裏舞台

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開演三時間前  時計を見ると十二時まであと少しだった。  ここの仕事が終わったらすぐに部室にいって、最終確認、の前に『心臓』がまだ見つかってないんだった。  それと主役、は岡野先生からの報告があるまでは考えないことにする。  考えたってどうせ六回の電話と十八件のメッセージになんの反応もない事実が胃をしめつけて、大量の脂汗をかかせるだけだ。今だって十分苦しいのに、これ以上自分を痛めつけることはない。 「おーい、ぼうっとしてるけど大丈夫?」  今宮に言われて、わずかな間、床の一点を見つめていたことに気づいた。 「もしかして体調悪い? あと二分、三分であがりでしょ? 気分悪いなら休んでいいよ。俺やっとくし」 「ううん、大丈夫。部活のことでちょっとね」 「なんかトラブル?」 「うーん、緊張かな。最後だし」 「そうだよな。最後だもんな」今宮はうつむき加減で深刻そうにつぶやいた。「なあ、さっきのあれ。一分ちょうだいって話。今いいかな」 「え、でも」教室の時計を振り返ると、十二時ちょうどをさしていた。  厨房の裏でスタンバイしていた午後担当のクラスメイトたちが、「交代だよー」と厨房やフロアに入ってくる。  私は今宮の強張った顔を見た。ほんとにどうしたんだ、こいつ。  うなずいたあと、別室で村娘から制服に着替えた。教室へもどると、クラスTシャツに着替えて待っている今宮がいた。 「じゃあ、向こうで話そうか」  廊下へ出ようとすると、目の前をダダダッと数人が立て続けに走っていった。 なんとなくざわざわと騒がしい。 教室から廊下をのぞいてみると、下駄箱の前辺りに人だかりができていた。また二、三人がとってきおきの暇つぶしを見つけたように薄ら笑いを浮かべて走っていき、その人だかりに合流した。 「なんだろう」 「どっかのクラスの出し物じゃない?」 「あんなところでやる? あそこ受付でしょ」 「じゃあ受付に誰かきてるとか。有名人とかさ」  私の後ろから廊下をのぞく今宮を振り返る。 「有名人って誰?」  今宮はしばらく考え、 「総理大臣とか?」  と言った。 「あんた総理大臣になんて会いたいの?」 「会いたくないけど」  会話の内容がバカらしくなって、私たちはまた廊下をのぞいた。 「ここからじゃなんも見えないな。……あの、それよりさ、いいかな。ほんとにちょっとだけだから」 「ああ、うん」  今宮に続いて下駄箱とは反対方向へ廊下を歩いていくと、三年一組のギャルグループの友達だと思われる派手なかっこうの女子二人とすれちがった。 「廊下に不審物落ちてたって」 「エイリアンの卵だってよ」  こわがりながらうれしがっている声に足が止まる。  私の頭の中に一瞬でストーリーが組み立てられていく。 「ごめん、今宮。やっぱあとにして」  私は下駄箱の方へ走っていった。  人だかりの数はざっと三十人ほどだろうか。なにかを囲むようにドーナツ型に広がっている。  男女、年齢なく入り混じった人の壁からは、百五十四センチの私ではドーナツの中心になにがあるのか見ることができなかった。ジャンプしてもダメ。角度が悪いのか、人の間からちらりとも見えなかった。 「なにかしら、あれ」「お母さん気持ち悪いよー」「エイリアンよりプレデターっぽくないか」「赤……黒……なんだろう」「動いたりしない?」「筋みたいのが見えるから果物だよ」  聞こえてくる会話から組み立てられるこたえは、「それだ」と言っているのに「これだ」と決めることができない。  脚本を書く時もそうだ。二つセリフが浮かんだ場合、どっちにしようか考えた挙句、考えるのがめんどくさくなってどっちでもいいやと最後は投げやりに決めてしまうことが多い。 そしてそんな感じで決めたセリフも演じている中で、あれよあれよと変わっていってしまう。  結局、監督に決定権はなく、部員に決定権を与えてもらっているに過ぎないんだ。  ああ、ダメだ。このままじゃ先生がきちゃう。それで没収されて、取りにいったらどうしてこうなったかを問いつめられ、厳重注意されたあと、最悪のテンションで幕を開けなきゃいけなくなる。  