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 けたたましいアラーム音が鳴る。うぅ、ウザい……、でも、さすがにもう起きなきゃ、と、私の頭のどこかが考えている。  んー、と声を発しながら、ベッドの上で体をひねってうつぶせになり、枕元のサイドテーブルに置いたスマグ――スマート・グラス――に手を伸ばす。体をあお向けに戻しながらそのメガネ状のデバイスを装着した。と、同時にミントが話しかけてくる。 「おはよう。もう六時半だよ。今日こそは六時に起きるんじゃなかった?」  ミントは私のパーソナル・アシスタントのAI。小六の頃からだから、もう四年以上の付き合いだ。私のことはなんでも知っている。でも彼女の言葉は骨伝導とかいう仕組みで伝わるので他の人には聞こえないし、スマグには生体認証がかかっているから私以外には反応しない。彼女から秘密が漏れる心配はない――たとえママにさえ。でなきゃそんなの誰も使わないよね。 「うっさいな……。起きられないんだからしょうがないでしょ」 「美咲(みさき)が起こしてって言うから起こしているんだよ」  私は返す言葉がない。ベッドからのそのそと起き上がった。両手を上に、全身でをする。体が重い、いつものことだけど。部屋を出て、私は階下(した)に降りる。 「おはよう、美咲。早くご飯、食べなさい」  居間に足を踏み入れた私にママのいつものセリフ。 「いらない、時間ないから」 「もう。朝ごはん抜くの、体に悪いわよ」  一応ダイニングテーブルの上に一瞥をくれて、そこになにか私の食欲をそそるスペシャルなものが置かれてないかどうか確認した。当然そんなわけはなく(いつものトーストにスクランブルエッグ、それにトマトサラダ)、私はそのまま洗面所に移動。朝食は私が食べなければ後から起きてくるパパが食べるだけなので無駄にはならない。  そういや久しくパパの姿を見てないな。朝、私が家を出る時にはパパはまだ寝てるし、夜はパパが帰る時間には私は自分の部屋に閉じこもっているし――。友達には羨ましがられるんだ、みんな父親が家で仕事してるから家では騒げないんだって。  私はスマグを外して洗面台の脇に置き、手早く歯を磨いて顔を洗った。――痛っ。ああ、またニキビができてる。それも鼻のテッペン。勘弁してくれよ……。洗顔を終え再びスマグを装着した私に、「あと十分で家を出ないといつもの電車に間に合わないよ」とミントが言う。まあ、いつものペースで物事が進捗しているわけだ。鏡の中の自分の髪型、少し寝癖がついているのが気になるけど、なんとかする時間がない。くしを少し濡らしてとかしてみたが、効果なし(わかってた)。  ドタドタと自分の部屋に戻って制服に着替える。それからスマグのリモコンを両手の指に装着するのも忘れない。いや何をおいてもそれだけは忘れない。それがなければ家の外では一瞬だって過ごせないんだから。 「出かける時間だよ」とミント。 「わかってる」  私はカバンをひっつかんで玄関に向かった。 「行ってきまーす」  居間から「行ってらっしゃい」とママの声。  ドアを開け、玄関を出る。  ほああ、と大きな欠伸をひとつ放ってから歩き出す。  天気は良いっぽいけど、落ち葉の季節のせいか、埃っぽい。このところ日に日に肌寒さが増してく気配が感じられてたのだけども、今日はそうでもないかな。  私はいつものごとく、右手のジェスチュアでSNSアプリを呼び出した。スマグの視界いっぱいにタイムラインが映し出される。もちろん歩行中モードなので表示は半透明だ。現実の外界が見えなくなることはない。  右手の親指と人差し指を擦り合わせ、私はタイムラインに書き込む。 『おはよう、エブリバディ』  すぐにその書き込みの既読カウントが数十と表示され、それから三桁に変わった。それと『イイね』のカウントアップも続々と。今日もみんなと繋がっている、この充実感、ていうの?  私はタイムラインをスクロールしつつ、みんなの書き込みを次々と『イイね』していった。今朝も通常運転。  そんな間にも、私はノロノロと前を歩いていたスーツ姿のジイさんをほぼ無意識のうちに追い越していて、その分、道路の中央側を歩いていた。そのとき突然、車が至近距離で私の横を走って行ったので、私はギクッとなってしまった。ふざけるなよ、まったく。ここは生活道路なんだぜ、もっと徐行しろっての――いや、わかっている。向こうはAIによる自動運転なんだから、これは私が新道路交通法的に規定外の動きをしてしまったというだけ。  駅への途中、信号のない横断歩道がある。私は信号のない横断歩道は好き。私が歩き始めると車が止まってくれるから。そういや小学校では横断歩道を渡るときには手前で立ち止まって左右を確認してから渡れと教わったが、あれはどうしてなのだろう。車の停止時間がそれだけ長くなって無駄なだけなのにな。