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チェス部
月曜の放課後、柾木はチェス部の部室にやって来た。
板垣は、すきな歴史上の人物を柾木に尋ねた。柾木は吹き出した。
「板垣さんは、(すきなのは)板垣退助なんですか?」
「ちがうよ」
板垣がこたえた。アミが吹き出した。
板垣退助(1837~1919)は、政治家。自由民権運動を指導した。
「板垣退助とは、何の縁もゆかりもないんだよ、ただ苗字がおなじだけでさ」
「まあ、あんまりすきじゃないよ」
板垣が言った。
「わたしはマリ・アントワネットよりアナスタシアがすき」
アミが言った。
アナスタシア(1901〜1918)はロシアの王女、ロシア革命で処刑された。
「あの人はにせものじゃないですか」
柾木が言った。
「生きていた人はにせものだね」
アミがこたえた。
ロシア王女アナスタシアの処刑後、王女アナスタシアを名乗る偽者が複数人現れた。
「俺はマリ・アントワネットよりもフランス革命がすきだな」
板垣が言った。
マリ・アントワネット(1755~1793)は十八世紀のフランスの王妃であり、1789年に起こったフランス革命によって処刑された。
「それじゃ、ジョン・ロックとか、モンテスキューとか、ヴォルテールとか、ルソーとか、トマス・ペインとかがおすきなんですね」
「そしてホッブズには反対だと」
ジョン・ロック(1632~1704)はイギリスの哲学者・政治思想家。
モンテスキュー(1689―1755)はフランスの啓蒙思想家。
ヴォルテール(1694~1778)はフランス啓蒙思想家。
ルソー(1712~1778)はフランスの啓蒙思想家。
トマス・ペイン(1737~1809)はイギリス生まれの革命思想家。
以上はフランス革命に影響を与えた思想家たちだ。
ホッブズ(1588~1679)はイギリスの哲学者・政治思想家。
「そうだな。ジョン・ロックの言う抵抗権は、基本的人権のひとつだよ。そこに不当な国家権力があったら、人民には抵抗する権利があるんだ。「圧政への抵抗」は、「世界人権宣言」で明文化されてる。モンテスキューの三権分立論は、ジョン・ロックから継承して、確立した。モンテスキューの言うとおり、三権分立によって独裁や王権の制限をするべきだよ。ヴォルテールは立憲君主制を支持しているところが微妙だよ。まあでもヴォルテールは当時の(十八世紀の絶対)君主制を批判したからね。ルソーは「社会契約論」で人民主権を主張した。絶対王政の時代にね。トマス・ペインは、君主制を「悪」と断言してフランス革命に参加した」
「ホッブズは君主制を支持したからな」
「「人生は、小児が、たわむれに将棋の駒を動かしているようなもの 王権は小児の手にあるその世界遊戯(ゆげ)のうちにある」」
「ヘラクレイトスの言葉だよ」
「そんな王様のお遊びに付き合わされたら、たまったもんじゃないよ」
ヘラクレイトス(前550~前480頃)は、古代ギリシアの哲学者である。「万物の根源は火である」とし、「万物流転説」を唱えた。
「それから俺がすきなのは源頼朝(みなもとのよりとも)だよ」
板垣が続けた。
源頼朝(1147~1199)は鎌倉幕府初代将軍。鎌倉幕府を開いた。
「なるほど・・・」
「じゃあ「承久の乱」とかもおすきなんですね」
柾木は微笑を浮かべ、板垣を見た。
「人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は」
板垣が和歌を諳(そら)んじた。
「後鳥羽上皇ですね」
百人一首の後鳥羽上皇の一首である。1212年の作であるという。後鳥羽上皇(1180~1239)は、1221年、鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、これに応じた北条義時を中心とする幕府軍と戦ったが、敗れた。これが承久の乱である。承久の乱では、源頼朝の妻、北条政子が御家人に対し行った演説が有名である。「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く海よりも深い」。後鳥羽上皇は、1207年、浄土宗の開祖法然(ほうねん)、そしてその一門への宗教弾圧も行っている。専修念仏(せんじゅねんぶつ)の停止、法然、そしてその弟子で浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の配流を命じた。法然、親鸞はこの時僧籍を剥奪されている。これを「承元(じょうげん)の法難」という。後鳥羽上皇は、「新古今和歌集」の編纂(へんさん)を命じたことでも知られる。 法然(1133~1212)は鎌倉時代の僧で、浄土宗の開祖である。親鸞(1173~1262)は、鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。
