裏舞台

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開演四時間前  クラスの出し物が始まったのは九時半で、お客さんが入り始めたのは九時五十分過ぎだった。  どっと押し寄せることはなかったけれど、ぽつぽつと途切れることなく入ってきて、私は『心臓』のことを気にしながら働いていた。  出口近くのテーブルに商品を届けたところで、岡野先生が廊下から呼んでいるのに気づいた。  側にいたクラスメイトに断って廊下に出る。普段ならフリフリの襟に、長いエプロン、三角巾をつけた衣装で廊下に出るなんて考えられないのに、文化祭の時はそれがなんの違和感もなくできてしまう。いつものジャージ姿、ポニーテールで右腕になぜか輪ゴムをはめている岡野先生の方が目立っているような気がした。 「聞いたよ。主役きてないんだって?」  岡野先生は声を潜めて言った。 「そうなんです。私も何度か電話したんですけど出なくって。先生にも連絡入ってないですよね」 「きてない。担任の先生からもなにも言われてないし、どうしたんだろうね」 「あいつ逃げたのかなあ」 「主役に決まってうれしそうだったけどねえ。それだけ不安だったのかなあ」  もしかしたらそうなのかもしれない。かもしれないけど、そこを乗り越えてくれなきゃ幕は開けられない。 「先生、家に電話してもらうことってできますか? それか親御さんとか」 「そうだね、そうしよっか。電話してみる」 「それから生配信のことなんですけど」 「どうした? やっぱりダメだって?」  もともと岡野先生が生配信に反対していたのは知っているけど、そんな期待した顔で聞かないでほしい。 「その、配信するなら音楽の著作権の手続きがいるらしくて」 「あら、手続きしてないよね」 「はい」 「じゃあどうする」 「今から手続きしてもらうことってできませんかね」 「えー」岡野先生が宙を見上げた。考えている振りをしながら断る言葉を探しているかようだった。「今からはさすがに難しいんじゃないかな」 「そこをなんとか! ダメだったらダメだったであきらめるんで、できるかどうかだけ聞いてみてください。お願いします」  私は深く頭を下げた。  遠くからざわざわと人の話し声や足音が聞こえてくるのに、自分の周りだけは静けさが勝っていた。 「わかった。なんとかできないか聞いてみる」 「ありがとうございます!」  岡野先生は特に演劇に興味があるわけじゃなく、なんとなく顧問になったような先生だったけど今は岡野先生でよかったと思う。 「三年生は最後の文化祭だもんね。がんばりたいよね」  投げかけられる笑顔に、私も笑顔を作ってこたえた。 「私はさ、文化祭ってあんまりいい思い出ないんだ」 「そうなんですか」 「帰宅部だったし、クラスの出し物もあんまり乗り気になれなかったしね。でもみんなを見てると、もうちょっと楽しんでおけばよかったなあって思う」  当たり前だけど先生にも学生時代があって、それなりに楽しい思い出や苦い思い出があったんだ。その割に私たちの想いはなかなか先生たちに伝わらない。 「それ似合ってるね」  岡野先生は私の衣装をあごでさした。 「そうですかねえ」 「他の子は役によっていろいろ着回すけど、監督はいつも同じでしょ。だから、そういうかっこうしてるとなんだか新鮮に感じる。あなたもなにか役をやって表舞台に立てばよかったのに」 「私は監督でいいんです。監督でいたいんです」  たぶん岡野先生は覚えてないと思うけど、これを言うのはもう三回目だった。そのたびに先生は満足そうにうなずいた。 「じゃあ家に電話しておくから。楽曲のことも確認しとく。それと、みんなうろうろしてるみたいだけど、準備は大丈夫なの?」 「あ……はい。緊張するといけないんで、午前中いっぱいはフリーにしました」 「そっか。初めての大舞台だもんね」  岡野先生を見送り、教室の中へもどる。  どうにか怪しまれず『心臓』を探せているみたいだ。誰も口をすべらせていないみたいでそれも安心した。  ただそれ以上に不安なことがあった。もし主役がこの舞台を開演させないために『心臓』を盗んだとしたら。  彼女はそんなことするやつじゃない。演劇部に入った日、自己紹介で私は監督に、あいつは主役になりたいと言った。だから私は脚本を書く段階から主役を彼女に想定して作った。  