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けたたましいアラーム音。
――まだ二回目だから大丈夫。もう少しだけ寝ていたい……。
ところが次の瞬間、アラームはさらなる爆音へと変化する。
私は慌てて飛び起きた。
枕元のスマグを取り上げる。音は止まる。
「おはよう、美咲。六時四十五分。いつもより遅いよ。急いで」
ミントが言う。
「ヤバっ」
私はその場で制服に着替え、リモコンを指に装着し、カバンをひっつかんで部屋を出た。慌ただしく階下に降りる。
「あら、美咲、遅いじゃない。どこか悪いの? 学校休む?」というママの声を聞きつつ私は洗面所に向かう。スマグをつけたまま歯を磨き始める。
「大丈夫、寝坊しただけ」
歯磨き中のモゴモゴした声でママにそう返した。
「明日はもっと早くにアラームをセットしなさいよ」とママ。
うがいをしてから私は返す。
「ママ、明日は土曜だよ」
「あ、そっか。じゃ、来週からでいいけど」
まったく専業主婦ってやつは曜日感覚にトボしいな――なんて私は思うけど、口にはしない。そのたぐいのことを言うとママの機嫌を損ねる。
「行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
靴を履くのももどかしく玄関から出たら、「慌てなくていいよ、いつもより一分早い」とミントが言った。ちょっと急ぎすぎたか。チッ、それなら石けんで洗顔したかった……。
いつものように私はSNSアプリを起動した。
『おはよ〜 寝坊したんで慌てて飛び出したらいつもより早かった(ガックシ』
すぐに『イイね』のカウントアップが始まる――気のせいかもしれないけど、いつもよりその出足が遅い。
――昨日、あの二つの動画とショージのコメントの威力で私のフォロワーが結構増えてたんだよな。通知が多すぎて数はわからないけど、数十人、もしかしたら百人以上だったかも。だから今までより『イイね』もスゴいことになるんじゃないかと思ってたんだけどなあ……。
変な期待をしてたせいで反応が鈍いように感じちゃったのかも。
私はタイムラインの皆んなの書き込みを読みながら次々に『イイね』する。
そうこうしているうちに、昨日、男の人がはねられた場所が近くなる。――そういや、あのオッサンはどうなったのかな。ま、ニュースになんなかったみたいだし、どうせ大したことはなかったんだろ。
もし、あの人が検索かなんかして私のアップした動画を見ちゃったりしたら、どう感じるんだろう――ふと、そんな疑問が頭に思い浮かんでしまった。
そんなこと当人じゃなきゃわかりようもない。
それに、あの動画が存在することを知ってるのでもなければ検索で探すようなことするわけないから、あのオッサンが私の動画にたどりつく可能性なんてゼロに等しい。いや待てよ、もし誰かあのオッサンの知り合いとかがたまたま私の動画を見てて、それを当人に教えちゃったりしたら? んー、ありえなくはないだろうけど、それだってよほどの偶然が重ならないと起こりはしないだろう。0.001パーセントの可能性が0.01パーセントになった程度。あの動画を見た人が数万人いるっつったって、所詮は私の属するクラスタ内だけの話。あのオッサンはたまたまGPS座標的に私と重なっただけの赤の他人。他にはなんの繋がりもない。
私は事故の現場の横を通る。チラとオッサンの倒れていたあたりに目を向ける。
もちろんそこには何の痕跡も残っていない。あえて言えば、そのあたりだけ周辺よりも道路の表面が綺麗になっている感じがある。それだって意識して見なければ誰も気づかない程度。
私は急ぎ足で道路を渡った。
――それにもし、あのオッサンが私の動画を見るようなことがあったとしても、あれは私の目の前に起きたことの記録に過ぎないのだから、私がそれをアップしたことに何の問題もない。むしろあれを見て自分のバカさ加減を反省してもらいたい。
そう、私の動画は愚かな歩行者の行動を世に示すものでもあるのだから、それをアップしたことに対して警察からちょっとした表彰があっていいくらいだ。
朝礼の最後に高橋センセーが言った。
「河野、昼休みにちょっと職員室に来てくれや」
私は「はい」と返した。
教室の皆んなはそれに対して特に反応を示さなかった。別に関心もないのだろう。
――どんな話になったのかな。……でも、停学処分とかなら構内の掲示板とかにデカデカと貼り出されるのが常だし、おそらくはヤバい話にはならなかったのでは。
そんなことを考えつつも、私はどこかしら落ち着かないものを感じていた。
授業の始まる前に果歩がやってきて「大丈夫かなあ」と心配そうに声をかけてきた。
「ま、大丈夫でしょ。なるようにしかなんないし」
私はわざとリラックスした口調でそう返した。「そうだよね」果歩はうんうんと小さく頷いた。数学の田所先生が教室に入ってきたので、彼女は席に戻った。
その後は何もなく普通に授業が続いて、休み時間には果歩ともいつものようにたわいない会話を交わしたけども、彼女も私も高橋センセーからの呼び出しについては触れなかった。
昼休みになって、私は真っ先に職員室へと向かった。
ドアから入ってきた私に気づいて高橋センセーは自分の席に座ったままで私に大きく手招きして見せた。
「おお、来たか。昼飯の後でもよかったんだが」
席のすぐ後ろまで来た私に先生はそう言った。机の上に弁当の包みらしきもの――おそらくは愛妻弁当――が置かれていたが、まだそれは開かれてはいない。
先生は立ち上がって、ついてくるようにと私にジェスチャーで示し、歩き出した。
連れて行かれたのは生活指導室だった。
その小さな部屋の真ん中にどっかと置かれた机を挟んで私は先生と向かい合う形に座ることとなった。ちょっとため息が出る。
「河野」
先生が口を開いたので、私は顔を上げた。
「昨日の夜な、先生方で会議して、お前の処分が決まった」
私は頷いた。次の言葉を待つ。
「ま、処分、つうか、処分であるには違いないんだけど、今回はお前の将来をおもんぱかって公式なものにはせず、そのかわり、ボランティア活動をしてもらうということで収まった」
「ボランティア?」
「学校から駅までの通学路を清掃してもらう」
――は?
「それは、罰として、ということですか?」
「そう受け取ってもらっていいだろう。お前に人間的成長の機会を与える、ということなんだがな」
「なにそれ。それに罰ならボランティアとは言わないでしょ」
「だからボランティアってのは表向きの話なんだよ。罰だったら懲罰記録につくことになるだろ、そしたら推薦も厳しくなるわけだし」
「うーん」私は唸った。
「河野よお、それが大人の対応ってやつなんだって。ボランティアってことにしとけば内申にはむしろプラスになるわけだし。つまりは教育的指導、ってことだよ」
「よくわかんない……けど、とにかく掃除すればいいってこと?」
先生は頷いた。
「明日の土曜な。用事があるならその次の週になるが――大丈夫だな。じゃ、八時半に昇降口前に集合。何か質問はあるか?」
私は力なく首を振った。
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