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 ――ああ、それにしても面倒なことになっちまったなあ。動画がバズったと興奮したのも束の間、あっという間に谷底に突き落とされた気分……。  そんなことを考えながら私は廊下をトボトボと歩いた。もう昼休みは終わっていて、掃除の時間になっている。今週は私は当番じゃないので焦って教室に戻る必要はないが、考えてみれば掃除だって教室以外のところは全部ロボットがやるのに、なぜ教室と廊下だけは自分らで掃除しないとならないのか。  まったくもって意味がわからない。ホント、学校ってのはわけわからないことだらけだよ……。 「あ、いたいた、美咲ぃー、見て見て、スゴイよぉー」  教室の近くまで戻った私に向かって、いつになく興奮した様子の果歩が手を振りながら小走りに向かってきた。廊下の真ん中で私たちは向き合う形となった。果歩が自分の顔にかかっているスマグを指差すので、廊下の端に寄りつつ私はポケットからスマグを取り出して目にかけた。  果歩が指先で操作して私にリンクを転送する。私はすぐにそれを開いた。  それが私の動画に対するコメントだということはすぐにわかったが、そのコメント主を示すアイコンとアカウント名が見慣れた物だったにも関わらず、それが意味することを理解するのにワンテンポを要した。  それは『近江屋』のショージからの、私の動画『人間サンドイッチ』に対するコメントだったのだ。 〈アハハ、これは笑えるね! しかも現代社会に対する風刺にもなってる。今度、『人間サンド』って曲を作ろうかな〉 「これ、ホンモノ?」  思わず私はそう口にしてしまった。 「本物よお。ちゃんとマークが付いてるじゃない」  芸能人なんかの著名人アカウントには、SNS運営が当人のアカウントであることを保証することを示す認証マークが付いているのが通例だ。このコメントのアカウント名の横にはそのマークが表示されていた。 「スゴい……」  私はすっかり興奮しきった表情になっていたはずだ。果歩が両手をハイタッチのポーズに構えたので、私はすかさずそれに応じた。そして嬉しさのあまり、そのまま彼女の両手をつかんでシェイクした。彼女も喜んでくれている。二人でその場で向かい合わせに両手を握りしめたまま、私たちは飛び跳ねた。 「スゴーい」 「スゴいねー」  もう授業どころではなかった。むしろなんでいつも通りに授業が行われていて皆があたりまえのように座って聞いているのかが不思議に思えた。  あの『近江屋』のショージが私の動画にコメントしたのだ。なんという身に余る光栄――私にとってはオリンピックで金メダルを獲ったに等しい。にもかかわらず、ここでこうして午後の授業を受けているなんて。  もはや自分が謹慎処分を受けるかもしれないことなんぞ、どうでもよかった。  ショージがコメントしてくれたおかげだろう、午後の授業開始直前に確認したときには私の動画のイイね数は再び伸び始めていた。  ああ、私の本当の居場所はネット上のクラスタの中であって、こんなつまらない高校生活じゃないんだ。あそこでは皆んなが私を認めてくれる。ずっと繋がっていたい――私は両手で頬杖をついたポーズでそんなことを思っていた。  もちろん私は授業が始まる前に一生懸命考えてショージのコメントにレスをつけた。 〈アウアウ。ショージにコメントもらえるなんて! 光栄すぎる!! 今度の渋谷のライブ観に行きます。応援してます❤️〉  これが精一杯。あまりウザいレスするとクラスタの人たちから嫌われるし。そのへんはわきまえないと。  そんな冷静な対応を表向きにはしておきつつも、私は授業時間じゅう、ありえもしない妄想を思い描いていた。頭の中では、ショージと私の間にカズが横槍を入れてきて三角関係に発展するところまで行ってた。我ながらバカバカしいとは思うけど、止められないのが妄想ってヤツ。いいじゃん、頭の中だけなんだから私の自由にしても。  終礼の時間になっても私はまだボーっとしていた。最後に起立して礼をした後、高橋センセーは教壇からまっすぐに私を見ていた。目が合うと先生は小さく頷いた。その目は「大人しくしてろよ」と語っていた。私もしぶしぶと頷き返した。  そのせいということでもないが、私はまっすぐに家へと帰った。というか果歩が――彼女には高橋センセーから言われたことを概略、報告済みだ――今日は帰ったほうがいいんじゃないかな? と言ったのだ、私がいつものように寄り道に誘ったら。 「こういうときに限って、寄り道してるところを先生に見られちゃったりするもんなんだよ――ほら、心証というものがあるじゃない」 「えーっ、果歩までそんなことを言うの」 「心証というのは大事らしいよ、ウチのお父さんが言ってたもん。『お前らデジタル世代はすぐにルールを杓子定規に考えるが、最高裁の判決だって心証に左右されることがあるんだぞ』だって」 「デジタル世代――いつの言葉だよ」 「ウチのお父さん、歳、いってるからさ。もう六十近いもん」 「ふーん……。でもルールはルールじゃん。心証なんかで判断されたら、見た目がマジメそうなヤツとかばかり有利ってことじゃん。そんなん公平じゃないっしょ」 「それはそうだねぇ」 「バカらしい。やってられっかっつーの」 「美咲、そもそも世の中は公平じゃないんだよ。ささいな心証ひとつで人生左右されるんなら、そこで損する側に行っちゃうことこそあまりにもバカらしくない?」  ぐうの音もでなかった、私としては。  いつもより相当に早い私の帰宅に体調でも悪いのかと心配するママを適当にあしらいつつ、私は自分の部屋に閉じこもった。  学校から家に連絡は来ていないようだった。まだ私の処分は決まっていないのだろう。  あるいは学校から連絡が来る前にママに状況を説明しておいたほうが「心証」とやらがいいかもしれん、などとも思ったが、いやいや、おとがめなしになる可能性もあるし、そしたら藪蛇だ――と考え、黙っていることにした。  そんなことよりショージからコメントをもらったことの幸せに浸っていたい――。  ベッドに寝転び、いつものように私はSNSを眺めたが、皆んなの書き込みにイイねをするばかりで発言はしなかった。普段、私がしているような当たり障りのない書き込みをするだけなら「心証」への悪影響はないだろうと思えたが、いざ書き込もうとしても、読み手がそれをどう受け止めるかを考え出すと、その内容如何にかかわらず私の手は止まった。その間にタイムラインは流れていってしまう。  別に書き込みを控えようだなどと考えているわけではないのに、なぜだか書き込めない。最初のうちはそんな自分の状態に気づくことすらなかった。  ただ「イイね」ばかりクリックしている自分がいた。  投稿のための入力ボックスを開き、書き始めようとする瞬間に言葉は失われた。 「ま、いっか」  私はそう呟いてボックスを消した。
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