裏舞台

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開演五十分前 「体育館の様子見てくる。前の組が終わったら電話するから」  くーみんにそう言って、私は部室を出た。  階段を一段下りるごとに頭の中に不安がふくらむ。照明が点かなかったらどうしよう。音が途中で切れたら。大道具が倒れてきたら。不審者が乱入してきたら。隕石が落ちてきたら。そんなことまで考えたって仕方ないだろうというところまでふくらんでいく。 「ねえ」  ぼうっとしているところに声をかけられ、私はひどく驚いてしまった。 「どうしたの? 大丈夫?」  今宮だった。どこかのクラスの縁日にでもいったのか、手にはラメ入りのスーパーボールを持っていた。 「ごめん。ぼうっとしてて驚いただけ」 「もうすぐで本番だもんな」 「そう。そうなんだ」  演劇部以外の人から言われると、「本番」という言葉がずんと重くなってお腹に溜まった。 「そんな時に悪いとは思ってるんだ」 「いや、まあ……そうかもね」  いよいよ今宮が本題に入ろうとしているのを感じた。舞台に出してくれなんて、どう断ればいいんだ。  今宮が言った。 「二年で同じクラスになってから好きだった。できれば付き合ってほしい。俺のことどう思ってる?」 「そっちかあ!」 「え、なに?」 「ううん、なんでもない」  舞台のことで頭がいっぱいで、今宮の話もそのことについてだとばかり思っていた。  えっと、なんだっけ。今宮の好きなやつのことどう思ってる? それは私か。私なのか? 「返事は今すぐじゃなくていいんだ」待てなくなった今宮が口早に言った。「ほら、演劇部のこともあるし。文化祭終わったあとでも」  正直、今宮を意識したことはなかった。告白を受けてからもまったく惹かれない。今宮のなにが悪いってわけじゃない。おもしろいかどうかは別にしてそれなりに話をしたことはあるし、クラスで出し物をやる時には協力的だ。やや細すぎるとは思うけれど、ぱっちりした目は女子がうらやむくらい。フォークソング部というあまり日の目を浴びない部活に入っている点でなにか通じるものもあるし、髪型もぶなんで、制服も目立つほど着崩しているわけじゃないし、ぴっちり着ているわけでもないのは好印象だ。  こんな分析ができてしまうほど冷静だということが、なにより今宮の告白を断る理由だった。 「俺、待つから。考えてほしい。じゃあ」 「待って!」  時間を置いたら断りにくくなる。私は今宮を呼び止めた。 「ご」めんと言おうとした瞬間、頭の中にあるイメージが見えた。 「ねえ、今宮ってフォークソング部だったよね」  私は頭の中にあるイメージをなぞりながら聞いた。 「うん」 「オリジナルの曲作ったって」 「うん」 「それってどんな曲? バラード?」 「バラードのつもりだけど」  ぱっと霧が晴れた。芯にぺったりくっついたラップの端が取れた。砂のお城のトンネルが開通した。今そんな気分だ。 「お願いがあるんだけど」私はずいっと今宮に近寄った。「これからやる舞台の中でそのバラード演奏してくれないかな」 「え、舞台で!」 「用意してた曲が著作権の問題で使えなくなっちゃって。生配信する予定なんだ」 「生配信! 無理だよ。無理。ネットに流せるような曲じゃないから」  今宮はあわてて首を横に振った。  ここで押したくなる気持ちをぐっとこらえ、私はさっと引いてみせた。 「そっか。いきなりだし迷惑だよね。ごめん」  うつむいて、小さくため息。  今宮が頭をかいたり、腰に手をあてたり考えこんでいる様子が見えた。それからスマホを取り出し、 「期待しないでよ」  オリジナルのバラードを聞かせてくれた。 「流せるような曲じゃないだろ」 「ううん。いいよ。すごくいい。曲のテンポも場面と合ってる」 「ほんとに?」 「ほんとに。お願い。私を助けると思って」  私は深く頭を下げながら、心の中で今宮の尻を叩いた。おまえ男だろ。告白相手の頼みを断るんじゃない。  私は今宮が断らないことを知っていた。 「他のフォーク部にも声かけとくよ」 「ありがとう! 三十分後に体育館きてもらえれば大丈夫だから」  今宮が私を好きになってくれてよかった。  ご機嫌で歩き出してから、大切なことを思い出した。 「告白の返事だけど」振り返ると、今宮も忘れていたという感じで私を見た。「舞台見てて。それが私のこたえ」  いいかげんっすね。沢井のツッコミが聞こえた気がした。  二年四組の民俗舞踊が終わり、私はくーみんに電話をかけた。