裏舞台

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開演二十分前  文化祭終盤のざわめきから離れたところで私は立ち止まった。  もう一度、主役からのメッセージを確認する。〈ごめん〉とはなんだろう。本当はそんなこと思ってないくせに。本当にそう思っているなら、ここにきて直接みんなに謝ればいい。  私は彼女に電話をかけた。  長い発信音。ワンコール終わるたびに、この世からなにかが消えていくようなさみしさを覚えた。  音が途切れる。  小さな雑音が埋め尽くす空間の向こうに緊張した息遣いが聞こえた。 「もしもし?」 『……ごめん』  この声だ。今日、舞台でセリフを発するのはこの声だ。 「ごめんってなにが?」 『みんなに迷惑かけて。ほんとにごめんなさい』  私はすぐに理由を聞こうとしてやめた。まだ私のセリフじゃない。同時進行でできあがっていく脚本には主役のセリフが続いている。 『最後なのに、最後だからちゃんとしたかったのに。やっぱり主役断っておけばよかった』  まだだ。あともう少し。 『怒ってる、よね。占いなんてバカみたいって自分でもわかってるんだけど、どうしようもなくて』 「占い?」 『テレビの。朝見た』 「朝、テレビの占い見たの?」 『いつもは見てないんだよ。でもどうしてか今日は気になって』 「たまたま見ちゃったんだ」 『うん。そしたら蟹座が最下位だったの』 「誕生日七月一日だもんね」 『大舞台で失敗するって言ってた。それ聞いたら、私のせいでみんなの舞台ダメにしたらどうしようってすごくこわくなった。自分でもわかってるんだよ。こんなことでって。だけど、どうしても体が動かないの』  私たちの三年間はたまたま見た朝の占いに負けるのか!  がっくりとひざをつきそうになった。周りが暗転して、私だけにピンスポットが当たる。悲劇の始まりだ。  それならそれでいい。負けたなら負けてからの物語を作ればいいんだから。監督にはそれができる。最高の監督の演技で私があなたにセリフをあげる。あなたを舞台に立たせてあげる。  息を吸った。 「失敗ならもうしてるでしょ」  張りつめていた主役の心に一瞬の隙が見えた。  セリフを間違えるなよ、私。 「大遅刻だよ」  笑いかける。彼女はなにも言わない。でも場面は変わった。 私は続けた。 「ここまでどれくらいかかる?」 『四十……三十分……』 「三十!」 『待って!』電話の向こうでばたばたと駆ける音がする。『親が帰ってきたから車で送ってもらう。十五分でいく』 「急いで。みんな待ってるから」 『わかった』  主役があわただしく電話を切る。通話の終了音が「やったじゃん」と私の頭を小突いた。  深く息を吐いて、しばらくぼうっとした。  本番はこれからだっていうのに、やりきった思いでいっぱいだった。あとは役者たちに任せよう。  私は演劇部のみんなにメッセージを送って主役がくることを伝え、下駄箱に向かった。 階段を下りながら、これじゃあ円陣組む時間ないなあと少し残念に思った。
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