裏舞台

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開演六時間前 「主役がきてないってほんと!」  気持ちが先走って、開き切っていないドアに叫んだ。  演劇部の狭い部室の中にいた八人の部員たちが、ぽかんと私を見る。聞き取れなかったらしい。監督の指示が一度で通らないのはいつものことだ。 「主役がきてないってほんと」  私はできるだけ駆け込んできた時と同じテンションを保った。冷静に見えてこの緊急事態にどれだけ私の頭が沸騰しそうになっているか、少しでも理解してほしかった。  舞台でもスポーツでもそうだけど、注目される人間はちやほやされる一方、裏では孤独に耐えていると語られるが、注目されず常に裏にいる人間だって孤独だ。こんなこと言ったら、裏の裏なら表じゃないっすかと、二年の沢井あたりがめんどうなツッコミを入れてきそうだ。  裏の裏が表? そんなの誰が決めたんだ。私の場合、スパイものに使われる二重底になってるんだよ。スパイが拷問された時のために用意しておくいかにもなニセ情報。「いかにも」だから、相手はそれを価値のある情報だと受け取る。  それって面の皮が厚いってことですか?  うるさい脳内沢井。  別に私はどうせ人間はみんな孤独だ、なんてシェイクスピアの舞台みたいに嘆きたいわけじゃない。要はもう少し監督の話を聞けってことだ。 「きてないみたいっすね」  沢井が他人事のように言った。髪の毛をセットしてこいってあれだけ言ったのに、今日も寝癖がついている。  私は沢井への注意を飲み込んで、主役に電話した。長いコール音ののち留守番電話サービスにつながった。 「出ないじゃん!」 「だからそう言ってるじゃないっすか」 「私もさっきから電話してるんだけど全然つながらなくて。メッセージも見てるのか見てないのか」  三年のくーみんが手に持ったスマホを二、三度振った。 「なにそれどういうこと。きのうは学校きてたんだよね?」  くーみんは主役と同じクラスだった。 「きてた、きてた。でも縁日の担当が私が午前であっちが午後だったから、朝会っただけで、それからどうしたのかはわからない」 「あたし四組の縁日いきましたよ」二年の多田ちゃんが小さく手を上げる。「輪投げ、意外に楽しかったです」 「ほんと? よかった。ありがとー」  仲良し姉妹のようなほっこりした会話に少しイラッとする。こんな時にそんな話どうでもいいじゃない! という言葉を口には出さない代わりに何度も頭の中で再生させた。 「その時、多田ちゃんは主役見たの?」 「先輩いるかなーと思ったんですけどいなかったです」 「体調不良で帰ったとかはないの?」  くーみんが首を横に振る。「なかったと思うよ。帰りに担任と会ってちょっと話したけど、「文化祭一日目なにもなくてよかったな」って言ってたから、クラスの誰も帰ったり体調崩したりしてないはずだよ」 「あ、そういえば俺見たな」と言ったのは、三年の溝口だった。 舞台俳優にはもってこいの高身長男子だが、歴代の監督たちの手に負えないほど演技がへたで、やむなく技術要員になった。私が演劇部の監督に就任した時もなんとか活かせないか考え、一言もセリフのない役を思いついた。でも実際やってみると、セリフがあろうがなかろうが溝口の演技は変わらなかった。そこで私はセリフがある時だけが演技ではないと学んだ。 「たぶん昼過ぎくらいだったかな」 「で、どんな様子だった? なんか言ってなかった?」 「後ろ姿見ただけだから、そこまではわかんねーよ。トイレもれそうだったし」 「トイレがもれるってなんっすか」  沢井、余計な口をはさむんじゃない。 「じゃあ結局誰も主役を見てないってこと?」  一階の教室から三階の部室まで階段を駆け上がってきた疲れがどっと押し寄せてきた。よろめくように近くの壁にもたれかかる。  あーあ、やっちゃった。先生の言いつけを破った子を見るような部員の視線が痛い。  演劇部なのにも関わらず、この二年間、文化祭での体育館舞台使用のくじにはずれ続けていた。それが高校最後でやっと勝ち取ったのだ。 これまで演劇部では映画やドラマを舞台風にアレンジしたものをやっていた。それを文化祭ではオリジナルの脚本で勝負することにした。自分たちのクラスの出し物もあるから、それと並行しながら練習をして、圧倒的に時間が足りない中なんとか見せられるレベルには仕上げた。顧問の岡野先生は「まあ、いいんじゃない」と言っていたけれど、主役がいなきゃ「まあ、いいじゃない」すら言ってもらえなくなる。 「それと生配信できないっぽいっすよ」 「なんで!」  私はさっと壁から離れた。  