それはなんとしても避けたい。  どうしよう。ドーナツの中心さえわかれば。  ふと顔を上げると、向かいの人だかりの中に溝口が見えた。一人だけ周りから頭一つ分とびぬけている。  あの高身長で演技がうまかったらなあ。背が高い人は演技に関わらず、なにかと夢を見られがちだ。溝口が役者だったらそれはそれでおもしろくなっただろうけど、技術員としてもたくさんの仕事をこなしてくれた。  私はすぐ溝口に電話をかけた。  しばらくして溝口が手元に目を落とした。ごそごそとなにかをやっている。遅い。はやく出ろ。  溝口が顔を上げると、電話もつながった。  相手がもしもしと言い切る前に話し出す。 「溝口、今下駄箱の前にいるよね」 『え、なんで? 監督どこ?』 「私のことはいいから、そこにあるのってなに? この人だかりの中にあるのって『心臓』?」  電話の向こうで溝口が唾を飲むのがわかった。 『ああ、うん。残念なことに俺にはそう見える』  どういう経緯でこうなったのか。ストーリーを組み立てるにはまだ要素が少なすぎる。だから後回しだ。それよりもどうやってこの人だかりの中、『心臓』を回収するのかを考えなくちゃ。  そこでアナウンスのチャイムが鳴った。 『文化祭実行委員より落とし物の連絡です。赤くて黒い色のボールを見かけた方は受付、または放送室までお知らせください』  委員長、今じゃない。今じゃないよ。演劇やダンス、お化け屋敷の関係でアナウンスできる時間帯は決まっているのは知っているけど今じゃないよ。  タイミングの悪さにげんなりする。唯一の救いは『心臓』を見ている人たちの中で、たった今流れたアナウンスの実物を目の当たりにしていると気づいている人がいないということだった。 『監督、ごめんなさい!』  耳から遠ざけていた電話の向こうから、多田ちゃんの声が響いた。  前を見ても姿は見えないものの、溝口が後ろを向いているそこに多田ちゃんがいるんだろう。 「多田ちゃん? どうしたの?」 『最初に『心臓』が見つかった時、あたしそこにいたんです。すぐに「演劇部のだ」って言えばこんな大事にならずにすんだのに言い出しそびれちゃって。演劇部なのに、肝心な時に声が出ないって最悪ですよね。ごめんなさい』  鼻をすする音が聞こえる。いい加減その涙は私には通用しないって覚えてくれないかな。  泣くことでどんな悪事も切り抜けてきたような多田ちゃんは、少しでも自分の意見を反対されると涙ぐんで、その場をビミョーな空気にしてしまう。だから沢井とは相性が悪い。正直、この二人がいるために三年が抜けたあとの演劇部の存続が非常に不安だ。  でもなんだかんだいって、沢井のような男は多田ちゃんのような女に引っかかるのだ。まだ高校生だからそんなこともないけど、大人になったらああいう男女がいざこざを起こすに違いない。 『監督、あたし女優失格ですよね』 「そんなことないよ」って言ってほしいのはわかってるから言ってあげる。これも監督の仕事。 「ちょっと通してくれな。すいません、すいません。前開けてくれー」  サンダルを引っかけた学年主任の先生が小走りでやってきた。  よりによって学年主任がくるなんて。終わった。楽曲の著作権のこともあるし、きっと開演ギリギリまで帰してもらえない。  学年主任の先生は特別厳しいわけじゃない。どうしてそうなったのか理由をはっきりさせないと気が済まないタイプで、イスに座って考えても解決しようもないことを解決させようとする我慢強さがひどく私のダメージを削る。  生配信の相談をした時も、「やらせてあげたいんだが、前例がないからなんとも言えないんだよなあ」を七回繰り返した。あなたがなんとも言えないなら私が脚本を書いてやると、どれほど言いたかったか。  学年主任の世話になんてなりたくない!  どうすればいい。なにか切り抜ける方法は……。  持っているスマホを見る。どうして溝口の電話に多田ちゃんが出たんだ? もしかしてみんないっしょにいる? 「多田ちゃん。そっちってみんないるの?」 『えっと、あたしとユキと溝口先輩とくーみん先輩、それから矢島っちです』  私も入れば六人。