上の句と下の句

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上の句と下の句

翌日の休み時間に、熱が出たから学校は休むと、板垣からアミに連絡があった。 アミは柾木のクラスまで訪ねた。 「板垣が熱を出したって」 「そうですか」 柾木は落ち着きはらっている。 アミは、放課後板垣の家を訪ねた。 「柾木は六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)だ」 板垣がベッドに横たわって苦しそうにしながら言った。 アミはそうなのではないかと思っていた。柾木が、「ある種の」祈願(きがん)を行っているのではないかと思っていたのだ。六条御息所は『源氏物語』に登場する、光源氏の恋人で、光源氏の正妻葵(あおい)の上を生霊となり取り殺したのだ。 「柾木がこの和歌を送ってきた」 板垣がアミにスマホの画面を見せ、一文を示した。 「かかる時さこそ命の惜しからめ」 とメールが送られてきている。 「これは太田道灌が刺客(しかく)に詠まれた上(かみ)の句なんだよ」 「俺は下(しも)の句は「しかあり君と思ひ知らなん」って詠んでやったけどな」 新渡戸稲造(にとべいなぞう)の『武士道』にある、太田道灌のエピソードだ。 太田道灌は刺客に、「かねてなき身と思い知らずば」と返した。上の句と下の句で、意味は「このようなとき、どんなに命が惜しいだろう。前もって元から存在しない自分と悟っていなかったならば」となる。板垣は、柾木が送ってきた、「このような時、どんなに命が惜しいだろう」という上の句に、元の下の句をもじって、「その通りである君と思い知った」と返した。「その通りである」の古語「しかあり」には「刺客あり」が掛けられている。だから、「刺客あり(それが)君と思い知った」とも読める。 柾木は、板垣を呪殺しようとしているのだ。 アミは日露戦争のときの与謝野晶子(よさのあきこ)のような気持ちになった。与謝野晶子(1878~1942)は、歌人。『君死にたまふことなかれ』は、日露戦争に出征した弟を思って与謝野晶子が書いた詩。 アミは活路を探した。 アミは小泉八雲の『ろくろ首』を思い出した。「聖い仏の道を説くために出かけた」旅の僧侶が樵の家に泊めてもらい、過去になにかあったと言うかれらのために読経し、かれらが寝ているのを見かけると、身体に首がない。僧侶は、これは、化け物に違いないと思い、森の中を首を探しに行くと、樵たちの首が飛びかっていた。そして、首だけの樵が、僧侶を食べようと話し、「おれの魂のために、読経をさせる事になってしまった。経をよんでいるうちは近よる事がむつかしい。称名(しょうみょう、仏・菩薩の名前を唱えること)を唱えている間は手を下す事はできない」と言っていた。(この小説のろくろ首は、ほかにあるように長い首でなく、身体から離れて自由に飛びかう首である)。小泉八雲の、別の有名な小説『耳無芳一(みみなしほういち)の話』も、お経で身を守る話である。アミは板垣に、できるだけ「南無阿弥陀仏」か「南無妙法蓮華経」と唱えるように言った。短くて病身でも比較的かんたんだからである。アミは、特にどこの宗派をひいきにしているということは、ないのであった。 小泉八雲(1850~1904)は、英文学者・作家。ギリシャ生まれ。本名ラフカディオ・ハーン。 アミは帰宅し、自室で、お経を唱え始めた。「延命十句観音経」である。「延命」とは、命を長引かせるという意味である。 「観世音・南無佛・興佛有因・興佛有縁・佛法僧縁・常楽我浄・朝念観世音・暮念観世音・念念従心起・念念不離心」 アミは色々なお経の掲載された本を見て、このお経を選び、誦(よ)んでいた。椅子から立ち上がると、小ぶりなチェスト(棚)の上に置いてあった香水瓶が倒れていた。中身の香水がこぼれて、チェストの塗料が香水のアルコールで溶け、チューブから出されたパレットの上の絵の具のようになっていた。アミは、チェストの塗料が部分的に溶けてしまって、がっかりしたが、すぐに、これはなにかのお告げであると気づいた。これは絵の具のようである。ヒントは、絵に関連している。アミは、チェストに置かれた本を見た。本の中に、一冊だけ、ある画家の自伝があった。アミは、その本を再読し始めた。
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