「百敷やふるき軒端(のきは)のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」
柾木が百人一首の最後の和歌を諳んじた。
「順徳院(じゅんとくいん)だな」
順徳院(1197~1242)は、後鳥羽天皇(上皇)第三皇子。順徳天皇。承久の乱に敗れて佐渡に流され同地で崩御。この和歌の意味は、荒れ果てた古い軒端にはえているしのぶ草を見るにつけても、いくらしのんでもしのびつくせないほどなつかしい昔の御代(みよ)であることよ、である。1216年、二十歳の時の作で、武士の世になり、朝廷の力が衰退したことを嘆き、王朝の昔をしのんだ歌である。
「お二人は鎌倉仏教ですきな宗派はどれですか?」
「サリンジャーの『フラニーとズーイ』は読んだ?」
アミが話し出した。
サリンジャー(1919~2010)はアメリカの作家。
「『フラニーとズーイ』ではね、専修念仏のことが出てくる。浄土宗の法然が説いた、「南無阿弥陀仏」と唱えただけで、救われるっていう」
「専修念仏」とは、法然の教えの基本理念で、ひたすらに念仏(南無阿弥陀仏)のみをとなえることをいう。そうして阿弥陀仏の本願、「衆生(しゅじょう)を救うこと」にすがる。「他力念仏」ともいう。
アミは続けた。
「わたしは、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、極楽浄土に行けるだなんて、ほんとかなって思ってた。倫理の参考書で読んだとき、信じられないなって思った。でも、「マタイによる福音書」では、キリストが、「くどくどと祈るな」っておっしゃってる。言葉数が多ければいいわけじゃない、って。だから、「南無阿弥陀仏」みたいに、短くても、いいのかも」
「日蓮が批判したやつですよね」
「四箇格言な」
「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」
板垣が言った。「四箇格言」とは、日蓮宗(法華宗)の開祖で鎌倉時代の僧日蓮(1222〜1282)が、他宗が仏の道から外れているとして折伏(しゃくぶく、悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること)するために唱えた上記の4句。日蓮による、他宗への批判の言葉。
「でももしもそれ、四箇格言がほんとうだったら───そういう啓示を、日蓮が受けたのだとしたら?」
アミがつぶやいた。
「きみは日蓮の伝説のことを考えてるのかもしれないけどさ、そんなんじゃさ、俺はきみから目がはなせないよ、あぶなっかしくてさ。宗教はこれまで通り自習しろよ、ぜったいに」
板垣は宗教の勧誘を心配したのだったが、「俺はきみから目がはなせない」という言葉に柾木が反応した。
「先輩たちは・・・お付き合いをされているのですか?」
「まさか」
アミがわらった。
柾木は先輩二人をながめた───。
「わたしはぜったい、宗教団体には関わらないから安心して、板垣。「平静であれ、そしてその上で、人に欺かれてはならない」『フラニーとズーイ』に、そう引用してあるんだよ。禅宗の公案なんだって。フラニーだって、教会に通ってないんだから。自分でそういう本を、読んでるだけ。わたしもそうするの。内村鑑三と同じ、無教会派だよ。それからルターの万人司祭主義だよ。信仰に媒介者は不要なんだよ。それをつらぬく。わたしのことより、きみだよね、きみこそ名前の通りさ、なんか、政治団体とか、興(おこ)しちゃうんじゃないの?」
「公案」とは、禅宗で、参禅者を悟りに導くために与える課題である。代表的な公案は、「両手を打つと音がするが、片手ではどんな音がするだろうか?」
内村鑑三(1861~1930)は、無教会派キリスト教伝道者・評論家。
