七重八重

1/1
前へ
/13ページ
次へ

七重八重

ある日、雨が降っていた。 「時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ」 部室で板垣が源実朝(みなもとのさねとも)の和歌を諳んじた。源実朝(1192~1219)は鎌倉幕府第3代将軍。源頼朝の次男。母は北条政子。板垣は頼朝がすきであるから、その息子実朝にも通じているのである。 「雨やめたまえ───板垣先輩、傘忘れたんですか?」 柾木が尋ねた。板垣が微妙に悔しそうな顔をしている。 「初時雨(はつしぐれ)猿も小蓑(こみの)をほしげなり」 柾木が芭蕉(ばしょう)を諳(そら)んじたので板垣がにらんだ。 松尾芭蕉(1644~1694)は江戸前期の俳人。 「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき───」 柾木がさらに和歌を諳んじた。この和歌は太田道灌に関係していると言い伝えられている。柾木は板垣が以前に太田道灌の話をしたので、太田道灌のことを調べたのだ。太田道灌が狩りの際に雨に打たれ、農家の少女に蓑(みの)を借りようすると、蓑ではなく、山吹の枝を差し出された。道灌には意味がわからなかったのだが、平安時代、兼明(かねあきら)親王(914~987)が、蓑を借りにきた人に山吹の枝を与え、後日意味を尋ねられのでこの歌を返事にやったという。山吹には実がならない。山吹を渡したのは「実のない」、すなわち「蓑ない」という意味だったのだ。この和歌、故事を踏まえて、少女は道灌に山吹を渡したのだ。道灌はそのことを知り、意味がわからなかったことを恥じて、歌道に邁進したという。 「でもぼくは先輩に傘を貸せます。家が近いですから。予備を持ってきますよ」 「いや、悪いよ」 「いいえ、近いですから。───それともぼくの家まで一緒に来ますか? そこで貸しますよ」 板垣の脳裏には、急がずば濡れざらましを旅人のあとより晴るる野路の村雨───という太田道灌の作と伝えられる和歌が過ぎった。待っていれば晴れるかもしれない、しかし───。 板垣は柾木のうちに行くことにした。相合傘である。 学校からほど近い柾木の家は豪邸だった。 柾木の部屋の壁には蝶が飾られていた。 「これ───きみが採ったの?」 「そうです」 また、チェストには動物のフィギュアが、ところせましと並んでいる。風水ずきのアミならどう思うだろうな、と板垣は思った。風水では、家に人形をたくさん飾るのはよしとされていない。 「箱庭か、方舟(はこぶね)かって感じだな」 板垣がつぶやいた。箱庭とは、箱に土や砂を入れて、家、人形などを置いて、庭園・山水などに模したものである。そうした箱と人形を使って箱庭を作らせ、心の中の世界を表現させ、そこから深層心理を読み取り、治療に役立てるのが「箱庭療法」である。方舟とは、旧約聖書の創世記に出てくる舟である。神が大洪水を起こし、ノアは神の指示に従って、箱形の木造大型船を作り、家族とつがい(雄と雌)のすべての動物を連れて乗り込んだ。そのために人類や生物は絶滅しなかったという。 「これ、カラスか?」 板垣が指さした。板垣は、柾木の人形コレクションに触れないように注意した。 黒いカラスの人形の隣に、黒と灰色のツートンカラーの鳥が並んでいる。頭の部分が黒で、胴体は灰色、翼の部分が黒で、隣の黒いカラスとまったく同じ形をしている。 「カラスですよ」 「なんで二色なんだよ?」 「ヨーロッパには黒と灰色のツートンカラーのカラスがいるんですよ。これは自分で塗装しました」 柾木がスマホを取り出し、写真を見せた。 「これは○○(ヨーロッパ某国)の公園で撮った写真です」 黒と灰色のツートンカラーのカラスが写っている。 「驚いたよ」 「海外にはよく行くのか?」 「はい」 「まあでも、きみのすきなのは、こっちのカラスだろ」 板垣が黒一色のカラスを指さした。 