舞台の生配信は今回最大の売りだった。生配信すれば話題にもなるし、それを見た校内の生徒やお客さんが体育館に集まってくれるかもしれない。知名度のない演劇部はこれくらいしないとやっていけない。 生配信のハードルは高かった。岡野先生に何度も頼みこみ、学年主任と相談を重ね、三日前にやっと教頭先生から許可が下りた。なのに、今さらそれができないなんて。 「なんか著作権に引っかかるって」  沢井がスマホの画面をスクロールする。 「音楽の使用ならちゃんと調べた。学校行事での使用は引っかかりません」 「配信する場合は別らしいっすよ」 「え!」  沢井のこういうところが苦手だ。いつも生意気なのに、変なところで気が利く。  私はネットで著作権についてもう一度よく調べてみた。なんだかごちゃごちゃと長ったらしい説明を半分読み飛ばしながら読んでいく。書いてある内容としては、学校行事でも広く配信する場合は手続きが必要ということだった。 「そんな……お金取るわけじゃないのに……」 「でも絶対怒られるっすよ」 「怒られる。配信許可してもらった時も著作権については大丈夫ですって自信満々に言っちゃったし」 「音楽なしでやる?」  くーみん、それは結論がはやいって。  舞台で使う音楽はほとんどが舞台演劇用のCDに入ったものだ。ただ見せ所で流す曲だけは、アーティストの歌を使う予定だった。それが著作権に引っかかるらしい。 「俺あの歌結構好きだったんだけどなあ」 「俺も俺も。『少年期』が流れてくるとじーんとしてきて、テツヤしみるよな」 「ああぼーくはーどうしてー大人になるんだろー ああぼーくはいつごろー大人になるんだろー」  肩を組んで合唱し始めた男子たち。おまえらの音楽の趣味なんてどうでもいいから今は解決策を考えろ。 「わかった。ちょっと考えてみる」  結局、今の時点でいい解決策は見出せず、本番までにどうするか決めることにした。  ああ、せっかくの晴れ舞台になんでこうも問題が起きるんだ。やっぱり高校生最後、文化祭最終日、トリに体育館の舞台を使うのが演劇部なんて柄じゃなかったのかな。  これまでの活動は、年に二回の公演を目標にしてきた。体育館はバスケットボール部とバレーボール部が優先だから当然使えず、公演場所はスペースと、使える機具が限られる多目的室だった。  お客さんはたまに友達やどこかで知った生徒が二、三人きてくれる程度で、無観客でやることもめずらしくなかった。  私は思わず額に手を当てた。 「大丈夫?」  心配したくーみんが近寄ってきて、私の肩に触れた。  ちょっとどんくさいところはあるけれど、くーみんはいつもみんなを見ている。誰かが不安そうにすればいっしょに不安になってあげるし、誰かがよろこべばいっしょになって祝ってあげる。チームには欠かせない子だ。 「ありがとう、くーみん。大丈夫」  私はくーみんに微笑んで、それから部員たちを見た。 「みんな聞いて。いろいろトラブルが出て不安だと思う。でもまだ時間はある。開演までにはなんとかするから、役者も技術員も本番に向けて最終チェックをお願いします」 「主役がこなかったらどうするんですか?」  多田ちゃんが少しきつめの声で言った。 「……代役で私がやります。でもギリギリまで待つつもり。くーみんは引き続き連絡入れてみて」 「わかった」 「音楽のことも岡野先生と話してみます。あと他になにかある人はいますか」 「あ、あの……」  部室の隅で縮こまっていた一年の森くんが細い手を上げた。「どうぞ」と言っても、森くんはすぐに口を開かなかった。今年は新入部員がこの森くんと、矢島さんの二人しか入らなかったからできるだけ大切にしていきたい。  私はやさしく「どうかしたの」と付け足した。 「あの……『心臓』が……なくなりました」 「え!」と言ったのは、森くん以外の部員全員だった。それぞれがそれぞれの心臓を失ったように心細さが部屋を満たした。  森くんの横には舞台で使う小道具が入った段ボールがあり、『心臓』もそこに入っているはずだった。 「んなわけねーだろ。きのうも見たんだぞ」  溝口があわててチェックする。部員が足りない演劇部では、それぞれが複数の仕事を兼任している。私は監督、脚本、技術補佐を、くーみんたち女子は役者と衣装、溝口たち男子は技術や役者、小道具を受け持っていた。  なくなったという『心臓』は溝口の力作だった。ちゃんと表面に筋があって、赤黒く、遠目から見れば本物と見間違えてもおかしくはないクオリティだった。  今回の物語は主人公が『心臓』を手放すところから始まる。それから旅をして様々な人と出会う中で、『心臓』を手放したことをひどく後悔する。