寸劇をやる人数としては十分だ。セリフはどうする。これだけの人がいるんだ。どうせなら本番の宣伝に使いたい。  アドリブ劇の練習は何度かやったことはある。グダグダになって終わった記憶しかないから、せめて最後のセリフだけでも考えてからじゃないと、でも時間がない。 「多田ちゃん。みんなに伝えて。私が幕開けのセリフを言ったら、みんな中央に出て劇中のセリフなんでもいいから順番に言ってって」 『え、どういうことです?』 「いいから。伝えて。じゃっ」  一方的に電話を切る。舞台は練習を重ねて幕開けるものだけど、本番直前になにも起こらないってわけじゃない。それこそ主役が消えることだってあるんだから。  学年主任がドーナツの中心に出たのを目の端でとらえ、私は叫んだ。 「私は心のために友を裏切った。家族を悲しませた。恋を終わらせた。世界を憎んだ。心は置いていこう」  ざっと三十人の目が一斉に私を見た。なんてこわいんだろう。三年生で監督専任になってから忘れていた。喉がきゅっと閉まるのを感じた。  みんなが後ろを振り返ったことでわずかに道ができ、私はその隙間を縫って中心に進んだ。  溝口がようやく私を発見したようで、あわてて周りにいるだろう部員たちに知らせている。  中心に出てきた私を学年主任がしかめっ面で迎えた。 「おいどうした。危ないから下がってなさい」と言っている間に、わたしは溝口をじっと見つめ、「はやく出てこい」と訴えていた。 「あれ、おまえ確か演劇部の……」  学年主任が近寄ってくる後ろに、溝口たちが人波をかきわけてくるのが見えた。  未開の地で言葉もわからないまま連れてこられた探検隊のように人だかりの中から出てくる部員たち。  学年主任は足を止め、そっちを振り返った。 「おまえたちまでどうした」  その後ろで私は口元から手をパッパッと開いて、「言え」とジェスチャーをした。  みんなは戸惑った表情で目をさまよわせている。なぜ舞台でもないこんなところでセリフを言わなきゃいけないのか、と。  そんなの私だって知らない。なぜこの物語は始まるのか。それはいつだって誰も知らない。 「私は心のために友を裏切った。家族を悲しませた。恋を終わらせた。世界を憎んだ。心は置いていこう」  もう一度、幕開けのセリフを言いながら、部員たちを強く見つめた。  大丈夫。物語の始まりは知らないけど、終わらせ方なら知っている。私は監督なんだから。  最初にうなずいてくれたのは多田ちゃんだった。一歩前に出る。 「ワタシ、きのうはカナリアだったの。その前はライオン。もっと前はホタテ貝。ジャッカロープだった時もあるわ」  多田ちゃんの視線を受け、同じ二年のユキちゃんも前に出た。 「それはキミ、スリッパのようなものさ。右も左もない。おかげで片方なくしたら、自分の名前がユウだったかミイだったか思い出せない」 「なにか勘違いをしていませんか。あなたのぽっかり空いたその場所は、強さではなく弱さです。あなたは強さを手に入れたのではありません。弱さを捨てたのです」と、くーみん。 「ほほら、時間がに逃げていくよ。今度は追ってぃきた」  噛み気味でがんばったのは矢島さん。  余った技術員の溝口がなにを言えばいいんだと目を泳がせている。私は口パクで〈沢井〉と言った。溝口が沢井のセリフを覚えていればの話だけど。 「さあ、ここでお別れだ」  暗転する合図でもあるセリフだ。さすが技術員。  ざわざわと騒がしい周りが好奇な目や冷めた目で私たちを囲む。多目的室でやっていた時はこんな視線さえもらえなかった。  ここからどうしようと考えていると、 「なんだ、ここで劇でも始めるつもりか」  学年主任のナイスパスが入った。  私は宣伝用の声色に変えて言った。 「ただいまお聞きいただきましたのは、本日午後二時四十分から体育館で公演いたします演劇部による舞台のほんの一部分です。これは」と、私は『心臓』を手に取った。一瞬、小さな悲鳴が聞こえた。「不審物でもエイリアンの卵でもありません。この正体が気になった方は、ぜひ本公演をご覧ください。