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翌朝、指定された時間のちょい前に学校まで来た。
校庭では運動系の部活の生徒らが声を出しながら練習に励んでいる。土曜だというのにご苦労なこったな、とそれを見た私は思う――ご苦労なのは今日は私も同じだけど。
昇降口前には一人の先客がいた。背の高い女子生徒――見覚えはある。確か同じ学年のはず。
私が近くにまで行くと、彼女は顔を上げて、私を見た。その目にはスマグがかけられている。私は小さく頭を下げた。合わせて向こうもうなずく。
「あんたもボランティア?」
苦笑交じりの声で彼女は口を開いた。「うん」私は短く返す。その瞬間、スマグが反応し、彼女と私の共通するクラスタがバーっと視界にリストされた。
彼女も私と同じくCV系バンドの音楽をよく聴くらしい。だが彼女のいるクラスタは『ヘブンK』と表示された――そこは私とはまったく共通しないのだが、どういう仕組みなのだか知らないんだけど、時にスマグは共通するポイントだけでなく、上位のクラスタが一致しているというだけで、共通しない下位のクラスタをリストする。『お隣さん』的な機能と紹介されていた記憶がある。『近江屋』と『ヘブンK』とじゃ全然お隣さんなどというお気楽な関係じゃないんだけど。
当然、彼女のスマグにも私のクラスタが表示されているだろう。その表情がおかしさを抑えきれない、って感じのものになった。
「てか、あんた、オーミなんて聴いてんの?」
近江屋のファンは決してオーミなんて呼ばない。メンバーがそれを嫌がるから。
「あんな、誰でも思いつきそうなフレーズを延々と繰り返すだけのヤツ」
そう彼女は続けた。私はカチンと来た。
「なによ、ヘブンなんて二つの異なるジャンルの音楽を無理やりぶつけてリスナーの意表を突こうとしてるだけじゃん」
「フ、そこがイイんじゃん、何言ってんの」
「人の神経さか撫でして喜んでるだけでしょ」
「へっ、オーミなんてBGMじゃん。聞き流して何も残りません、ってヤツ」
「歌詞を聞かないからそんなことが言えるんでしょ。ヘブンみたいに軽い言葉並べてるだけじゃないのよ、ショージは」
「あのなあ、ケイはよ、歌詞から抽象的な表現というものを、一切、排除してだなあ……」
彼女がヘブンKのボーカリストを擁護する言葉を並べようとした時、昇降口の内側から誰か出てきた。見ると、化学の吉崎先生だった。珍しくジャージ姿である――いつもは白衣着てるのだけれど。
彼女がスマグを外したので、私も慌てて外す。
「おっ、お前たち。友達同士か」
先生は私たちに向かって言った。
「違います」
二人の声が揃ってしまった。
「お前ら二人だな、今日のボランティアは。一年A組、藍原めぐみ」
「はい」彼女が返事した。――藍原か、覚えとくぞ。近江屋をコケにしよってからに。
「D組、河野美咲」
私も「はい」と返す。
「二人とも初めてだな。じゃあ、要領を説明しよう。こっち来な」
吉崎先生は校舎に沿って東側へと歩き始めた。私たちもノロノロとその後に続く。
東西に長い形の四角い鉄筋の校舎の東側にさして大きくもない物置がある――中に何が入っているかなど私は気にしたこともなかったが。先生はその前に立ち、手に持っていた小さな鍵で解錠した。ガタガタと音をさせて扉を横にスライドさせる。内部は上下に仕切られている。下が広くて上は狭い。下にはラインマーカーが数台と、巻かれたネット(たぶんテニスコートに使うヤツ)なんかが置かれていた。上には手提げ袋やら何やら。
先生は上の棚の手提げ袋を取り出した。
「カバンは上の棚に置きな。作業中は鍵閉めとくから」
藍原が自分のカバンを置き、続いて私も自分のをその隣に置いた。その間に先生は手提げ袋から必要なものを取り出していた。まず軍手を手渡された。顎をしゃくって先生はそれをはめるように私たちに促した。次に蛍光色の薄いナイロンのベスト。
「これ着けてると、ボランティアらしく見えるからな」と先生。
私たちはそれを身にまとった。
「だっさ」と藍原が漏らす。
その次に渡されたのはビニール袋二枚。それからトングみたいなののでかいヤツ。