最後は無事に『心臓』を取りもどしたのか……というところで終わる。  段ボールの中をあさり、ぼうっと体を起こした溝口の大きな背中が、『心臓』の消失を告げていた。 「俺の『心臓』どこいったんだよお!」  なかなかおもしろいセリフだ。でも今は聞きたくない。 「きのうは見たんだよね?」 「夕方、帰る前にもし壊れてるとこあったらいけないと思って見にきたんだ」 「じゃあなくなったのは夕方から今朝にかけて」 「あの……」矢島さんだった。みんなの視線を受けて、カメのように首を縮めた。「朝きたら部室のドアノブに鍵ささったままになってて、それと関係ありますか」 「うそ! 俺!」  犯人が犯人を指さす。 「溝口~」私は溝口の腕をなぐろうとして身長が足りず、脇腹をなぐった。「てことは、誰でも入れたってことでしょ。あんなものなにに使うかわかんないけど、誰かが盗んだ可能性もある」 「え、ヤバ。先生に言った方がよくないっすか」  薄ら笑いが隠せていない沢井が言った。 「探してからね。ああ、もういかなきゃ」  壁の時計を見ると、八時五十二分だった。 「え、監督離れちゃうんっすか」 「クラスの出し物があるから」 「今日っすか? 俺たちにはあれだけ一日目に入れって言ったくせに」  沢井が口をとがらせる。 「しょうがないじゃん。じゃんけんで負けちゃったんだから」 「なにやるんっすか」 「異世界カフェ」  沢井が噴き出し笑った。 「ごめん。昼にはこっち合流するから。それまでみんなで『心臓』探しといて。あと沢井は寝癖直しとくこと」  部室を出た私はクラスにもどる前に二階の放送室へ向かった。  ノックをしてドアを開ける。顔なじみになった文化祭実行委員の一、二年生がまたかという顔で私を見て、一瞬止まった作業を再開させた。  私は部屋の奥へ進み、数人と打合せしている委員長を呼んだ。 「今日よろしくね」 「わかってる。午前に一回、お昼に二回、開演前に二回。ちゃーんと宣伝しますよ。じゃないと私も数学ヤバいんで」  今年の文化祭実行委員の委員長をクラスメイトが務めることになったのは幸運だった。私が丁寧にまとめた数学ノートを一週間貸すのと引き換えに、他の演目より多めに演劇部の宣伝をしてもらう取り引きができた。  文化祭中の校内はどこもにぎわっているから、正直、どれだけの人数が校内アナウンスをちゃんと聞くのかはわからない。それでもやれることだけはやっておきたかった。これも監督の仕事だ。 「それからもう一つお願いがあるんだけど」 「ええ、なに? まさかクラスの宣伝もしろって?」 「異世界カフェなんて宣伝されちゃ困るよ。きのうどうだった? お客さん入った?」 「入った。写真撮らせてくださいって人までいてさ。キャバクラかよって」  性格はきついが委員長はかわいらしい顔をしている。おまけに異世界カフェでは猫耳を付けていたから、そういう申し込みがあっても不思議じゃなかった。 「猫耳だからメイドの方じゃん?」 「あんたは何やんの?」 「村の娘」 「異世界関係ないじゃん」 「担当の時間終わったらすぐ演劇部いかきゃいけないからメイクできないんだよ」 「まあ、いいや。で? お願いって?」  彼女は腕を組み、聞く態勢を整えた。 「実はさ小道具がなくなっちゃって。できれば落とし物としてアナウンスしてほしいなーって」 「なんだ、それくらいならいいよ。小道具ってどんなの?」  まさか『心臓』なんて言えない。言ったら、部室の鍵を閉め忘れて帰ったことも岡野先生にバレるかもしれない。 「うーんと、丸くて、弾力があって、なくなると困るもの」 「いや、物の名前を教えてよ」 「それがちょっとややこしくて……」 「どういう時に使うの?」 「どういう時……運動かな?」 「運動……丸くて、弾力……。めんどくさいからボールでいい?」 「ああ……うん、赤黒いボール」 「オッケー。あとで入れとく」 「ありがとう。じゃあ、がんばって」  別れを告げていこうとすると、委員長が言った。 「そうだ。時間あったら劇見にいくから」 「期待しないで待ってる」  放送室を出ていく時にも、数人の後輩から「がんばってください」と声をかけられた。  文化祭実行委員は、夏休み前から文化祭へ向けて準備をしていた。当日もほとんど遊ばず、文化祭が無事に終わることを祈りながら、次々とやってくる依頼やトラブルに対応していく。  きっとトリの演劇が開演できませんでしたなんてことになったら、実行委員も残念がるだろう。たとえそれが一人しかお客が入らない劇だったとしても。  私は少しだけ元気になって放送室を出た。
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