ルター(1483~1546)は、ドイツの宗教改革者。教皇庁による免罪符発行を批判する「九十五カ条の論題」を記し宗教改革運動の発端となった。
「そうかもしれないな・・・」
板垣がつぶやいた。
「治安維持法とかに、ひっかかりそうですね」
柾木がそういうと、板垣が柾木をにらんだ。
「俊寛(しゅんかん)の話を知ってるよね?」
アミが柾木に訊いた。
「『平家物語』ですね。古典の教科書に載っていますね」
俊寛(1143~1179)は、平安時代の僧で、平清盛への謀反(むほん)を企(くわだ)て、藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)とともに鬼界ヶ島(きかいがしま)に島流しになる。俊寛以外の二人は、千本の卒塔婆(そとば)にお経を書き付け、海に流した。その卒塔婆が広島の厳島(いつくしま)に流れ着き、平清盛は恩赦(おんしゃ)をきめるが、俊寛だけは赦されず、鬼界ヶ島に取り残された。『平家物語』に記されている。能や歌舞伎、小説にもなっている。
『平家物語』は、源平争乱を描く軍記物語。作者・成立年未詳。
「きみだったらどうしたと思う? 島流しにされたらさ」
「わかりません」
「この話はわたしたちいつもしてるんだけど、わたしはもちろん、卒塔婆を作る」
「その頃はまだ、キリスト教が伝来してなかったでしょ。1549伝わるキリスト教。だから、卒塔婆を作るしかない。それに、卒塔婆が流れついたから、二人は赦してもらえた。この場合は、祈ってるだけでは、だめだったのかも。わからない。とにかく卒塔婆が流れついたから、赦されたんだから。でも卒塔婆が流れついたのは、信仰の力かもしれない」
1549年宣教師フランシスコ・ザビエル(1506~1552)が鹿児島に上陸した。
「『沈黙』は観ましたか?」
柾木が尋ねた。
「観たよ」
「俺も」
そこでかれら全員は黙ったまま考えた。映画「沈黙」の中で、日本にやってきたポルトガル人宣教師は、江戸幕府の弾圧に遭い、神に祈る。しかし、神は答えてくれない。宣教師はついに、踏み絵をする。そのことによって、命を救われる。俊寛の話で、俊寛と一緒に流された二人が、信仰によって救われたのとは逆だ。「キリシタン弾圧」においては、信仰を棄(す)てなければ命は救われないのだ。映画『沈黙』は、小説家遠藤周作(1923~1996)の同名小説に基づく。アミたちが話しているのは、2016年の、アメリカ作品。
「なぜ「殉教」があるんですか? なぜ神は助けてくれないんですか?」
殉教と言えば、アミは以前気まぐれに有名な教会に行って、聖セバスティアヌスの肖像が描かれた名刺大のカードを見つけ、購入していた。板垣へのお土産にしたのだ。板垣の自宅の部屋の机には、そのカードが飾ってある。聖セバスティアヌスは、ホモセクシャルの守護聖人でもあるキリスト教の聖人だ。しかし、二人はそんな話はしない。
「わたしもそれは気になったんだ。『沈黙』で、神は黙ったまま、あの宣教師の祈りには答えてくれない」
「だからタイトルは『沈黙』」
柾木はそれ以上「踏み込まなかった」。二人なら、「踏む」のか「踏まない」のか、訊かなかった。そこまで詰めなかった。
「それできみのさ、すきな歴史上の人物ってだれよ」
板垣が柾木に尋ねた。
「そうですね───相沢忠洋(あいざわただひろ)───って、歴史上の人物ですか?」
相沢忠洋(1926~1989)は、昭和期の考古学者。1946年岩宿(いわじゅく)で旧石器を発見した。このことにより、日本でも旧石器時代が確認された。
「いいじゃん」
「相沢忠洋は、わたしもすき。二十歳で歴史を覆(くつがえ)す発見をしたってすごいよね」
「きみも、なにか発見できそうなの?東大くん。まあ、東大くんなら、相沢忠洋さんみたいには苦労しないんだろうね、だって東大なんだからさ」
相沢忠洋は、旧石器を発見したが、大学を出ておられなかったので、苦労されたのである。
「まだ、(受かるとは)決まってませんよ」
「でも何か研究してることとかあるの?」
アミが尋ねた。
「アミは西洋占星術(せいようせんせいじゅつ)を研究してるよ」
板垣が言った。
「西洋占星術───星占いですか」
「そう。さしつかえなかったら誕生日おしえてほしいな」
「いいですよ」