体育館でお待ちしていますので、どうぞよろしくお願いします」  これで終わりだと、空気を断ち切るように頭を下げた。続けて部員たちもぱらぱらと頭を下げる。  お願い。終わりだと思って。終わって。 「エイリアンの卵じゃないんだって~」  つまんないと去っていく足音が聞こえた。「演劇部の宣伝だったみたい」「あれは一体なんだったんだよ」続々と周りから気配が遠ざかっていくのを感じ、私は顔を上げた。  なんとかこの場の幕は下ろせたようだ。 「それおまえたちのだったのか」  学年主任が『心臓』を指さした。  今そう言ったばかりなのにと思いつつ、ナイスパスをくれた恩があるので丁寧に対応しておく。 「すいません。受付担当の先生には許可取ったつもりだったんですけど、ぎりぎりだったんでうまく伝わってなかったみたいです」 「誰が許可したか知らないけど、ほんとはダメなんだからな。一つ許すと他もってやりたがるやつが出てくるだろ」 「すいませんでした」  私は頭を下げる直前、まだ野次馬として残っていた保護者をちらっと見た。学年主任も保護者の目を気にしてくれればうまく乗り切れるはずだ。 「次は気をつけてくれよ」 「はい、すいません」  まだ言い足りなさそうにしながら学年主任は去っていった。 「あせった~」  振り向くと、空気が抜けていく風船のように溝口がうずくまった。  女子四人も胸を押さえ、手を握り合っている。 「どうなっちゃうのかと思った」 「あたしちゃんとできてました?」 「監督、無茶ぶりすぎますってえ」 「吐きそう……」  矢島さんが青白い顔で口元を押さえる。くーみんが側に寄って背中をさすった。  私は『心臓』を持つ右手の震えや、異常な喉の渇きを自分でも知らない振りをした。 「みんなお疲れ。なんとか乗り切ったね」 「監督、こういうつもりなら最初から言っといてよお」  うずくまったままふてくされた顔で溝口が見上げてくる。 「こういうつもりって?」 「だから、『心臓』がなくなったと見せかけて、最初から舞台の宣伝するつもりだったんだろ」  違うと言う前に、多田ちゃんが割って入った。 「えー、監督オニー」 「でもあたしたちのことよくわかってるぅ」 「言えてる。宣伝するってわかってたら変に緊張しちゃうもん。特に矢島っちは」 矢島さんは手で口を覆っているせいで「ういません」とこもって聞こえた。 「でも誰もここにこなかったらどうするつもりだったの?」  くーみんの疑問は当然だった。  私はこのままみんなに誤解されたままでいるか、本当のことを話してがっかりさせるか悩んだ。どっちの方がよりスムーズなストーリー展開ができるか。 「そんなの探し回ってれば、そのうち下駄箱の前にくるだろ」  溝口が言った。 「そっか。探し終わった場所はメッセージで伝えてたしね」 「え、じゃあ、監督あたしのこと見てたってこと? 恥ずいんだけど」  ストーリーは時に脚本家を置き去りにしてできあがっていくこともある。  こうなったらもう私が言えることは、「矢島さんトイレいってきたら」しかなかった。 「なんか本番もうまくやれそうな気がしてきた」 「溝口くんは技術員でしょ」 「だからだよ。今のでみんなの調子がわかった。本番うまくいくぜ」 「溝口先輩、あたしに照明バーンとくださいよ」 「任せとけ」  フライング気味で始めた寸劇だったけど、宣伝もできたし、結果的に部員のやる気を引き出せたからよしとしよう。部室の鍵をさしっぱなしで帰ったことも、これでなかったことにできる。 「じゃあ、溝口頼んだよ」  私はやっと震えのおさまった右手で『心臓』を渡した。 「みんなもお昼食べたら本番の準備ね」 「監督は?」 「教室に荷物置いてきたから、取りにいったらすぐ部室いくよ」  和気あいあいと部室へ向かうみんなの背中を見送る。  一人になるとなんだか気が抜けて、しばらくその場を動けなかった。 「あの『心臓』俺たちが見つけたのにな」 「段ボールに捨ててあったの拾ったの俺たちなのにな」  声のした方へ振り向くと、小学生くらいの男の子が走っていった。
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