最初に主役をやってほしいと頼んだ時、彼女はしぶっていた。自信がなかったからだ。けれど「私なんかが……」とこぼすその顔には、はっきり「やりたい」と書いてあった。  役者より役者のことを知らなきゃいけない。  去年卒業した先輩の監督に言われた言葉だ。  役者の中に秘められた内なる力を監督は知っている。私も彼女の中にある「やりたい」という情熱を知っていた。 「お客さん案内してもらっていい?」  クラスメイトに声をかけられ、私は入り口へ急いだ。 入り口で待っていたのは沢井だった。 「どうしたの?」 「客っす」 「『心臓』は?」 「まだ見つかってないっす。休憩ぐらいいいでしょ」  口をとがらせる沢井の頭にはまだ寝癖がついていた。 「まあ、いいけど。何人?」 「一人っす」 「あんた友達いないの?」  沢井を空いている席へ案内し、メニューを渡す。 「なんかないんっすか? こう「ご主人様おかえりなさいませ」的なやつ」  さっきからずっとニヤニヤしているのがムカつく。  私は小さく息を吐き、 「いらっしゃいませここはワンダーキングダム人間のお客様はあなたが初めてですどうぞごゆっくりお過ごしください」  一息で言った。 「ちょー棒読み。それでも演劇部っすか」 「うるさい。もう忙しいの。はやく選んで」  沢井の腕を持ってメニューを顔に近づけてやると、「見えないっすよ」とうれしそうにした。 「この『鳳凰の肉』ってただのからあげっすよね」 「なに? 営業妨害?」 「違いますよー。確認です、確認。てか、監督のその衣装なんっすか?」 「村の娘」 「異世界関係ねー」  冷やかしたいだけの沢井は無視して、注文は勝手に『鳳凰の肉』と『生き血ジュース』に決めてやり、私はカーテンで仕切られた厨房へ入った。 「『鳳凰の肉』と『生き血ジュース』一つずつ」 「了解」  厨房のスタッフが返事をする。 「今話してたの誰?」 クーラーボックスからトマトジュースを取り出しながら話しかけてきたのは、クラスメイトの今宮だった。頭に角を付け、黒いマントを羽織った悪魔のかっこうをしている。 「部活の後輩」 「仲いいんだね」 「っていうかなめられてる? 私、後輩になめられやすいんだよね。あ、違った。後輩だけじゃない。部員みんなになめられてる」 「そんなことないでしょ。やさしすぎるんだよ」 「やさしかったら私が監督になったとたん部員が辞めたりしないでしょ」  今宮は気まずそうに口をつぐんだ。 「そっちは何部だっけ?」 「フォークソング部」 「演奏会とかやらないの?」 「やったよ。きのう」  今度は私が口をつぐんだ。三年間やってきた部活の話題でこんな気まずくなるなんて。私たちの三年間ってなんだったんだ。 「ごめん。知らなかった」 「気にすんなよ。みんな知らないから」 「いや、でも……」ここで今宮の言葉を受け入れたら、墓穴を掘ることは目に見えている。さっき岡野先生と廊下で話している時だって、見にいきたい候補に演劇部を口にしている通行人はいなかった。 「友達とかOBの先輩たちが聞きにくれたから、それだけで十分だったかな。オリジナルの曲も作っちゃったりしてさ。やりきった感はあるよ」  薄く笑う彼の表情にはさっぱりとした風と、少しさみしい湿り気があった。 「あとちょっとでからあげできるよー」  レンジ係の男子が予告する。  それをすかさず、 「からあげじゃないでしょ」  隣の女子が指摘した。  舞台もコンセプトカフェも入り込むのが大事だ。入り込みながら、入り込んでいることを自覚する。舞台に立ちながら、観客席に座る。そして自分をコントロールする。 「はい、『鳳凰の肉』と『生き血のジュース』よろしく」  今宮から木のおぼんを受け取ろうとすると、なかなか手を離してくれなかった。不思議に思って視線で尋ねてみる。  今宮が言った。 「午後から演劇だったよね。ここ終わったらちょっと時間ある?」 「え、あーまあ……」 「ちょっとでいいんだ。三分、いや一分。お願い」  そこまで言われたら断るわけにはいかない。 「一分ならいいけど」 「ありがとう。じゃあ、よろしく」  ずいっと木のおぼんを突き出され、私は後ろに体を引きながら受け取った。  一分で済む用事ってなんだろう。舞台に出してくれ、とか? たまに演劇部のこと聞いてくることもあったし、実は興味あったのかな。