アミはスマホに柾木の誕生日を打ち込んだ───。しばらくして、アミはハッとした顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「何か?」
「ううん───」
「アミはさ、神秘的なことを研究してるんだよ、スピリチュアルってやつ」
「なるほど───で、ぼくの運勢は、どうなんですか?」
「どうかな───」
「なにか、こわいことでも発見したんですか?」
「そうじゃないよ───」
「すきなタイプとかさ、相性とか、わかるんだっていつも言ってるよね───」
板垣はアミをみつめた。
「いつものあの話をしてよ、引き寄せの法則ってやつ」
板垣は話を変えた。
「きみはさ、引き寄せの法則、信じてる?」
アミが柾木に尋ねた。
「引き寄せの法則───」
「かんたんに言えば、願えば、かなうって話───」
「ぼくは、そう思ってます」
柾木がこたえた。
「だってきみはなんでも叶ってそうだもんね」
「そんなことないですよ」
「引き寄せの法則の基本はね、意識を集中させたことがその人に引き寄せられてくるってこと。お金とか、人とかね。なんでも。「求めよ、さらば与えられん(そうすれば与えられる)」って、キリストも聖書で言ってるの、有名だよね」
アミは自分が、何かの勧誘をしているみたいな感じがしてきて、気まずくわらった。
「これってほんとうなんだよ」
「たとえば、西行(さいぎょう)の有名な和歌があるでしょ、「願はくは花の下にて春死なむその二月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃」」
「西行は、この自分の歌の通り、二月十六日に亡くなった。これって言霊だよ」
「望月」というのは、満月のことなので、15日頃である。旧暦の二月十六日は釈迦入滅の頃でもある。「花」とは、桜のこと。西行(1118~1190)は平安後期の歌人・僧。鳥羽院の北面の武士(院の御所を守護する武士)であったが、1140年23歳で出家。『新古今和歌集』に最多の94首が選ばれている。
「でもね、だから、これって気をつけなきゃいけないんだよ。だって、意識を向けたり、言葉にしたりしたことが、ほんとうになったり、拡大したりしちゃうんだから。だから戦争とか、事件とか、事故とかに意識を向けちゃだめなんだよ。ぜったいに───。芸能人の人が、そう言ってた。それに、わたしたちはただの人なんだから、できることなんて何もないでしょ? 遠くの国で戦争が起こってたって。意識を向けたら、拡大しちゃうだけなんだから」
アミは柾木をみつめた。
「きみは別なのかな。だって東大だもんね」
「まだ決まってませんよ」
「きみは将来、何になりたいの?」
「さあ・・・わかりません」
「今の話を聞いて、思ったんですけど・・・。キルケゴールの兄弟の話を」
キルケゴールは (1813~1855)はデンマークの哲学者。キェルケゴールともいう。
「それ、知ってる」
「キルケゴールの兄弟、かれをふくめて七人のうち五人は三十四歳までに身罷(みまか)った」
「キルケゴールの父親は、自分のせいで、神が怒り、自分たちの子どもたちは三十四歳まで生きられないだろうと言っていた」
「そして実際、七人中五人までがそうなった」
アミが話した。キリストが死んだのは三十三歳なので、それ以上は生きられないだろうとも思ったという。
かれらはしばらく沈黙した。
「キルケゴールの父親がそう信じて、そう言った。だからそうなったんじゃないかな」
アミは言った。
「でもキルケゴールは四十二歳まで生きた」
「だけど四十二歳」
「とつぜんに」
「でもそれ、ぜったい、コーヒーの飲み方のせいだから」
「キルケゴールはありえないほど多量の砂糖を入れたコーヒーを飲んでいた」
板垣が話した。
「あれは無茶ですよ」
「かれの本のタイトルみたいなもんですよ」
柾木がそう言ってかれらはわらった。
「でもその本に書いてあったことがほんとうならどうするの?」
アミが言った。
かれらは懸命にも縁起を気にしてキルケゴールの代表作のタイトルを口にするのを避けている。
かれらが話しているのはキルケゴールの代表作『死に至る病』であり、『死に至る病』では、「キリストを否認すること」が死に至る病である、と説かれているのだ。
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