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21時になったのでファミレスを出た。
肩の力が抜ける。一刻も早く帰って何も考えずに寝たかった。
1月の夜は寒い。さっき鈴宮の家に行った時より気温が下がっているのがわかった。この寒さだと雪が降りそうだ。
横断歩道を渡って目の前が駅だ。青信号待ちで4人が道路を向いて立っている。ピッポ、というちょっと間抜けな音が聞こえて、真っ黒の道路に青い光が落ちた。
「じゃあみんな気をつけてね。今日は来てくれてありがとう」
鈴宮は立ち止まったまま、僕らに手を振った。
じゃあまた明日、と振り返って僕も手を振り返そうとしたら
「陽介、チャンスだぞ」
と隣に立っていた村田が僕にだけ聞こえる音量で囁いた。
え? と聞き返す間も無く
「じゃあ僕らは帰るわ! 鈴宮さん、また学校で。もう遅いし陽介送ってやんなよ」
バンっと背中を押されて振り返ったまま前に1歩よろける。ちょうど鈴宮の目の前に立つ形になった。
村田、やってくれたな。
振り向いて村田をジロッと睨む。村田は気にも留めずに、畑野さんは僕が送るからー! と言って横断歩道を渡って駅の方に向かっていた。
「じゃあね、涼華、宮嶋くん! また学校でー!」
手を振る畑野と村田が、駅の構内に消えていった。
「いいの? 宮嶋くん」
鈴宮が僕を見上げる。まっすぐ見つめられて、僕は慌てて視線を逸らした。
「うん。もう遅いし、家まで送るよ」
そう言って来た道を歩き出す。
「ありがとう、ごめんね遅いのに」
鈴宮ははーっと息を長く吐いて、白くなった空気が夜の中に消えていくのを満足そうに見ていた。
「宮嶋くんはさ、なんで航空系目指そうと思ったの?」
駅から鈴宮の家までは歩いて5分くらいだ。黙っていてもあっという間についてしまうだろう。
さっきのファミレスで予想以上にえぐられてしまった僕は、いくら鈴宮と2人っきりだとしても、何か話をして盛り上げようという気持ちは、完全に落ち込む気持ちに負けてしまっていた。
沈黙に耐えかねたのか、鈴宮の方から話出した。
「なんでって……僕には村田とか鈴宮みたいにはっきりした理由はないよ。なんとなくだよ。なんとなく飛行機とかロケットが好きで、いつか自分でも作ってみたいなあと思って。作れたら楽しいのかなって。ほんとそれだけ」
情けなくって、隣で歩く鈴宮の顔なんて見えなかったし見ようとも思わなかった。ここで僕が、どっかの企業のインターン?ってやつで部品の設計に関わったことがあるんだ、とか、自分で簡易模型で飛行機作って大会に出たことがあるんだ、とか、そんな華々しい功績があれば、もっと堂々と話せただろうに。
村田の話を聞いてしまってからは、僕のどんな動機もちっぽけで浅はかなものに感じられた。
「はは、いいねそれ。自分で作ってみたいなって気持ち、私もあるなあ」
鈴宮は、飛行機雲なんてない夜空を見ながら言った。
「私もね、本当は村田くんみたいに実績があったりしたらこんなに悩まずにすんだのかなって思うよ。羨ましいよね」
「鈴宮は十分すごいよ。自分の意志をちゃんと持ってる」
「そうかな、でも私だって最初はなんとなくだよ。ドラマでさ、航空整備士が主人公のドラマを見たの。私一瞬で虜になっちゃったんだ。架空の話なのにね。膨大な知識を持ちながら、それを人の役に立てるために発揮してさ、すごいよね。あんなに大きな飛行機で起こる不具合を、すっごく小さな部品とか回路とかをいじるだけで直しちゃうんだよ。私たちが今まで必死に勉強して来た知識なんて、誰かの役に立つのか分かんないもん。因数分解とか、ラジカル重合とかさ。あ、化学は医療分野で役立つか。整備士ってね、自分で工具とかねじを使って、自分のこの手でそれを実現してくんだよ。かっこよくない?」
そう言って鈴宮は両手を僕に広げて見せた。女の子らしい、白くて指が細くて、握ったら柔らかそうな小さな手だった。寒さでちょっとだけ赤くなっている。
そんなに綺麗な小さい手で、まっすぐに自分の理想を叶えようとしている。格好良かった。今すぐその手を握りしめたい衝動をぐっとこらえた。僕はどうだ。この、ゴツゴツとして鈴宮よりもひと回り大きい手をしているのに、何をつかもうとしているんだろうか。
「ほんと、それだけなんだよね。その気持ちだけで進路決めたからさ、実績なんて何にもないんだよね」
ちょっとだけ寂しそうな声をして、鈴宮は手をコートのポケットにしまった。
「そんなことないよ」
僕は立ち止まっていた。
「そんなことないよ、鈴宮は、ちゃんと自分の意志に向かって動けてる。常識とか、世の中の正解とか、そういうの全部とらわれずに、自分の意志に正直に動けるって、なかなかできないよ」
鈴宮に向き直る。僕につられて彼女も足を止めた。
「僕はそんな鈴宮のこと……」
ここまで来て唾を飲み込む。
鈴宮が僕を見ている。僕も正面から鈴宮を見た。
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