話している途中で、体育館から去っていく人波の中に元演劇部の彼女を見つけた。彼女も私に気づいたようで立ち止まった。  私が電話を切ると、近づいてきた彼女が言った。 「主役がきてないって聞きました」  どこからか情報がもれているらしい。結局、演劇部も彼女を手放せなかったし、彼女も演劇部を手放せなかったということだ。 「もし本番に間に合わなかったらどうするつもりですか」 「代役で私が出る」 「監督が?」 「それしかないから。その場合はあなたに監督やってもらおうかな」 「えっ」 「うそうそ。あなたが監督になるのは私が引退したあとだもんね」 「いや、私もどるって言ってませんよ」 「そっか。まあ見ててよ次期監督。これ以上ないってくらい問題山積みだけど、今後のいい参考になると思う」  私は彼女の横をさっと抜けて舞台へ歩いていった。  近づけば近づくほど舞台は大きかった。さっきから心臓がうるさくてしょうがなかった。  アナウンスが流れる。 『文化祭実行委員よりお知らせです。このあと午後二時四十分より体育館にて、演劇部による演劇が上演します。本日最後の演目になりますので、お時間のある方はぜひお楽しみください』  ありがとう、委員長。私は心の中で文化祭実行委員のみんなに感謝した。  スマホはまだ鳴らない。そろそろ覚悟を決める時間だ。  小さなざわめきが聞こえて振り返った。  メイクをして衣装を着た部員たちがこそこそと体育館に入ってくる。普段はこんなに注目を浴びることなんてないから、みんな動きがぎこちなかった。  先頭でやってきた溝口に声をかける。 「他に残ってる荷物は?」 「ない。全部持ってきた」 「そうだ。生配信の曲のことだけど、フォークソング部に頼んだから」 「フォークソング部? そんな部活あったっけ?」 「ブーメランで返ってくるよ」 「いや、演劇部は有名だろ」 「あんたの中でだけね。とにかく生演奏で流すからよろしく」 「はいよ。俺、上いって照明見てくる」  溝口に続いて舞台袖へ入っていく部員たち。最後尾にいた矢島さんの青白い顔を見て思わず呼び止めた。 「顔色悪いけど平気?」 「すいません。緊張しちゃって」 「無理しないでね」 「あの……」 「なに?」 「最後にトイレいってきていいですか」  私は何度もうなずいて持っていた荷物を受け取った。 「衣装気をつけてね」  それだけ言って、トイレへ走っていく矢島さんを見送る。  彼女のセリフは三行。これがあと二年したら矢島さんも主役になっているかもしれない。  幕が下りた舞台上では、部員たちがせっせと大道具を設置していた。 「監督、確認お願いしまーす」  大道具の最終確認をしてから効果音のチェック、二階へいって溝口に照明の具合を聞き、私も生配信用のスマホの撮影場所を確かめておいた。 「それ終わったら下にきて。円陣組もう」 「一回もやったことないんですけど」 「いいじゃん。やろうよ」 「監督が言うんじゃしょうがねーなー」  溝口は勝ち気に笑った。  舞台へ下りると、岡野先生がやってきたところだった。 「いよいよだねえ。あれ、誰か足りない?」 「矢島さんがトイレいってます」 「もどってきました」 「すいません」  舞台袖の暗闇からひょろひょろと現れた矢島さんの顔色は決して血色がいいとは言えないけれど、さっきよりはいくらかましになっていた。 「落ち着いていこう」  できるだけやさしく声をかける。  小さくうなずいて仕事に取りかかる矢島さんと入れ替わりで、岡野先生が寄ってきた。 「主役と連絡は?」 「まだです」 「あなたは代役、大丈夫そう?」 「なんとかやりきります」 「そう。でも表舞台に立ついい機会になったと思えればね」  一日に二回もこの言葉を言うことになるなんて。  私は通算四回目になる返事をしようとした。 「それでも監督がいいって感じね」 岡野先生が言った。  なんだ、ちゃんと届いてるじゃないか。 「はい、監督がいいです」  岡野先生はそれ以上なにも言わず、舞台を下りていった。  あとなにをすればいいんだっけと考えていると、くーみんにシャツの袖を引っ張られた。 「衣装着ておく?」  くーみんの腕には主役の衣装がかけられていた。  スマホを見る。開演まで三十分を切っている。  私は何度も口を開いては閉じ、「そうだね」とほとんど息しか出ていないような声で言った。  くーみんから衣装を受け取る。 「見張っとくからそこ使って」  舞台袖の隅を示されて、そこに溜まる暗がりを見た。およそ主役が着替えるような場所じゃなかった。   