「どうでしょうね」 柾木はしばらく沈黙した。 「知ってますか? カラスは生涯決まった伴侶を持つんです。お互い一羽だけ」 「それは知らなかった。おしどり夫婦か」 「おしどりは、ほんとうはおしどり夫婦じゃないって、有名ですけどね」 「そうだな」 柾木は家鴨(あひる)の人形を取り上げた。そして、クワックワックワッと、家鴨の鳴き真似をして、家鴨の人形を板垣の方に勢いよく差し出した。 「なんだよ、びっくりしたなあ」 「家鴨は、庭に見知らぬ人が侵入すると、攻撃するんですよ。羽根を広げて」 「それほんとか」 「それから、犬と猫は、飼い主が死んだら、飼い主を食べるんです」 「はあ?!」 「独居老人が、身罷るでしょう。そうしたら、ペットの犬や猫は、飼い主を食べることがあるんですよ」 「それほんとかよ?!」 「そういやあ、鳥葬ってあるけど」 「チベットですよ。それから、ゾロアスター教」 「鳥葬されたいですか?」 鳥葬とは、遺体を野山などに放置して鳥の食うのに任せる葬法。 「火葬でいーよ」 「アンモナイトだ」 板垣がチェストの上に置かれた小さなアンモナイトに目を向けた。埴輪や土偶の人形も飾られている。 「博物館で買ったんです」 「これ、弥生時代の遺物だろ」 板垣が木で出来た鳥の人形を指さした。いわゆる「鳥型木製品」である。レプリカだろう。 「そうです。弥生時代の人々が、ムラに侵入者が来ないように見張ったり、追い払ったり出来ると信じて、ムラの境界や入り口の標柱の上に付けたっていう」 「自分で作ったんですよ」 「へえ。すごいな」 トロイの木馬もある。 「これもきみが作ったのか?」 「そうなんです」 「すごいな」 トロイの木馬とは、トロイア戦争で、ギリシャ軍がトロイア軍を攻略するため、兵を巨大な木馬にひそませて侵入したという故事の、その木馬のことである。 ほかに、恐竜の骨格標本も飾ってある。 「父も母も今日から旅行でいないんです。夕食食べていきませんか?」 「いいのか?」 「僕の手料理を食べてもらいたいんです。まだ親にしか、食べてもらってないんですよ」 「なるほどな」 「今から作りますから、ここで本でも読んで待っていてください」 「わかった」 板垣は親に、友人の家で夕食をご馳走になると連絡した。 そして板垣は柾木の本棚を眺めた。参考書がずらりと並んでいる。東大や、京大の過去問題集も並んでいる。 柾木が夕食ができたと言って、板垣を呼びに来た。 板垣はテーブルの上の料理に目を遣った。 「うまそうだな、だけどこれはなんだ?」 「ロシアの水餃子です。ペリメニ」 柾木は着席を促した。 「それからこのゼンマイは、ぼくがこの間○○山で摘んできたものです」 「すげえな」 ゼンマイはナムルで、他に、切り干し大根の煮物と味噌汁があった。そして炊き込みご飯。 「いただきます」 二人が言った。 「味付けが薄かったら、これをどうぞ」 柾木が、塩を板垣に差し出した。 板垣は、上杉謙信と武田信玄の故事を思い出した。戦国時代、上杉謙信(1530~1578)が、敵の武田信玄(1521~1573)の領国甲斐が塩不足に苦しんでいると知り、塩を送らせたという。 そして板垣は、「塩対応」という、流行り言葉を思い出した。薄味のリアクション、対応のことをいう。柾木の対応は塩ではない。 また、板垣は食塩すなわち塩化ナトリウムについて考えた。塩化ナトリウムは、人間ふくむ動物にとり、生理的に重要な物質で、ナトリウムと塩素がイオン結合したものである。イオン結合とは陽イオンと陰イオンが電気の力によってたがいに引き合い化学結合することである。イオン結合は異極結合ともいう。食塩はイオン結晶である。 板垣は考えた。柾木も板垣も陽キャではない。かと言って陰キャでもない。陽キャ、陰キャとは、当世の若者言葉である。陽キャ、陰キャは、文字通り、陽気な存在、陰気な存在とも言えるかもしれない。また、心理学者ユング(1875~1961)の提唱した概念、外向型と内向型が、それぞれ陽キャと陰キャに当てはまるかもしれない。