人間が車を運転していた昔の名残なのかな。ときどきそういうわけのわかんない制度的なものってあるよね――。  私はいつものごとく、ずんずんと横断歩道を渡る。  さらに少し行くと、さっき渡ったのよりも幾分、広い道に突き当たる。もう少しで駅に着く手前あたり。そこはバス通りでもあるが、所詮ローカルな急行も止まらない駅の近隣でしかないので、さほど車通りが多いわけではない。駅への最短距離を行くにはその道を横切らないとならないのだが、問題は、ここには信号も横断歩道もないことだ。もちろん右か左にちょっと歩けば信号付きの横断歩道があるのだけれど、そっちに行くと一分以上のタイムロスなのだよ。余計に歩く分、体力も消費するし。だから私ん家方面から駅に行く人は皆リスク覚悟でここを横断するんだな。ここではさすがに私も〈少しは〉外界に注意を向ける。  その大通りを渡る手前で私は立ち止まった。見ると右から車が結構なスピードで走ってくるので、それが通過するのを待つ。と、私の後ろから歩いてきた男の人が立ち止まることなく、私を追い越して左から前に出た。――え? と私は思う。その人に周囲を見ている気配がない。スマグに夢中なのか――。  車の急ブレーキ音がした、と、次の瞬間、男の人の姿は私の視界から消えた。  すぐに左に目を向けた――停止した車と、地面に倒れている人。  うわぁ。  私は二、三歩、そちらに近づいた。  停止した車は、すぐに何事もなかったかのように走り去って行った。  男の人の体はピクピクと動いている。アスファルトがみるみる血に染まっていく。  私はさらに一歩、近づいた。その人の顔を覗き込んでみる。と、白目をむいていた。血まみれの腕のあたりから白いものが突き出していて、私は一瞬わからなかったのだけれど、どうやらそれは骨らしい。  ――すげえの見ちゃった。  私はすぐにスマグのモニターにキャッシュされている動画を取り出した。事故の寸前から私が白いものが骨と気づいたところまでを切り出し、『※閲覧注意 間抜けなオッサン、車にハネられ死亡?』とタイトルをつけてSNSにアップ。  すぐに既読数と転送数のカウントが始まる。 「美咲、いつもより遅れているよ。すこし急いで」  ミントが注意した。私は我に返った――ちょっと夢中になっていた自分に気づく。 「わぁーってる、って」  私は左右を確認してから急ぎ足で大通りを渡った。  他に人が周りにいなかったから、この事故の瞬間を撮れたのは私だけだな、と考えていた。少しドキドキする。 「いつもの1.2倍のペースで歩けば電車に間に合うよ」とミント。  私は頷いて、早足になった。  そのペースで二分ほど歩いて駅に到着。「時間通りだね」とミント。私はまた頷く。  いつもの混雑。改札を抜ける。エスカレータは待ち行列が発生しているのでスルーして横の階段を上ってホームに向かう。その間も私はSNSのタイムラインを眺めている。さっき私がアップした動画に次々とレスが書き込まれている。到底全部を読みきれないので、仲のいい友達の書き込みだけをチェック。 『まさにマヌケ以外の何物でもないwww』 『バカだね~』 『外界に最低限の注意を払えないヤツは死に絶えて当然』  ま、お約束の反応、ってヤツ――。  そんなことを思いつつ階段からホームに出た私は、次の瞬間、いきなし何かにけつまずいて、もう少しですっ転びそうになった。なんとか体のバランスを取りつつ、何事? と振り返ってみると、階段を上りきったところに人が倒れていたのだった。その体に私はつまずきかけたってわけ。チッ、油断してた。そして振り向いた私の視界の先で、今まさに後から階段を来た人が見事につまずいて転んでた。さらに後ろの人がその上に転び、人間サンドイッチ状態。  うわ、今日はいろんなものに遭遇するな、と思いつつも、電車がホームに滑り込んで来たので私はいつもの場所に並んだ。ちょうどそのとき、駅のスタッフらしき人が二人で担架を抱えて走っていったので、最初に倒れていた人はしばらく前――駅のモニターが異常を検知してスタッフが駆けつけるのに要する時間――からその状態だったらしい。  私の意識はすぐにSNSに戻った。歩行中モードから半移動モードに切り替わって画面がよく見えるようになる(その分、外界は見えにくくなる)ので、むしろ私としてはここからが本番。体はほぼ無意識のうちに電車に乗り込み、適当に空いていたつり革につかまっている。もう周りの乗客や電車の運行など、完全に意識外。まあ、周りの誰もが同じような感じなんだろうけどね。でもそういうことを頭の片隅にでも意識しているということは、どこかしらそんな状況に違和感を覚えている自分がわずかに存在しているのかもしれないな、知らんけど。
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