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 教室の自分の席についた頃には、私のアップした『オッサン死亡』と『人間サンドイッチ』の動画は転送数、イイね数とも五桁に迫る勢いだった。こんな数字は私にとっては初めて。いや、友達にだって(リアルのに限定すればだけど)、そんな数字をゲットしたことのあるヒトはいないはず。  コメント通知のウィンドウが目まぐるしくスクロールし続けている。そのままではまったく内容を読み取ることができないほど。  けども、そんなネット上の騒ぎには関係なく、教室の中はいつもの通りだった。私と一番仲の良い果歩(かほ)だけが「すごいねぇ、美咲の動画。バズってる、ってやつ?」と言ってきたのみ。 「ね、ね、気持ち悪くなかった? 直に見たんでしょ? あの、車にひかれちゃった人」と果歩。 「うん、そりゃあ、グロかったよ」――直に見たと言っても、スマグ越しになんだから、結局は動画見るのと何ら変わりはないのだけれども――。 「でも、美咲、すごいよね。ひかれた人に近寄ってったもん。私だったら、倒れてる人、見た瞬間、ピューってその場を立ち去るわ」 「アハッ、果歩なら間違いなくそうだよね。んー、私の場合は、まあ、怖いもの見たさ、ってヤツ?」 「さすが美咲。度胸ある」 「んなことないよ。ちょっと好奇心が勝っちゃっただけ」 「ね、」と果歩が一呼吸置いてから言った。「その人、ホントに死んじゃったのかな?」  思いもよらなかった質問に私も思わず一瞬、沈黙してしまう。慌てたように口を開いた私から出た声は少し大きくなった。 「え、いや、そんなことないんじゃね? 人はそう簡単に死なないっしょ」 「そうよねえ……」 「そ、それにほら、まだ動いてたし……」  それに死んでたらニュースになるでしょ、と続けたかったけどそれを言う前に始業時間を告げるチャイムが鳴った。反射的に私はスマグを外した。教室の皆もしぶしぶって感じで同じ動作をしている。学校ではスマグの使用は禁止されているのだ。実は本来の規則では通学中も使用NGとされているのだけれど、今時それはあり得ないでしょ、ということでその辺りに関しては有名無実化されているわけ。  ――なんか、クラスの皆がスマグを外した瞬間、私のことを見たような気がしたんだけど……あれかな、皆も私のアップした動画を見たからかな。  同じクラスとはいえ、ほとんどの人はかろうじて顔と名前が一致するかな、って程度でしかない。それは他の皆も同じようなものだろう。同じクラスタにいる同士でなければ会話などしないのが当たり前。しかも同じクラスタってのも、末端で判断する必要がある。例えば私と果歩は『近江屋(おうみや)好き』という同じクラスタにいる。『近江屋』というのは、今、流行のCV系バンドのひとつ。同じCV系でも『ヘブンK』クラスタの人とは決して理解し合えることはない。そりゃあ中には『近江屋』も『ヘブンK』も好きって特異な人もいるのかもしれないけど、それはむしろエセだろう。何もわかってないから両方好きだなどと言えるのだ。そういう人はどちらのクラスタにも属していないと見做すべき。一方、『近江屋好き』クラスタも、さらに『ボーカルのショージ好き』クラスタと『ベースのカズ好き』とに細分化されるのだが、そこの区分はさほど厳格ではない。お互いを許容する雰囲気があるし、両方に属しているという人がいても不思議ではない。その辺りの感覚の微妙さはその場にいる当人らにしかわからない。  もちろんこれは音楽の趣味に限った話でなく、あらゆるものごとにそれぞれのクラスタというものが存在するのだ。そして端的には私たちがSNSで誰をフォローし、どのチャットルームに参加しているかですべてが決まる。  誰かと誰かがリアルに顔を合わせたとき、スマグは一瞬にしてお互いが共通して所属するクラスタをリストアップする――どこまでを表示するかは、お互いが相手に抱いている感情とかをAIが読み取って適切に判断するのだけど――。だから私たちは初対面でも同じクラスタにいる相手とならばすぐに打ち解けることができる。  それがなければお互いに話しかける取っ掛りすら見つけることができない。それが私たちの住んでいる世界――。  いつの間にか授業が始まっていたけど、私はさっきの果歩の一言について考えてしまっていて、先生の話を聞き流していた。  でも、正直、あのオッサンが死んだのかどうかなんて、私には関係ない。私はたまたまGPS的に同じ座標に居合わせただけ。それ以上でもそれ以下でもない。私の目に届いた映像がネットを経由したか否かの違いでしかない。なのに何故、気になってしまうのだろう、私には関係のないクラスタの住人。  私は記憶をたどった――あのときにスマグにはなんて表示されてたかな。たしかたった二つぐらいしか出てなかったはず、あのオッサンと私の共通するクラスタ。『丘ノ上町の住人』と、もうひとつはなんだったっけな……。あ、そうだ『麻生区から都心に通勤・通学』だ。赤の他人と同義じゃん。