ちくり

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ちくり

鴻巣(こうのす)あんりです。趣味はスポーツかな。割と何でも得意だから部活の助っ人とか気軽に呼んでね。よろしくお願いしまーす」  肩まで伸びた長い金髪を揺らしながら、少女はぺこりと頭を下げた。  転校生が来るということはクラスの皆に伝えてあったけれど、予想外の容姿に生徒たちは少々困惑しているようだった。  きれいに手入れされた金髪に、ばちばちとピアスをつけた耳。大人の私よりはるかにうまい化粧をした彼女は、比較的外見の校則がゆるいうちの学校でもひときわ目立つ存在だった。  少し変わった子かもしれないけれど、今日から彼女も私の担任する2年C組の大切な生徒だ。浮いたりすることのないよう気を張っておかなければ。席に向かう彼女のしゃんとした背中を見て私は思った。  しかし、予想よりもはるかに早く、彼女はものの1週間でクラスに溶け込んでしまった。  少々とっつきにくい見た目に反して、彼女はフレンドリーで、人を引き込む話し方をした。誰にでも分け隔てなく明るく接する彼女は、皆から“あんりちゃん”と呼ばれるようになり、学校でいちばんのギャルとして、校内でも有名な存在になっていた。  そして、学校でいちばんの高野先生ファンとしても。  彼女は高野先生のことをゆきにい、と呼んでいた。 「ゆきにい! ねえ、ゆきにいってばー!」  とにかく彼女は高野先生のことが大好きならしく、彼の姿を見るたびに通る声でゆきにい、と呼んで彼の後ろをついて行った。  彼ははいはい、とまるで小さい子どもを相手にするように、するりと鴻巣さんのラブコールをかわしていた。 「彼女はね、昔からああなんです。なぜか僕によく懐いていて。姉が離婚をしてからしばらく同じ家に暮らしていました。8つしか歳が違わないから、姪というよりかわいい妹みたいなものですね」  昼食後、職員室でコーヒーを啜りながら高野先生は言った。向こうのほうでは、他の教員たちが他愛もない会話で盛り上がっていた。お局教員のけたたましい笑い声が耳について、私は思わず顔をしかめた。  別に付き合っているわけでもないのに、彼女への“かわいい”は女性としての意味ではないことをわかっていたのに、私はなんだか胸がむず痒い気持ちになってしまった。  きっと、まともな恋愛経験がなかったから、こういう子どもじみた嫉妬をしてしまうのだろう。 「へえ、そうなんですね」  私は平静を装って、できる限りいつも通りに相槌を打った。 「今は彼女も年頃ですから、あまり可愛がりすぎないようにしていますけど。昔は、それはもう猫可愛がりという感じでした」  はは、と彼は笑った。半分ほど中身のなくなったマグカップが机に置かれ、かたんと音を立てた。 「その後も、彼は何度も“かわいい”という単語を口にした。いつも彼が私に向けている言葉が、他の人に向けられるのは彼のことを好きな身としてはあまり面白くなかった。  彼は、私の気持ちには全く気がついていない様子だった。私のポーカーフェイスは、だいぶ達者になったようだ。  顔に出やすい、と言われてからは思ったことが表情に出ていないかよく気をつけるようにしていた。  これで話は終わりのようで、高野先生は前に向き直りスマートフォンを手に取った。昼休みが終わるまでまだ少しあるけれど、来週授業で使うプリントがまだ終わっていないからやらなければ、と私も机に向かった。  その時、机に伏せていたスマートフォンがぶるっと震えた。  どうせコンビニの公式メッセージだろう、となんの期待もせずに画面を見るとそこには隣に座っている高野先生からのメッセージ通知があった。 「やきもち、妬いてくれました?」  えっ? と思い横を向くと、彼もこちらを向き、そして悪戯っぽく笑った。 「この間のお返しです」  彼は口ではなくメッセージで、そう続けた。  その言葉の下にはてへへ、と笑うクマのゆるいスタンプが表示されていた。  私はキャラクターがぷんぷんと怒っているコミカルなスタンプを返して、スマートフォンの画面を切った。ふと、卓上のカレンダーが目に入り今日の日付のところを確認した。  そこには赤のサインペンで枠いっぱいの丸が書かれていた。これは、美術部があるというマークだ。 「美術部、忘れてた……!」  危うく、顧問が部活をサボるところだった。放課後は職員室で事務作業をしようと思っていたのだ。  美術部。中村くんの顔が浮かんで、私の胸は、ちくりと痛んだ。
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