸を折って捨ててから鼻で笑う。  大変むかつくが、妙にからりとした、このひと独特の笑い方だ。 「はーん。つまりお前はアレか、チャラオーナーにバレねえようにそっと札を貼ってそいつの腰の安全を守りてえっつーことか。無理だな」 「無理ですか」 「無理。寺にでも行ってもらえ。宗派によっては除霊とかできねーからそこは勝手に調べろ。ぼったくりには気をつけろよ。つか正直に腰になんかついてんぞって言やぁいいだろうが」 「え、嫌ですよ。俺ただでさえ衣衣(きぬい)さんのせいで霊感ホストみたいな噂立てられてんですから」 「真実じゃん。そのまま副業にしちまえよ。阿佐科(あさか)なら一割引きで札売ってやるよ」 「割引率がシビア……」 「割引してやるだけありがてーと思え。現代社会を生き延びる札師は常に金欠なんだよ」  そう言って立ち上がった隣人――衣衣音丸(きぬいおとまる)さんは、二百円を机の上に置いて『ごちそーさん、助かった』と言ってドンブリ片手にキッチン方面に消えていった。  締め切り明けでなんもないなんか買い取らせろ、とへろへろの体で扉をたたいた彼は、まあ大体いつもこんな感じでさらりと心霊話を聞き流す。  幽霊なんて見えない、触れない、聞こえない。けれど書く札の効能はぴか一。そう謳う彼は、実のところあまり優しくはない。なんなら怖い。隣人じゃなければ――というか、向こうが関わってこなければ――本当に関係性を持とうと思えなかったはずだ。 「あ。そういやお前、後で塩振っとけよ」  ひょっこりと顔だけ覗かせた衣衣さんは、若干嫌そうに眉を顰める。 「え、なんでですか」 「たぶん鼻が慣れちまってんだろうけど、なんかこの部屋どろくせーから」  そう言われた瞬間、なんとなしに上を見て、天井に張り付くぬらぬらした質感の黒い男のようなものをバッチリとみてしまった。 「…………お札、一割引きじゃなくていいんで売ってください」 「チキンラーメン恵んでくれた恩込みで三割引きで売ってやるよ」  にやにや笑う、衣衣さんが隣人でよかったのか悪かったのか……僕にはまだ、その判断はつかない。
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