そりゃあ群馬の山奥(私は行ったことがない)でたまたま出会った人がそのクラスタだったら奇遇に感じると思うけど――ちなみに私たちは「行ったことがないし、おそらく一生、行くこともないだろう」という場所の代名詞として、よく「群馬の山奥」と言うんだけど、これってウチの高校のローカルな流行なのかな。ネットではあまり目にした記憶がない。そもそも私は群馬に山があるのかどうかすら知らんわ。  あのオッサンをひいた車から自動的に消防に連絡が行って、ほんの二、三分後には救急車に回収されたはず。こういうとき、下手に動かすと命に関わることもあるってんでうかつに怪我人に触ってはいけないと言われているが、私はその点は守ったので何の問題もない。血に触れたりすると感染症とかのリスクがあるからそれもダメとされてるけど、それも大丈夫。私はそこまで近寄ってはいない。  救急車に続いて清掃ロボットも来たろうから、あのあと十五分もすれば事故の痕跡はなにひとつ残ってない状態になる(って中学で教わった)。私みたいに通りがかりの誰かがSNSに書き込んだり、あるいはオッサンが死んだりしてニュースにでもなったりしなければ、あんな事故は誰にも知られることなくただの数字――駅前の交番の古臭いディスプレイに表示されてるヤツ――になる。私の動画やネットのニュースにしたって、その瞬間に流れ去っていくものに過ぎない。もちろんタイムラインをさかのぼれば、いつまでもそれはそこに残ってはいるのだろうけど、よっぽどのことがなければ、その他諸々と同じように二度と誰の目に触れることのない情報となる。  ――あれ、なんで私はこんなことをうだうだと考えているのだろう。『イイね』ゲット数、初の五桁越えなんだから単純に喜ぶべきところなのに。私はちょっと緊張しているし、なぜだか自分に言い訳している。そういうものなのかな、バズるのって。  休み時間のたびに私はこっそりスマグを装着して動画の反応をチェックした。見るたびに反応はゆるくなっていて、お昼にはもうほとんど収束している感があった。  昼休みになったので、私と果歩はいつものように食堂に行った。  私がカウンターの列に並んでキツネうどんをゲットしている間に、果歩が席を確保してくれている。彼女は常に弁当持参だ。  ナプキンを広げ、その上に小さな弁当箱を並べて待っている彼女の前の席に、私はうどんを乗せたトレイを無造作に置いた。  果歩は「いただきまーす」と両手を合わせた。私は箸を手にうどんをすすり始める。 「ね、ね、知ってる? 動画をバズらせたせいで退学させられちゃった人がいるって話」  その果歩のセリフに思わず私は口の中のうどんを吹き出しそうになった。こらえて、なんとか飲み込んだ。 「んなの聞いたことないよ」 「私も詳しくは知らないんだけど、なんかそんな話をチラッと聞いたことがあるな、ってのを思い出しちゃって」  果歩は弁当のご飯を小さく箸で口に運びながら言った。私はプラスチックのコップから水を一口飲んで、こう返す。 「どうせ都市伝説的なものじゃないの」 「そうよね。動画をバズらせたからって退学させる理由にはならないもの」 「うん」私は再びうどんをすする。 「動画の内容がヤバければ別かもしれないけど」果歩は続けた。 「ああ――、エッチしてる動画とか?」うどんを噛みながら私。 「それとか――、動画の中で、お酒飲んでたり、タバコ吸ってたり、とか」 「それで退学まで行くかな。むしろ、クスリやってたり、とかじゃない? それなら一発で退学っしょ」 「いやそれもう警察沙汰じゃない」果歩は笑った。「でも、学校にバレちゃうなんてマヌケよね。なんでそういうとこ、うまくやらないのかしら」  私は箸の手を止めた。私たちが普段メインに使っているSNSは匿名性の高いものなのでそのアカウントから私たちの実名に繋がることはない。でも、当然、友達同士ではお互いにアカウントを教えあうし、入学した当初は誰かと話をする機会があるたびにお互いアカウントを交換し合うのが礼儀のようにもなっていたので、なんだかんだ言って、クラスの人たちのアカウントはほとんどがアドレス帳に登録されているのが現状だ。ただ私は、今となってはそれらのアカウントのどれが誰のものなのかを全部あてる自信はないけれど。  ――私は大丈夫なハズ。事実上、私のアカウントが私のものだとクラスの全員が知っているとしても、それを後から証明するものは何もない。それにそんなことをチクるような奴もいないだろう、下手したら校内でのスマグ利用を厳しくされて自分自身も被害をこうむりかねないのだから。  私は口を開く。 「タイムラインをさかのぼってってウチの生徒だって証拠を探したのかなあ。でもそれだって決定的なものになる? SNSにあるものなんて、なんもかも真偽不明だよね。それはフェイクです、知らない人が勝手に自分の画像をアップしたんです、って言っちゃえば証拠になんかならないんじゃないの」 「確かに。そうだよね」  私はずるずるとうどんをすすり、彼女は弁当を口に運んだ。  いつもの日常。私たちはお喋りを続け、アップした動画のことなどもう随分前のことのように感じていた。
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