説得

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説得

翌日、板垣は回復せずまた学校を休んだ。 アミは放課後柾木の教室を訪ねた。 「柾木くん。今日は部室にきてよ」 「板垣先輩はどうされました?」 「今日も休み。まだ治ってない」 「では今日は二人なんですね」 「そうだよ。部室行こう」 柾木は部室までアミについてきた。 「芥川龍之介はすき?」 アミが柾木に訊ねた。 芥川龍之介(1892~1927)は小説家。 「さあ、どうでしょうか」 「わたしは、すきかどうかはわからない」 アミの念頭には芥川の短編『黒衣聖母』のことがあった。キリストを信仰する者としては、肯定できない小説である。だがアミは、その小説の話がしたいのではない。 「芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は有名だよね」 「そうですね」 「『蜘蛛の糸』に、よく似ている昔話があるの、知ってる?」 「知らないと思います」 「『地獄の人参』っていうんだけど」 「知らないですね」 「よくばりなおばあさんが、帰らぬ人になって、地獄におちた」 「だけど生前、旅の僧に腐った人参を施(ほどこ)していた」 「だから、地獄の、そのおばあさんの頭上に、腐った人参が、降りてきた」 「おばあさんが、その人参をつかむと、その人参は、上にのぼっていった。」 「それを見て、おばあさんの足を、他の、地獄におちた人たちが、つかんだ」 「おばあさんが、それをふりほどくと、腐った人参は、とうとうくだけてしまった」 「おばあさんは、地獄から出られなかった」 アミは板垣から、柾木が板垣にさまざまなごちそうをしてくれていたことを聞いてはいた。 「敦盛の話は知ってるよね」 アミは訊ねた。アミは続けた。 「平敦盛は、一の谷(神戸市須磨)で、源氏の熊谷直実に討たれた」 「熊谷直実は、敦盛が若くうつくしく、自分の息子と同じ年頃なので、躊躇(ちゅうちょ)したんだけど、源氏の軍勢が迫っていたから、しかたなく、討ち取った」 「それから熊谷直実はどうしたか、知ってるよね」 柾木は黙っていた。 「熊谷直実は出家して、敦盛を弔った」 熊谷直実が出家したのは、敦盛を討ってから10年近く経ってからだが、アミはそのことは黙っていた。 「熊谷直実は蓮生(れんしょう)を名乗って、法然に帰依し (きえ)したんだよ」 「お能の、『敦盛』では、敦盛を弔うため蓮生は、一の谷を訪れる」 「すると、笛の音が聴こえてくる」 「そこに、草刈り男たちが、笛を吹きながら、やってくる」 「一人の草刈り男だけがそこに残って、自分が敦盛であることをほのめかして去っていく」 「蓮生が弔いを続けていると、敦盛の亡霊が現れて、二人は今や「法(のり、仏法のこと)の友」であると二人で言い、敦盛は自分のさらなる弔いを頼む」 アミはしばらく黙っていた。 「わたしは、こう思ったよ、都合がよすぎるんじゃないかって」 「作者は世阿弥(ぜあみ)で、室町時代の人だから、わたしたちとは感覚がちがうのかなって思ったけど」 世阿弥(1363?~1443?頃)は能役者・謡曲作者。観阿弥(かんあみ)の子。 また、「上(かみ)にあっては下(しも)を悩まし、富んでは驕りを知らざるなり」と、この能では謡われる。高い地位にいて、下々の民を悩ませ、裕福で、自分たちが調子に乗っていたことに気がつかなかった、という意味である。敦盛の述懐である。驕っていた自分たち(平家)を、反省しているのである。ソクラテスも、こう言っている。「世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは」と。ソクラテス(前469~前399)は古代ギリシャの哲学者。 「・・・きみは俊寛の立場になったらどうするか、わからないって言ってたね」 芥川龍之介の小説『俊寛』(1922)では、一人だけ配流を解かれなかった俊寛が、鬼界ヶ島でひょうきんになかなか陽気に暮らすさまがいきいきと描かれていたりするのだが、アミはそのことは言わなかった。芥川龍之介の短編小説に現れるかれの信仰観は、現代でも広く知られている仏教説話『蜘蛛の糸』(1918)、日本人キリスト教徒の殉教を描く『じゅりあの・吉助』(1919)、キリスト教への冒涜(ぼうとく)とも言える『黒衣聖母』(1920)、そして、一人だけ写経を怠ったために鬼界ヶ島に残される悲劇的人物として描かれてきた俊寛を、明るく描く『俊寛』(1922)など、信心深いのかそうでないのかよくわからない。