飛行機雲の行方

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「私、京大目指すの辞めるわ。航空整備士になるために、専門学校に行こうと思う」  2022年12月24日。冬休み初日。  18時台には辺りがすっかり暗くなっていて、コートの前のファスナーをきちんと上まであげて首元を守りたくなるような寒さの日だった。  ちらちらと雪が降り始めている。ホワイトクリスマスだねなんて行き交う男女がきゃっきゃとはしゃぐようなクリスマスイブに、受験生の僕らはキリストなんてクソ食らえ、とファミレスで勉強会をするために集まっていた。  同じ志望校を目指すもの同士で勉強した方が刺激になるから、と定期的に開催されていた京大勉強会。それなのに。1杯目のドリンクバーを取りに行って着席したタイミングで、鈴宮涼華はそう宣言した。 「え、どういうこと?」  鈴宮の隣に座った畑野悠美が、さっきの言葉は聞き間違いで「え、京大の中で志望学部変えようと思って」くらいの内容であることを確認するように鈴宮に聞いた。 「いや、今言った通りなの。私、将来なりたいものがやっと見つかったんだ。だから京大には行かない。専門学校に行って、1年でも早く専門知識を身につけることにしたの」  どうやら畑野と僕の聞き間違いではなかったらしい。  鈴宮はタレ目でいつもニコニコしている。その優しいタレ目は変わらないのだが、瞳の奥は凛としていた。  はっきりとした口調でそう言った鈴宮は、何かコメントを求めるように畑野と僕を交互に見た。  自然と畑野と顔を見合わせる。いつも強気な畑野にしては珍しく、眉毛が二次曲線を描いていた。明らかに困惑している。  ここは僕が何か返事をせねば、と思うが、全く言葉が思いつかない。なんで? とか、本当に? とか、さっきと同じ返答が返ってきそうな質問だけが次から次へと出てくるばかりだ。我ながら情けない。  何か気の利いた返事をせねばと、鈴宮の方を見て「えーっと」で何か良い返事が思いつくまでの時間稼ぎをしていると、僕を遮って畑野が 「なんで? しかも今?」 と、横の席の人に聞こえるくらいのしっかりしたボリュームで鈴宮に聞いた。  あ、畑野もその感想なんだ、良かった。僕もそれが率直に聞きたかった。 「急にごめんね。こんなこと言われても戸惑うだろうなとは思ったんだけど、二人にはまず伝えておきたいなと思って」  鈴宮は申し訳なさそうに両手を胸の前で合わせて、目を細めてペコっとお辞儀した。 「そりゃ戸惑うよ……。え、しかも今からまさに勉強会しようとしてたのに、なんで今?! ちょっとびっくりして勉強どころじゃないわ」 「ごめん。でも決めてから3人で集まるタイミングが最速で今日だったから。大丈夫! 二人は勉強続けてて。私は専門学校の入試の問題するし。あ、邪魔だったら帰るから」 「そんな勝手な……」 「なんで急に専門学校に行こうと思ったの? もし航空分野に興味があるなら、大学でも学べるよ。鈴宮が狙ってた京大の工学部にも航空宇宙工学科がある。僕もそこ狙ってるし」  やっと疑問がまとまって僕は声を出せた。うん。今更専門学校というのは突拍子もなさすぎる。だったら今まで通り京大を目指して、その中で航空整備士を目指すこともできるじゃないか。  鈴宮が急に、専門学校を選ぶ意味がちょっとよく分からなかった。せっかく今まで勉強してきたのに、専門学校なら今まで勉強してきた意味がなくなってしまう。僕はなんとなく飛行機とかロケットが好きだったから航空工学科を志望していた。専門学校という選択肢はなくて、大学を卒業する就職のタイミングで、ちゃんと考えてどこかに就職すれば良いと思っていた。 「うーん、なんかね。このまま勉強してて良いのかなって思っちゃって。やりたいことも、なりたいものも見えてきたのに、大学に行く意味ってあるのかなって。だったら、早めに専門学校でやりたいことを集中して学んだ方が自分のためになるなって、そう思って決めたの。決心したのは最近なんだけどね」  さっきドリンクバーで取ってきたココアが入ったカップを両手で包んで指先を温めながら、鈴宮は自分で自分の意思を確かめるようにそう言った。 「それ、先生やご両親は知ってるの? 大学なんて行っておいた方が良いに決まってるじゃん。この先、どんな大企業がいつなくなるかも分からない時代だよ? いろんな専門性とか経験があった方が絶対良いよ」  畑野が横から、赤信号は止まれだよと説明する様な強い口調で鈴宮に言い放つ。 「先生にはまだ言ってない……。休み明けに言うつもり。親にはもう言ってあるの。最初は反対してたよ、それこそ悠美と同じこと言われた。それだけ勉強もできるのに勿体ないって。でも、私やっぱり大学に行くことに前向きな気持ちになれなくて。色々話し合って最終的には共通テストは受けることを条件に、専門学校の入試を受けることを許してもらえたの。