「拾うのは基本的に人工物だけでいい。空き缶、空き瓶、空き容器、紙くず、もしあれば吸い殻、その他。枯葉とかの人工物でないものは回収しなくていい、キリがないからな。ただ、大きめの枯れ枝とか通行の邪魔になりそうなものは回収しろ。それから粗大ゴミに類するものがあっても手を出すな。まあ、ないとは思うがな」
「大きめの枯れ枝って、どれくらいのものですか」
藍原がぶっきらぼうな声で質問した。
「そうだな……、じゃあ、目安は二十センチ以上」
なんか、たった今、そのルールが制定されたかのような先生の口ぶりだ。
「それから、資源物とそうでないものは別々の袋に入れろ。そのため袋を二枚ずつ渡した」
「犬のフンは自然物に含まれますか」と藍原。
「そうだ。言葉通りに受け止めろ。それから、もっと微妙なのは人の嘔吐物だが、これも自然物と見なして良い」
――ていうか、どちらもすぐに公共の清掃ロボットに回収される事案じゃん、そんなものが路上に落ちてるのなんて、まず、見ないよ。
私の心のツッコミを感じ取ったかのように先生は続けた。
「もしもそういうものがあったら戻ってきた時に場所だけ俺に報告しろ。こちらから区役所に連絡する」
それから先生は一旦、話をやめ、藍原と私の顔を順番に見てから再び口を開いた。
「そして、ここからが重要だ。お前らが清掃するのはここから駅前のロータリーまでの通学路だ。道の右半分は、藍原、お前の担当。それから左半分は河野だ。ここから駅前までゴミを拾いながら行って、帰りも同じようにしながら帰る。右は藍原、左は河野。つまり、行きに藍原が拾ったエリアを帰りは河野が担当することになる。二人ともしっかり仕事していれば、帰りにはほとんど拾うものはないはず――ゼロとは限らんがな、行きと帰りの間に誰かがポイ捨てする可能性もあるし」
そう言いながら先生は紙袋から再びビニール袋を取り出した。最初に受け取ったのが透明なものだったのに対し、今回のは半透明だった。
「帰りに拾ったものはこの三枚目の袋に入れろ。分別の必要はない。帰りのものは全部、これだ」
先生は袋を私たちに手渡す。
「なにか質問は?」
二人とも無言。
「最後にひとつ忠告。帰りの袋にあまりにも多くのゴミがあった場合、そのエリアを行きに担当したものは再度ボランティアをやることになる」
――そういう仕組みか。サボって適当に済ますわけにはいかないわけにはいかない、と。でも私たちがお互いに共謀してサボるという手は残されてるんだけど。つーても今回はその手は使えそうもないよね、すでに険悪モードだもん。
「行きに拾ったゴミを帰りの袋に移しかえられたらわからないんじゃないですか?」
藍原が言った。――なるほど、確かに。
吉崎先生は、ハハッと笑った。
「お前らがそんなことはしないと信じている。二人ともまじめにやれば済むことだ。だいたいどれくらいのゴミが集まるものなのかは俺にはよくわかってるしな。――それじゃ、始めろ。二人とも戻ってきたら、俺は体育館で卓球部の指導をしてるから呼びに来い」
そう言うと先生は私たちにうなずいてみせ、私たちが行くのを待つ顔つきになった。
私はチラと藍原の顔を見て、それから踵を返した。彼女も無言で歩き始める。
校門に向かってタラタラと歩いたが、彼女も同じような感じだ。私に合わせてるのかな。もしかして少しは仲良くしようという気があったりするのだろうか。
「なんで帰りのゴミは分別しなくていいんだろ」
独り言のように私は呟いてみた。
くっ、と笑いのような声が藍原から漏れたのが聞こえた。
「おま、そんなこともわからないの。帰りのやつは先生が細かくチェックするからだろ。取り出して何が何個あるか数えたりすんだろ、どーせ。そしたら別々の袋に入ってるよりか、ひとつのほうが楽じゃん」
彼女の言い方にはカチンとくるものがあったが、話の内容には納得できた。感心した口調で私は返す。
「はあん、なるほど。そういうことか。てか、よくわかるね、そんなこと」
少し拍子抜けしたかのように彼女の声はトーンダウンした。
「ちょっと考えてみりゃわかる話だろ。まったく」
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