芥川は筆の上であまのじゃくにふるまっているようだ。『侏儒(しゅじゅ)の言葉』でもキリスト教の聖人を揶揄(やゆ)している。仏陀(ぶっだ)のことも貶(けな)している。ただし、『蜘蛛の糸』は初出が雑誌『赤い鳥』で、児童向けの雑誌、童話の雑誌であるから、教訓的な話になったのかもしれない。芥川龍之介の『俊寛』が『赤い鳥』に書かれていたのならば、違った内容だったかもしれない。芥川龍之介の『俊寛』は、悲劇的人物の俊寛を陽気に描いた意外性あふれる話だが、『赤い鳥』に書いていたのなら、教訓的に、俊寛は信仰を怠ったから悲しい結末を迎えた、といった内容を書いたのかもしれない。 「わたしは俊寛の立場じゃないけど、いつでも神に祈ってる」 アミはいつもはキリスト教の神に毎日祈っているのであるが、昨日は観音経であった。 しばらく間があいた。 「芥川龍之介の、『蜘蛛の糸』は、カンダダが蜘蛛を助けたから、地獄に蜘蛛の糸が垂れてきたんだよ」 アミは柾木を見詰めた。 「信長は、幸若舞(こうわかまい)の『敦盛』を舞って、桶狭間(おけはざま)の戦いに出陣した」 「人間(にんげん)五十年、化天(けてん)のうちを較ぶれば、夢幻のごとくなり」 (意味は、人間界の五十年は、化楽天の八千歳に比べると夢幻のようにはかない一瞬である)。 「一度(ひとたび)生(しょう)をうけ、滅せぬもののあるべきか」 「織田信長は桶狭間の戦いの出陣前、『敦盛』から、ここまで謡(うた)った」 アミは柾木を見た。 「だけど幸若舞の『敦盛』は、こう続くんだよ。「これを菩提(ぼだい)の種と思ひ定めざらんは、口惜(くちお)しかりき次第ぞ」」 敦盛を討った熊谷直実の述懐(じゅつかい)である。「菩提」とは、煩悩を断ち切って悟りの境地に達すること、また、成仏すること、極楽往生することをいう。「菩提を弔う」とは、死者の冥福を祈って供養を行うこと。 アミは柾木になにか手渡した。 名刺大のカードである。ピエタが描かれている。聖母マリアがキリストを抱いているところだ。 「あげるから」 アミは、血の気の引いている柾木をだきしめた。 「ごめんね」 アミは泣いていた。 「きみはまだ若いんだから。子どもなんだから。神様は赦(ゆる)してくれるよ」 「「悪い行いをすれば天国には行けない」という脅し文句は、子どもには効果的である」と、エレーヌ・ド・ボーヴォワール(1910~2001、フランスの画家。著名なフェミニストで思想家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールの妹)の自伝にそう書いてあったのを、アミは昨日読んだ。香水がこぼれて塗料の溶けたチェストにあった本だ。柾木はまだ15歳だから、子どもである。だからこそ、アミは「効果的」だと思ったのだ。また、「怖るべきものを知っていないというのが子供の未熟な第一の点である」と、キルケゴールが『死に至る病』で書いている。 ビショップがチェックメートした。(ビショップとは、僧正。チェスで、僧正の帽子の形をした駒。将棋の角と似た動きをする。チェックメートとは、チェスで、王手詰めのこと)。 板垣の熱は下がった。 「マーチおばさんはエミイを指導し、教え諭しました。60年前自分がそうされたように。それはエミイの魂(心)をうろたえさせ、とても厳しい蜘蛛のあみにかかった蝿のような気分にさせました」ルイザ・メイ・オルコット『若草物語』ルイザ・メイ・オルコット(1832~1888)はアメリカの小説家。 「恋は死よりも強し」 モーパッサン(1850~1893、フランスの小説家)の小説にもある言葉だと芥川龍之介が『侏儒(しゅじゅ)の言葉』に書いている。 「愛は真面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶体絶命の時には必ず姿を隠す」 夏目漱石(1867~1916、小説家)が小説『野分(のわき)』に書いている。 「真の解答とは、神が存在することである」 エレーヌ・ド・ボーヴォワールが、学生時代哲学の授業のテキストで読んだという一節である。ラール師による著書『カントの理論、スピノザの理論』にあるという。 スピノザ(1632~1677)はオランダの哲学者。 ~完~
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