本当は中途半場なことしたくないから共通テストも受けないつもりだったんだけどね。潰しはあった方が良いからって、そこだけは譲ってくれなくて。なんなんだろうね、潰しって。なんで受ける前からダメだった時のこと考えようとするんだろうね」 「そりゃそうでしょう。絶対先生にも反対されるよ。しかももう年末だよ?! 専門学校って今から準備しても間に合う感じなの? それになんか、偏差値低い人たちが集まってそうだし。涼華、頭いいんだから大学行っといた方が絶対いいよ」  ニコニコしていた鈴宮の頬がピクッと動いた。  畑野は横に腰掛けた鈴宮の方に完全に体を向けきって話していた。畑野なりに、鈴宮の現状を自分なりに解釈して意見しているんだろう。  ただ、これが正義だ! と言わんばかりの畑野の口調や剣幕には、時々イラっとさせられることがあった。  今日は、僕も鈴宮の宣言に驚いたから畑野の気持ちは分からなくもないが、意を決して決断してそれを僕らに律儀に宣言してくれた今の鈴宮にとっては、やっとできた自分の庭の柵に闘牛が突進してくるような危機感を覚えたのかもしれない。  鈴宮の視線が、僕らの顔から机の上のココアに落ちた。 「偏差値とかさ、あんま関係ないと思うよ。確かに将来的には、悠美が言うみたいに大学行っておいたほうが安心なのかもだけど。でも、偏差値が全てじゃないと思う。色々考えて専門学校で学べることの方がいいなって思ったの。大学の堅苦しいホームページよりも、専門学校の実習内容とかが載ってるページ見てるとわくわくしてさ」  見つめていたココアのカップに手をかけて、ごくごくっと鈴宮は一気に飲み干した。  いつもなら、3人で勉強したり話したりするうちに少しずつ減っていくドリンク。ホットの飲み物だったら、最後なんか生ぬるくなっちゃってあんまり美味しくなくなったところをクッと飲み干して、誰となく2杯目にいくかと声をかけ、ドリンクバーと席との往復を繰り返すのが、この勉強会での日常だった。  一気に鈴宮の中に流し込まれたココア。空っぽになったカップを見て、ちょっと寂しくなった。 「ごめん! 私やっぱり帰るね。いきなりこんなこと言って戸惑わせてごめんなんだけど、2人には伝えておきたくて。じゃあまた学校で。私は京大目指すの辞めちゃうけど、2人のことはずっと応援してるから」  そう言って鈴宮は、紺色のピーコートを席から立ち上がりながら器用に羽織り、いつも丁寧に首の後ろから前へ持ってきてもう一度後ろで一つくくりにするマフラーをひっつかんで、ドリンクバーだけだから500円あれば足りるよねと500円玉を財布から出してカップの横に置き、畑野と僕の顔を一瞥して、申し訳なさそうに笑いながらじゃあねと風のように帰っていった。 「涼華、大丈夫かなあ。また突拍子も無いこと言い出して。先生が聞いたら絶対反対するよ」  畑野はため息をつきながらブラックのコーヒーを一口だけ飲んだ。 「そだね。でも、ああやってちゃんと自分の力で行動できる鈴宮はすごいよ。僕も航空科興味あるけど、専門学校は頭になかったからなあ」 「そりゃそうでしょ。私たち進学校の生徒なんだよ? 大学に行くのなんか当たり前だし、旧帝大のどの学校狙うかの話するレベルなのに」  しかももう年末なのに、絶対やめといた方がいいよと呟きながら、畑野は鞄から共通テストの過去問題集とノートを引っ張り出した。 「ひとまず、私たちは来月の共通テストに向けて追い込みだね」  畑野は鈴宮の京大目指すの辞める宣言にも動じず、いつものように勉強を始めようとしている。そのメンタルの強さが正直僕には羨ましい。  僕はというと、胸の中にモヤモヤしたものと、何に対してかよく分からない焦りが泡のようにぶくぶくと発生していて、畑野につられて過去問集を開いてノートにペンを走らせるも、全く集中できなかった。問題文が全然頭に入らない。  大学って、確かになんでいくんだろう。僕は鈴宮と同じで航空分野に興味があるけど、このまま受験の勉強をするだけでいいのかな。  今まで3人一緒に並んで走っていたのに、急に鈴宮だけ消えてしまった。  いや、別の道を走ろうとしている鈴宮が僕にはすごく大人でかっこよく見えて、今将来に向けて勉強しているのは僕の方なのにちょっと悔しくて、胃袋だけ急に重力が増したみたいにしんどくなった。  僕も自分のこと、ちゃんと考えた方がいいんだろうな。  明日は志望学部について見直す日にしようと、今日はもう集中できそうにないから明日からの勉強スケジュールを立てることにした。  畑野はいつも通り、スマホのタイマーで時間を計りながら、一心に問題を解いている。  窓越しにちらちらと降る雪を眺めながら、飲み損ねていたココアに口をつける。まだたっぷりあるのに、生ぬるくて美味しくはなかった。
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