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開演五分前
「あれ、なにしてんの?」
体育館にいるはずの私を下駄箱の前で見つけた文化祭実行委員長が言った。
辺りは祭りの終わりをにおわせるような静けさだった。受付にいる生徒たちも仕事を終えた顔で退屈そうにしている。来客者の外靴を入れる用のビニール袋が廊下の隅に逃げていた。
委員長は私の腕にかけてある衣装を見た。
「え、なに? ばっくれ?」
「いや、違うから。私監督だから」
「あ、そっか。じゃあ誰かばっくれたの?」
「ばっくれてたの」
「マジ!」
「マジ」
委員長は見開いた目と口を周りに気づかれないような速度で閉じていった。
「そんなんでやるつもりだったんだ」
「こないって決まってたわけじゃないから」
ここまでの道のりを思い出して、すねた口調になった。それで彼女は私の心の内がわかったのかにやりと笑った。
「ふーん。やるじゃん」
「そうだよ」と私は投げやりに言った。「もう忙しいんじゃないの? はやくいきなよ」
「そうだね。ばっくれたやつを体育館に見にいかないと」
私は委員長を見た。
「うそうそ。私も裏方だから少しは気持ちわかるよ。よくがんばりました」
「まだ始まってないから」
そんなかっこいいこと言っちゃってと、彼女は私の恥ずかしさを強調するように指さしながら体育館の方へ歩いていった。その背中を見送った時に見えた壁かけ時計は二時三十五分だった。
私はたまらず上履きのまま、下駄箱の外に出た。
あと五分あるとポジティブに考えようとしても体の落ち着きは止められない。
まるでそうすることで主役を呼び寄せているかのように、外玄関のタイルの上をうろうろと何往復もする。
一分経った。
手汗が止まらない。喉の下まで胃がせり上がってきそうだ。
スマホが鳴った。主役からの着信。電話に出るのを一瞬ためらった。こめかみを汗が伝う。思い切って通話ボタンを押した。
『どこにいるの!』
予想もしていないセリフだった。
数秒、頭が真っ白になって、一言目はひどくどもってしまった。
「どこって……そっちこそ今どこ!」
『学校に決まってるじゃん』
「うそ! 私下駄箱にいるけど見えないよ」
『下駄箱! 体育館の前まできちゃったよ!』
「体育館! なんで! いつ!」
ずっとここで見張っていたけれど、下駄箱の前を通り過ぎたのはママ友らしき女性二人だけだった。車を見逃すはずない。
「車じゃないの? どこから入った?」
『狭い方の校門』
「どうやって」
『踏切りのところで渋滞してたから、車降りて脇道を走ってきたの。それよりはやくしないと開演しちゃうよ』
なんでそれを私が言われるんだ?
「すぐそっちいくから中入ってメイクしてもらって」
電話を切り、スマホを叩きつけたい衝動をなんとか抑えて体育館へ走る。怒るのはあとでいくらでもできる。
私の裏舞台クライマックス。汗だくになって階段を駆け上がった。
体育館に入る。主役に衣装を届けることに夢中で客席がどれくらい埋まっているのかは見えなかった。
舞台袖へのドアを開け、くーみんにメイクをしてもらっている主役の姿を目の端でとらえる。側で手伝いをしていた矢島さんに衣装を渡した。
それからひとつ息を吐いて、私は舞台に立った。
「よし、幕開けるよ!」
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