嫉妬に満ちた

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嫉妬に満ちた

 ……キスをしてしまった、5つも年下の男の子と、しかも自分の生徒と……  翌日も、その翌日も、その事実が頭を何度もぐるぐると回り続けた。  あれから、中村くんとは会っていない。美術の授業はなかったし、部活の日はまだ先だ。これって犯罪では、などと思い始めたらもう止まらず、未成年に手を出したとして三浦はるの容疑者(23)が……とマスコミに囲まれながら逮捕される映像が脳裏を駆け抜けた。 「三浦先生、ちょっと。あなた、大丈夫……?」  ふと我に帰り、作業をしていたパソコンの液晶に目をやった。プリントを作成していたはずの画面には、ずらりとBの文字が並んでいた。 「何か悩みがあるのなら、いつでも相談するのよ」  お局的存在であり、意地の悪い国語科の教員ですら私を心配するような有様だった。画面いっぱいの、BBBBBBBB…… 「これじゃまるでバカ(BAKA)のBだよ……」  自分で言っておいて、ちょっと面白くなった私は笑ってしまった。呆然と画面にBを打ち続けたと思えば急ににやけだした私に、彼女は苦笑いをした。  そんな有様であったから、当然高野先生にも非常に心配された。 「三浦先生。おうい、聞こえてます?」 「はっ……はい、それはもうとてもよく聞こえてます」  夜もよく眠れず目の下にクマを作った私は実に見るに堪えないだろう、と思い私は咄嗟に手で顔を隠しながら返事をした。 「あまり見ないでください…………本当、今の顔ひどいので……」  指の間からそっと向こうを覗くと、そこには首を傾げて心配そうにこちらを覗く高野先生の姿があった。彼はちょっとの間を置いてから、口元に手を当てて、内緒話をするように囁いた。 「三浦先生、ちょっといいですか」  そう言うと、彼は席から立ち上がって私を手招きした。そうして私たちは職員室を出た。私も彼も、まるで仕事の話をするかのように、自然にドアをくぐった。  空いていた応接室に入り、電気のスイッチをつけた。部屋がパッと明るくなり、接待用の焦茶色をした合皮のソファに反射した。 「まあ、座りましょう。次の時間はあなたも授業がないはずですよね」  私はこくり、と頷いてソファに腰を下ろした。高野先生は気が付いたかのように再度席を立ち、カーテンを閉めた。  これで、外からは誰が何をしているかわからない。何も悪いことをしようだなんて思ってもいないのに、高野先生と2人きりだとこの間寝てしまったこともあってなんだかばつが悪いような気分になった。  高野先生と向かい合って座ると、彼はじっと私の目を覗き込んだ。その目は全てを見透かしてしまいそうなほどに深い色をしていた。  高野先生といるのに、気分はちっとも浮かれない。私は、中村くんのことを考えている。付き合ってもいない(向こうにはそんな気もない)のに、浮気をしたような気持ちになって、私はスッと目を逸らした。 「どうして目を逸らすんです。今までのはるの先生なら、飼い主を目の前にした犬みたいに僕のことを見ていたじゃないですか」  今までそんな目をしていたのか、と我ながら情けなかった。そんな目を向けてくる女がいたら、そりゃあちょっとワンナイトと考えても不思議ではない。なるほど、あの夜を作った原因は私だったのか……  などと頭の中でぶつぶつと呟いていると、いつの間にか思考はあの時のキスに戻っていた。あの時の、中村くんの熱っぽい声が、脳に反響して、私の頬は赤く染まった。今まで、高野先生一筋だったというのに……自分がすごく優柔不断な人間に思えた。 「確実に、何かあったのでしょう。あなたは本当に分かりやすい人だ」  分かりやすい……中村くんと高野先生、ふたりに同じことを言われてしまった。もう大人だというのに、そんなに顔に出てしまっているなんて。なんとも情けない話だった。  先生は真剣な目でこちらを見続けた。本当のことを言うまでここを出さない、とでも言いたげな瞳だった。先生のスーツはいつも清潔で、グレーのスーツには埃ひとつついていない。その清潔さが、彼の意志をまっすぐに私に伝えているような気がした。 「その……これは架空の話なんですけど……高野先生は、好きな人がいるのに、別の人にキスをされてしまったら。もしそんなことがあったらどうしますか」   私は意を決して、彼にそう尋ねた。彼は一瞬眉間に皺をよせて、その後いつもの顔に戻った。その後、しばらく何か真剣に考えるような仕草をして、黙ってしまった。窓が僅かに開いていたらしく、埃でくすんだパステルグリーンのカーテンがゆらゆらと揺れていた。 「僕は、そんな経験はないのでわからないですけど。もし自分の好きな人が、他の男に唇を奪われたとしたら……嫉妬で狂ってしまうかもしれません」  彼は肘掛けで頬杖をついて、試すような目で私を見た。まるで映画のシャーロックホームズみたいに絵になっていた。 「その男がもし……自分の生徒だったとしてもね」  組んだ脚を下ろして、彼は立ち上がった。座ったまま見上げる彼の背はいつもより、とても大きく感じた。 「そのキスを忘れてしまうぐらいに、僕の口づけで上書きしてしまいたいです」  そう言った彼は屈んで、私の唇を奪った。今までで一番、強引で荒々しいキスだった。彼の舌は、愛撫するように私の口内を這い回った。私の頭は蕩けに蕩けきってしまった。涙が出てしまうほどに、気持ちが良かった。  数分間舌を絡めた後、彼は唇を離した。ふたりの唾液で湿った唇が空気に触れて、ひんやりと冷たくなった。 「僕以外の男のキスなんて、忘れてしまいなさい。必要なら、もっと唇を交わしましょう。30分でも1時間でも。それ以上だって、僕はかまいません」  私はぼうっとしたまま、彼の顔を見た。彼の顔はいつも通りとても端正で、かっこよかった。けれど、そこに浮かべた表情は私が今までに見たことのないような、嫉妬に満ちた表情だった。
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