裏舞台

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開演一時間半前  ほとんどの観客が去ったあとも私は体育館に残っていた。  このあと体育館はしばらくの休憩をはさみ、吹奏楽部の演奏会、二年四組の民俗舞踊をやったのち演劇部の出番となる。  舞台の方が騒がしくなったと思うと、舞台袖へ通じるドアから三組の生徒たちが出てきた。役者は衣装のまま汗だくになり、技術員は両手に山盛りの荷物を持って忍者のように壁に沿って体育館を突き抜け、更衣室がある体育館棟の二階へと下りていく。  あれだけの観客がいたのに傲慢になることなく、次の使用者のためにすばやく撤収する三組の姿はいいものが作れたという自信の表れにも見えた。  小走りで続く列の中に友達を見つけて「お疲れ」とささやいた。彼女は照れくさそうに「ありがとう」とはにかみ、二流の生徒のように立ち止まっておしゃべりすることなく去っていった。  私は舞台へと歩いていき、胸くらいの高さにある舞台の縁に触れた。  体育館でリハーサルができたのはたったの三回だけだった。そのうち最後まで通してできたのは一回。最後までいけたことに満足して細部までは追及できなかった。  こんなんじゃきっとうまくいかない。  演劇部の舞台なんて誰も見ない。  部員の誰よりも強く私が思っていた。だから生配信や即興劇なんて無茶をやったんだ。  私はずるいやつだ。みんなには「大丈夫」とか「自信持って」とか調子のいいことばかり言って、自分じゃ全然そんなこと思っていなかった。はっきりと口に出して言う沢井の方がよっぽどましじゃないか。  重そうな足音が体育館に入ってきた。様々な楽器を持った吹奏楽部の生徒たちだ。 「あーあ、三組の劇見たかったなあ」「すごいおもしろかったんだってね」「テレビ局の人がスカウトにきてたらしいぜ」「劇なら演劇部のがあるじゃん」「演劇部? ああ、受付で変なことしてたやつか。結局なにやんの?」「知らない」  さすが吹奏楽部。肺活量があるだけあって、おしゃべりも得意らしい。  私は舞台から手を離し、体育館の真ん中を堂々と引き返していった。どうせ私が演劇部だって気づく人はいない。  吹奏楽部と入れ替わるようにして体育館を出た。校舎の階段を上がっていく。  下りてくる足音が聞こえて部員かと身構えると、踊り場に立ったのは今宮だった。 「あ、いた」  今宮は一瞬顔を強張らせ、それから笑顔を作った。 「部室いったらいないって言われて、どこいっちゃったのかと思った」  二段、下りてくる。 「さっきの話の続きなんだけど」  私は今宮が言い終わらないうちに言った。 「ごめん。今はちょっと……ごめん」  他人のお願いを聞いている余裕はなかった。  重い足取りで今宮の横を通り過ぎていく。三階に着いても部室へと足は動かなかった。こんな状態でどう部員と向き合えばいいんだろう。  私はさらに階段を上がり、屋上への出入り口がある踊り場に腰を下ろした。  主役がいない。  生配信で見せどころの音楽を流せない。  セリフの変更を頼まれる。  即興劇で変に目立つ。  演劇=三年三組になっている。  あと一時間ちょっとで開演なのに問題が多すぎる。  私はスマホを取り出した。主役からの着信はなし。  こんな状況で幕を開ける気なのか、私。  部員たちのショックも少ない今ならまだやめることができる。本気で頭を下げれば文化祭実行委員もわかってくれるだろう。岡野先生も「仕方ないね」っていっしょに肩を落としてくれる。今なら、今ならまだ……。 「あー逃げたい」  天を仰いだ。  演劇部が文化祭で体育館を使えるのは監督の力だと先輩は言っていたけれど、みんなにとってははずれくじだったんじゃないだろうか。目立たない演劇部は目立たない多目的室がお似合いだったんじゃないだろうか。  ここにいない主役が一番冷静に物事を見ていたなんて思いたくない。でも実際そうなっている。私たちみんなここにいなければよかったんだ。 「監督なにやってんっすか」  はっとして顔を下ろすと、階段の下に沢井がいた。  上半分はネットで安く買った甚平を黒のペンキで汚し、わざと破いて作った衣装なのに、下半分は制服のズボンというヘンテコなかっこうをしている。寝癖は直っていた。 「もうみんな準備してますよ」 「そうみたいだね」  私の表情でなにかを察したのか、沢井はきゅっと眉をひそめた。 「ねえ、沢井。中止にしようって言ったらどうする?」こんなこと後輩に聞くなんて最低だってわかってる。でも今は沢井の気を使わない意見が聞きたかった。  沢井はたっぷりと間を取ってこたえた。 「いいんじゃないっすかね」 「……そっか」  その沈んだ声でどこか期待していた自分に気づいた。ほんとにかっこ悪い。 「それと」と沢井が続けた。「やっぱりセリフの変更はしないことにしました」 「え?」 「これ俺の舞台じゃないんで。監督に任せます。じゃっ、準備の続きあるんでもどります」  あっけに取られた私を置いて階段を下りていく沢井は、 「あ、監督」  とすぐにまたもどってきた。 「なに」  沢井相手に緊張して思わず立ち上がる。 「髪、これでいいっすか?」 「……うん、直ってる。ばっちり」 「うっす」  沢井が小生意気な返事をして去っていく。  一人になると、立っているのも変だと思って踊り場に座り直した。  沢井の言葉を思い返す。一体、中止に賛成だったのか反対だったのかわからない。 セリフの変更はやめ、寝癖も直し、準備の続きがあると去っていった。それに「監督に任せる」と言っていた。  そもそも沢井はなにをしにきたんだろう。私を探していたなら無理にでも連れていくことができたはずだ。それをせず一人でもどった。  