不誠実

1/1
前へ
/20ページ
次へ

不誠実

 11月、秋の終わりが見え始めたころ。いつの間にか私は、たびたび高野先生の家にお呼ばれし、休みを共に過ごすようになっていた。  私たちがそれぞれ顧問をしている部活は休日の練習等がなかったため、ほぼ毎週を彼の家で過ごし、たまにでかけたりもしていた。  体は重ねたり重ねなかったりで、私たちはまるでお付き合いをしている恋人同士のようだった。  しかし、どちらかが告白をするなどの恋愛的ターニングポイントは特になく、本当にいつの間にか時間を共有するようになっていた。  セックスをする時、彼はいつも私をべたべたに甘やかした。 「かわいい、ほら。こっちを向いてください」 「愛してるって言うと、中が締まりますね。もっとたくさん言ってあげる」 「だいすき、かわいい。愛してるよ、はるの先生」  普段の彼とは違う、興奮により上擦った声で甘い言葉を耳元で囁かれるたびに、私は身をよじり嬌声を漏らした。  愛してるよ、という彼の言葉を疑うことは一度もなかった。なぜなら、私を愛おしそうに見つめる彼の深く澄んだ、まるで黒水晶みたいな目には一点の曇りも見られなかったからだ。  でも、私たちは付き合っていなかった。  私はその曖昧な関係にメスを入れることができなかった。  たしかに、彼は、私のことを好きだと思う。けれど、好きだからと言ってその人と付き合わないという主義の人も、世の中にはいると何かで聞いたことがあった。もし彼がそういった考えの持ち主だったら。  私は高野先生のことが好きだけれど、彼の全てを知っているわけではなかった。また、彼も私の全てを知っているわけではなかった。  だからこそ、この曖昧な関係は続いているのであって、お互いをもっと深く知り得たら終わってしまうのかもしれない。  そのことがこわくて、私は彼にあまり突っ込んだ質問をぶつけることをしなかった。  彼はときどき、ずっと前から知っている、というような目で私を見ることがあった。その理由がわからないまま、聞けないまま、私は彼との時間を重ねた。  幾度となく体を重ねた高野先生に、心は確かに傾いていた。言うなら今だ、と何度も思った。 「中村くん、ごめんね。もう、こういうことはやめよう、ただの生徒と先生に戻ろう」  でも、彼の“だいすき”という言葉を語りかけるかのような瞳を見るたびに私は、“その言葉”を受け止めた時の彼の悲壮な顔を想像してしまう。そして私は口を噤んでしまうのだ。  問題の先延ばしとはわかっていたけれど、彼を傷つけるのが嫌だった。そういった自分の態度が1番彼を傷つけるであろうことはわかっていたはずなのに。  傷つけることが怖くて、相手を傷つけることで自分が傷つくのを恐れて。  私は自分をクズだ、と思った。不誠実な人間だと思った。おとなのくせに、先生のくせに。最低だ、と。  また、このことを知ったら高野先生はどう思うだろう。  曖昧なぬるい流れに乗せられたまま私はふよふよと、恋愛という今まで経験したことのない川を浮遊し続けていた。 「転校生……うちのクラスにですか?」  私は学年の職員会議で、主任から来週やって来る転校生の受け入れを頼まれた。  新人でまだ経験値の浅い私には荷が重すぎると断ったけれど、彼女の担当するA組はすでに定員に達しているため引き受けて欲しい、とのことだった。  別に転校生を受け入れたくないというわけではなかったけれど、今のクラスの人数でも少々キャパオーバーな気がしているのに、さらに増えたら……と考えると私はうかつに頷くことができなかった。  それなら高野先生の担当するB組は、と尋ねると彼女は首を横に振り言った。 「その転校生、鴻巣あんりさんっていうのは、高野先生の姪っ子さんなのよ。身内が担任というのは公平性の観点からしてあまり良くないと思うから」  そういえば高野先生には歳の離れた姉がいて、その娘が今高校生なのだという話を聞いたことがあった。普通、身内のいる学校は避けるはずであるのに、姪っ子の鴻巣さんは、どうしてこの学校を選んだのだろう。  しかし、高野先生の家庭的な事情を職員会議で詮索するわけにもいかず、私はその疑問をぐっと飲み込んだ。  そうして、あれよあれよという間に、私のクラスに季節外れの転校生、鴻巣あんりさんがやって来ることが決まった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

157人が本棚に入れています
本棚に追加