私はしばらくその暗闇を見つめたまま、何事かを考えていた。 「お邪魔しまあす」  おそるおそる舞台袖のドアを開けたのは今宮だった。ギターケースを抱えている。  衣装を着る時間を先送りにできると、私はよろこんでフォークソング部を迎えた。 「今宮、こっちこっち」  声をかけると、今宮はいくらかほっとした表情で中へ入ってきた。後ろには今宮と似た雰囲気の男子が二人。 「どうもフォークソング部です」演劇部の視線を集めた今宮は、みんなに軽くあいさつをした。「よくわからないけどお世話になります」 「世話してもらうのは私たちだけどね」  私は衣装を持ったまま、今宮たちを二階の放送室に案内した。  心配そうな目で見送るくーみんには、大丈夫という視線を返しておいた。 「なあ、ほんとに俺たちの曲なんかでいいの?」  階段を登りながら今宮が言った。 「監督がいいって言ってんだからいいの」 「意外と強引なんだな」 「演劇のことだけね」  ちらりと後ろを振り返ると、今宮はさっと目をそらした。  放送室に入り、機材と曲を流すタイミングのことをざっと説明する。 「基本、ここには誰かしら部員がいるし、曲を流す時には私もくるようにするから安心して」 「信じるよ」 「一回テストしておこっか」  放送室の小窓から舞台正面の二階にいる溝口が通路を渡ってくるのが見えて、私は大きく手を振って溝口にこっちへくるように合図を送った。 「待って、溝口が今こっちくるみたいだからやってもらお。あれ、今宮って溝口のこと知ってる?」 「同じクラスにはなったことない。でも背が高いから目立つよな。去年の球技大会で戦ったのよく覚えてる」 「なんの競技?」 「サッカー。時間なくてPKになって、相手チームのゴールキーパーだった」  溝口が放送室に入ってきた。無事に合図が届いていたみたいだ。 「フォークソング部?」と溝口はエアギターをした。 「そう。音出しのテストしてくれない?」 「わかった。監督は?」  言葉にする気が起きなくて、私は腕にかけた衣装を持ち上げた。 「もうそんな時間か」 「だね」私は自分のつま先をじっと見つめたあと、顔を上げて笑ってみせた。「じゃあフォークソング部のみんな、よろしくお願いします」  一礼して放送室を出ていく。階段の先では暗闇が待ち受けていた。ここを下りたら、今度こそ着替えなければいけない。 「待って」  一段目に足をかけようとすると、今宮に呼び止められた。 「本番がんばって」 「……うん」 「それと、いい曲だって言ってくれてありがとう。ほんとはめちゃくちゃうれしかった。じゃあ、あとで」  照れくさそうに放送室へ引っ込んでいく今宮はいいやつだった。いつか今宮のようなやつが幸せになる舞台を作ろう。  階段を下りていく。さっきと違うのは階段の先で沢井が待ち受けていた。そのせいでゆっくりいきたいのに、少し小走りになった。 「どうしたの? なんかあった?」 「いや、終わったらにしようと思ったんっすけど」  ヤチマタ役の沢井の顔は、黒や茶色の絵の具で汚れていた。 「監督、あのフォークソング部の人に告られてましたよね」  思わず叫んでしまいそうになるのを寸前でなんとか飲み込んだ。  辺りを見回す。沢井の発言を聞いていそうな部員はいなかった。  私は衣装がしわになるのも構わず沢井の腕をつかんで隅の方へ引っ張っていった。 「なに! え、いたの!」 「いたってゆうか、通りかかったってゆうか。あ、偶然っすよ」 「わかってるよそんなこと。誰にも言ってないよね」 「そこら辺は任せてください」  なぜか沢井は自慢げに胸を張った。 「え、じゃあ、なに? もうふざけてる時間ないんだよ!」 「だってえ、監督が一番緊張してるんっすもん」  そんなことない! いや、あるかも……。だからって、そんな緊張のほぐし方ある?  スマホが震えた。誰だ、こんな時に。 〈ごめん〉  メッセージはそれだけだった。 「監督? どうしたんっすか?」  スマホを見つめたまま固まる私の顔を沢井がのぞきこんでくる。  私はぐるぐると考えた。これはクライマックスか。それともプロローグか。 「沢井」 「うっす」 「本番前には帰ってくるってみんなに伝えて」  あわてふためく沢井の声を背中で聞きながら、私は舞台袖を飛び出していった。  体育の壁際を走っていく。横目で客席を見ると、前二列と後ろの席がぽつぽつと埋まっていた。
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