まさか慰めにきてくれた? 私がやることにいちいち口出ししてきたあの沢井が? 将来、多田ちゃんのような女に引っかかるあの沢井が?  鼻で笑っちゃ失礼か。  少し笑うと頭に考える空間ができた。  まずは開演まであと一時間ちょっともあると考えよう。  その間に生配信の音楽をどうするか決めて、主役をここに連れてくる。  そんなことができるのかと問われれば、わからないと言うしかない。  でも沢井が教えてくれた。  みんな幕が上がる前を舞台裏と言うが、幕が開けば監督にできることはもうない。役者がセリフを飛ばそうが、演出を変えようが手も足も出ない。  その代わり、幕が開くまではどんな不足な事態が起きようと最後までやる。  舞台裏なんかじゃない。ここが私にとっての舞台だ。監督を演じきらなきゃ。  持っていたスマホで主役に電話をかける。これでもう二十七回目だった。長い発信音は慣れたもので、留守番電話サービスの音声とも親しくなっていた。 「何度も電話したけどこれで最後にする。劇は中止しない。以上」  もっとなにか言った方がいいと思いつつ電話を切った。しゃべればしゃべるほど自分の決断が揺らぐような気がした。  部室のドアを開けると、顔を上げたのは三年生だけで、他の部員は準備に夢中で私が入ってきたことに気づかなかった。  私はいい機会だと思い、廊下に三年生を手招いた。  外に出てきた三年生に私は言った。 「主役と連絡取れた人いる? 私もダメだった。今の段階で主役がくるかどうかは未定だけど、劇はやろうと思う。中止はなし。生配信の著作権についても、そこだけ音を消すか映像事態カットするつもり。それでいいかな」 「監督に一票」 「私も」 「むしろ中止しようとしてたんだな」  溝口が痛いところを突いてきた。 「中止……うん、そうだね。一応お客さんに見せるものだし、それなりのものを作れないならって思って」 「俺たちプロじゃねーから好きなようにやればいいと思ってた」 「そうだよね。私もそう思う」 「どっちだよ」 「どっちもあるの。私だってめちゃくちゃ考えて考えてやってんだから!」  これまでのことを思い出して気持ちが昂ると、 「そりゃそうか」  溝口はあっさりと引いた。 「じゃあ、そういうことでみんなにも伝えるから」  三年生がうなずくのを見て、私は部室に入った。部員に集まるよう声をかける。  緊張して引きつった顔、体育館の舞台に期待のこもった顔が私を見つめる。なにか言いたげな沢井の視線は流しておいた。  そしていざ話し出そうとした時、ドアがノックされた。岡野先生が入ってくる。 「監督、みんなもいるね。あと一時間ちょっとで本番だし一回ミーティングしようか」  私はそれを今しようとしていたとは言わずに「はい」と返した。  話の中で中止はしないと言うと、岡野先生は目を大きくして私を見たものの、口をはさむことはなかった。  部員たちは途中、不安な表情を浮かべながらも最後まで話を聞いてくれた。 多田ちゃんが手をあげた。 「主役がこなかった場合の代役って監督がやるんですよね。一回通しておかなくて大丈夫なんですか?」  もっともな意見だった。たとえセリフや演出が頭に入っているからといって、イメージするのと実際にやるのとでは大きな違いがある。 「時間があったらやりたいとは思ってる」 「時間がなかったら?」 「ぶっつけ本番にっちゃうかな」  多田ちゃんはあからさまに不満な顔をした。 「そこは私たちでフォローしようよ」  くーみんが言った。  続けて岡野先生が、 「そうね。みんなでフォローしあってやっていきましょう」  みんなに笑顔を振りまき、「監督ちょっと」と部室を出ていった。  廊下に出て、部室の前から少し離れたところで先生は振り返った。 「電話で言ってた即興劇のこと、学年主任の先生から聞いた。そんなに怒ってないみたいだったからとりあえずは大丈夫」 「そうですか。ありがとうございます」 「中止しないんだね」  岡野先生はふいに脇腹を突くように言った。 「はい」 「そっか。がんばって」  ニコッと笑い、階段を下りていく。演劇に興味があるのかないのか聞いたことはない。私の脚本や演出に口を出してきたこともない。でも先生はいつだって私たちの最初の観客だった。  部室の中にはまだミーティングの空気が残っていて、私はそれを振り払うように二、三回手を叩いた。 「準備止めちゃってごめん。進めてください」  だらだらと準備を再開し始める部員たちを気にしながら、そっとくーみんが近寄ってきた。 「もうこないかと思った」 「ごめん」  私はそういう気持ちがあったことを素直に認めた。 「まあ順番だよね」 「え?」 占い師のように微笑むくーみん。 「私も辞めようと思ってた時あったから」 「うそ。マジで。いつ」 「一年の終わりくらい」 「知らなかった」 「誰にも言ってないから」  それをどうして今さら言う気になったのか。 「気づかなくて、ごめんね?」 「ううん。結局、私に辞める勇気がなかっただけだから」 「それはよかった」  いたずらに微笑んでみせると、くーみんもくすぐったそうに笑った。 「まさかこんなギリギリで順番が回るとは思ってなかった」 「主役のこと?」 「こんなことなら、なにかできることしておけばよかった。って言っても、ほとんどないんだけどね」 「それを言うなら私の方だよ。あの子を主役に選んだのは私だから」 「そうだね」 「そこはフォローしてよ」  私たちは顔を合わせて笑った。ちょっと切なかった。  少しずつ役に変化していく部員たちを見つめる。 「一応メイクだけはしておこうか」  くーみんが言った。  私は静かにうなずいた。
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