フォークソング部をやりきったって言ったから、次は演技に挑戦したいとか?  厨房を出て、沢井のテーブルに商品を運んだ。 「お待たせしました」 「やっぱりからあげじゃないっすか」  沢井が勝ち誇った表情で、からあげの乗った紙皿を持ち上げる。 「それ食べたらまた探しにもどってよ」 「えー、俺お化け屋敷もいきたいんっすけど」 「じゃあそのあとでいいからお願い」 「うっす」と言って、『鳳凰の肉』にかじりついた沢井は「あちっ」と口をおさえた。ひやかしにきた罰だと、ちょっとだけ気分がよくなる。そう思った私にも罰が下った。 「あの監督」  沢井がはふはふと冷ましながら、からあげにかじりつく。 「中盤のセリフを変えたいんっすけど、いいっすか」  はあ? と思った私は「はあ?」と言った。 「え、今? なんで今?」 「いや、ずっと悩んでたんっすよ。きのうも言おうと思ってやっぱやめて。でもからあげ食ったら言わなきゃダメだ! と思って」 「からあげじゃない『鳳凰の肉』!」 「うっす」 「で、変えるってなに! どこをどういうふうに!」 「中盤で俺が、ヤチマタが主役と言い合いになるところで、「分かれた物は元にはもどらない。だが、さらに分かれることもある」って言うじゃないっすか。そこをやっぱり「分かれた物は元にはもどらない。だが、粉々にしてしまえば一つだったこともわからなくなる」にした方がヤチマタの怒りが出ていいじゃないかと思うんっすよね」  待て待て待て。どうしてあんたはそうやって問題を増やすの! 「沢井、それは前にも言ったよね。ヤチマタは確かに怒ってるけど、みんなへの愛情もあって、あのセリフはそうした複雑な感情を表現したものだって」 「聞きました」 「なら」 「でもどっちにしてもヤチマタは嫌われ者じゃないっすか。だったら、言いたいこと言った方がよくないっすか」 「沢井はそう思ってるの?」  割り箸でからあげを取りこぼした沢井が私を見上げる。 「ヤチマタが嫌われ者だって思ってるの? お客さんにもそう思ってもらいたいの?」 「それは……」  確かに主役を際立たせるために、ヤチマタと対立させる場面は多い。でもそれでヤチマタが嫌われ者になるのはおかしい。それこそ沢井は私の言うことにいちいちつっかかってきた。めんどくさいしムカつくし、監督としての自信をなくした。後輩のくせにとも思った。でも沢井のおかげで演出や脚本をよりよくしようと考えたし、監督だからって決して偉いわけじゃないと自分勝手にならずにすんだ。それはとても感謝している。 この劇の主人公も同じだ。いろんな人間と出会うことによって成長していく。私に沢井が必要だったように、主人公にもヤチマタが必要だ。観客の中にもそう思ってくれる人が必ずいると私は信じている。  割り箸でからあげをつつく沢井。  ヤチマタは嫌われ者じゃない。でもセリフの変更は、こいつなりにヤチマタを理解しようとした結果なのかもしれない。それは舞台を見る人みんなにとって大切なことだ。 「監督として言えるのは一つ。幕が上がるまではセリフの変更は認めない」 「はい?」 「はやく食べて。お化け屋敷いったら『心臓』探してよ。ああ、それから寝癖も直しといて」 「さっき水で濡らしたんすけど」 「直ってない。もう一回」  それからお客さんの案内をしたり注文を取ったりしているうち、いつの間にか沢井はいなくなっていた。  一時間ほどして休憩にと厨房の裏に入った。  スマホを開く。主役からの連絡はきていなかった。部員から届くメッセージも〈一年の教室ありません〉〈音楽室なし〉〈どこいったんだ俺の『心臓』!〉〈更衣室なしです〉とうれしくないものばかり。  見つからなかった場合は『心臓』の代わりになる物で乗り切るしかない。でも主役はどうだ。 セリフなら頭に入っている。どこで息を止め、右足からか左足からか。全て私が考えたことだ。私は主役を演じることができるだろう。幕は無事に上がり、無事に下りる。 それは私の求めた舞台じゃない。  私の求める舞台に私はいない。  私の求める舞台に必要なのは役者だ。演劇部のみんなだ。  お願い。連絡して。学校にきて。ここにさえきてくれれば、私があなたを舞台に立たせてみせるから。  窓の外を見ると、晴れた夏空の向こうに秋の薄い雲が浮かんでいた。
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