飛行機雲の行方

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 あの夜、僕の不安はお見通しだったのだろうか。  2023年3月、僕は初めての一人暮らしに向けて自室で荷造りをしている。床に座り込んで、勉強机の引き出しから持って行くものを選抜中だ。  あの時に鈴宮からもらったカイロは未開封のまま。なんとなく使えなくて、そんでもって捨てられなくて、机の引き出しに突っ込んでいた。2ヶ月ぶりくらいに見たカイロのウサギは、しわくちゃに線が入っていて老けていた。  僕らは受験を終えて高校を卒業した。まだ大学生という実感はないけれど、人生という嵐の中の勉強や進路の悩みがひっきりなしにぶつかってきた毎日が終了して、数ヶ月前と比べたら今は穏やかに過ごしている。  鈴宮は無事、専門学校に合格した。  春からは愛知の航空専門学校の整備科で勉強する。  さすが鈴宮だ。専門学校というのは大学受験のように特別な科目試験はないけれど、定員が決まっているから早めに受験した方が有利らしい。年始に受験した鈴宮は不利だったはずだが、それでも見事に合格を決めていた。僕らの住む滋賀県からはさすがに通えないから、寮に入るらしい。  今までみたいに会いにくくはなるが、僕は時々鈴宮と個人LINEするようになっていた。『鈴宮涼華』自分の友達とのトーク画面に、グループじゃなくて鈴宮個人の名前が入るのは嬉しい。  LINEだけの繋がりでも満足だったけれど、勇気を出して夏休みには愛知に遊びにいく約束をした。去年までの僕なら考えられない行動だったが、鈴宮は快くOKしてくれた。もちろん2人でじゃなくて、鈴宮と同じ愛知に住む村田や、畑野も一緒にと言われてしまったが。  村田は推薦入試に宣言通り合格し、名古屋大学の理学部に進学する。村田が推薦を受けると聞いたあの日から、化石調査について詳しく聞いてみると思わぬ事実が発覚した。部活の練習がない休日やバスケ部を辞めてからの休みはほぼ毎日、父親と一緒に化石調査に出かけていたというのだ。そりゃ勉強会の誘いを断るはずだ。  言ってくれても良かったのにと問い詰めると「オタクだって引かれたらやだなって思って言えなかった」と口をすぼめていた。  畑野は見事にその才を発揮し、京大の薬学部に主席合格した。ただでさえ京大の薬学部は偏差値が高いのに、主席で通過となると将来はノーベル賞でも取るんじゃないかと半ば本気で思う。  本人も満足そうで、東大でもよかったかな、と冗談を言っていた。冗談に聞こえなかったので、畑野のトップを目指す気概にはあっぱれだ。大学にはしばらく実家から通うらしい。  そして僕だが、鈴宮の励ましに応えるように京大に無事合格……とはいかず、前期試験に落ちた。そう、僕だけ落ちてしまった。  原因は自分でもわかっている。あの4人でファミレスで話した時から、悶々と自分の進路ややりたいことについて考えるようになってしまって全く勉強に集中できなかったのだ。  勉強すればするほど、「いい大学に行ったら偉い人なのか」という問いが、鍋の底で焦げ付いた焦げのように僕の頭にこびりついて離れなくなって、思うように進まない。  でも大学の航空分野に進みたいのは本当だったから、というかそれ以外に意志なんてなかったから、いろんな学校の航空分野をリストアップして、どこの学校に行くのが1番楽しそうかを考えたりしているうちに時間だけがすぎてしまった。  あっという間に京大の前期試験日が来て、僕は回答用紙に向き合うも全く手応えのない苦痛の2日間を過ごすことになった。  京大には不合格だったが、中期に受けていた大阪公立大学の工学部に合格した。この大学にも航空工学科があって、鳥人間コンテストに毎年出場している部活動もあるくらいで航空分野には明るい大学だ。  結果的には良かったなと思っている。京大に落ちたことで多少なりともショックを受けた。でもそれが、高校生から大学生になるために必要なショックというか、挫折というにはおこがましいが落ち込むべきポイントだった気がしている。  大阪の大学は滋賀県からは通いづらいので一人暮らしをすることにしたのだ。京大にもし受かっていたら家から通う予定だったから、こんな未来はなかったかもしれない。  本当に、未来っていうのは分からない。僕は今、大阪で始まろうとしているキャンパスライフに胸の高鳴りを隠せない。  京大に落ちた時にはこんな風に鼻歌なんて口ずさみながら荷造りしている自分を想像できなかったし、それこそ自分の進路についてもう一度考え直さなければ、大阪公立大学も鳥人間コンテストのことも何にも知らないまま全然違う大学に進んでいたかもしれない。  開けた窓から風が吹き込んだ。3月の風はまだ少し肌寒い。荷造りの手を止めて、背後のベッドの淵にもたれてほんの数秒目を閉じる。頬に当たる風がひんやりとして気持ちよかった。  受験が終わった今だからこそ、鈴宮があの日僕にかけてくれた言葉の意味が少し理解できた気がする。本当は試験前に気付けばもっと心に余裕が生まれたのかもしれないけど。  目を開けて、正面の棚に並んだ飛行機のプラモデルたちを端から順番に眺める。僕は、あんな飛行機たちを本当に将来作れるようになるんだろうか。  分かんないけど、今はそれを目指して頑張ってみたい。あの日鈴宮が言ってくれた未来を、僕はいつか実現したいと思っている。  景気付けにたこ焼きでも食べに行こうかな。片付けがまだ済んでいない部屋のまま、僕は部屋を後にした。
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