ユングは心的エネルギーが外に向かうものを外向、内に向かうものを内向とした。一人の人間において両者は相補的に働くが、どちらかが優勢である場合、外向型、内向型と名付けられる。 しかしながら、ユングの分類に従うなら、柾木は内向型のようにも思えた。すなわち陰だ。板垣はわりに外交的だから、陽だ。 二人の間に結晶は生じるだろうか? 板垣はさらにガンディーの「塩の行進」を思い出した。ガンディー(1869~1948)は「インド独立の父」と呼ばれるインド独立運動の指導者である。イギリスの植民地支配に対し非暴力・不服従運動を展開した。「塩の行進」とは、1930年ガンディーが当時インドを植民地支配していたイギリスの塩の専売特許打破のため展開した第2次非暴力・不服従運動である。イギリス政府以外が塩を売ることは禁止されており、そのことにガンディーは抵抗し活動の拠点を置いていた街から海岸まで約360kmを非暴力運動の協力者70数人と行進し、みずから海水から塩を作った。インドは1947年ヒンズー教徒を主とするインド連邦とイスラム教徒のパキスタンとに分かれてイギリスの植民地支配から独立した。 西洋では食卓に塩をこぼすのを不吉とするらしい、と、井上円了(いのうええんりょう)が『迷信と宗教』で書いている。板垣は、わざとこぼしてやろうか? と思った。井上円了(1858~1919)は、哲学者・教育者。哲学館(現東洋大学)設立。また、その『迷信と宗教』には、ロシアでは食卓での塩のやりとりを非常に忌むと書かれた新聞記事が紹介されている。ここはロシアではない。だが、ペリメニはロシア料理だ。 「おいしいよ、ペリメニ。このナムルも煮物も味噌汁も、炊き込みご飯も」 板垣はおいしそうに食べている。 「よかった」 柾木がかすかにうれしそうにしている。 「俺も山菜摘みたいよ」 「今度一緒に行きますか」 「そうだな・・・」 食卓の皿を片付けると、柾木がデザートを運んできた。 「ええ?! すごく綺麗だな」 板垣はほんとうに驚いてそう言った。 きらきらと虹色にかがやく水晶のような寒天が、白餡(しろあん)を覆っている。 「紫陽花(あじさい)っていう、和菓子です。これは、ぼくが作りました」 板垣は紫陽花を食べた。白餡があまい。板垣はキルケゴールのコーヒーのことを思い出した。また、ほんものの紫陽花の花は食べると吐き気がするという。紫陽花の色は土の酸性度で変化する。紫陽花の色を決めているのは、土の状態である。土が酸性だと青色、アルカリ性だと赤色になる。中性のときは、赤色と青色が混じった紫色に見える。この和菓子「紫陽花」には、四角い青と赤と紫の寒天が白餡に貼り付けてあった。 雨が激しく降っていた。ほとんど嵐のようだ。 「雨が強いですね・・・今日、泊まりますか?」 「いや、でも・・・」 「こんな雨の中、帰るのたいへんじゃないですか」 「そうだな・・・」 「ぼくは、寝袋がありますから」 「ぼくは、たまにキャンプをするんです」 「キャンプか。いいな」 「それとも、先輩が寝袋を使いますか?」 「そうだな。そうしようかな」 二人の距離は急激に縮まった───かのようにも見える。しかし、柾木は何か企んでいるのかも知れなかった。 柾木は板垣のことを、ハイデッガーのいう、「用具的存在」と看做(みな)しているのかもしれなかった。ハイデッガーの「用具的存在」とは、道具のように、利用されうる存在をいう。ハイデッガー(1889~1976)は、ドイツの哲学者である。しかしながら今は柾木は板垣のために食事を作った後洗い物をしており、そんなふうに考えるのは気が引けたが、だからこそでもあった。 板垣は親に、今日は友人の家に泊まると連絡した。 柾木が洗い物を終えて、ソファに座った。 「いつか何かお返しをするよ、奢(おご)るとかさ」 「いいんですよ」
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加