飛行機雲の行方

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 鈴宮は陸上部で、同学年の女子にいじめられていた。  いじめると言っても、悪質な嫌がらせというよりは、鈴宮だけ除け者にするような。まるで鈴宮がそこに居ないかのように接されていた。  僕が気付いたのは、高2の冬休みだ。  冬は大会がないので、冬練と言われる練習で、ひたすら筋トレや基礎トレを繰り返す。直近に大会がないからみんなのモチベーションも下がりやすいのだ。  僕らの高校の陸上部はさして強くない。毎年、地区予選で終わるのがいつものことで、県大会に誰か1人が出られるだけでヒャッホイというような弱小部だった。  鈴宮は女子の副部長だった。部長は男子が担当するしきたりになっている。   1年の時から彼女を見てきたが、本当に走るのが好きで、愚直に努力していた印象しかない。参加が自由な自主練の日にも必ず出席していたし、とにかく一生懸命で先輩に指摘された走りの癖はすぐに直そうと、通常練が終わった後も、もうちょっと走ってきます! と1人でも練習していた。  鈴宮は短距離の選手だった。足が速いとは決して言えなかったが、教室では落ち着いてふんわりしているのに、キラキラした目でグラウンドを走る鈴宮に、僕はいつしか目を奪われていた。  弱小部と言えども、一つ上の先輩方は優秀だった。最高学年は幹部と呼ばれる。10人の幹部のうち県大会に出場できる記録を出した先輩が6人もいた。  僕たち後輩は、その先輩方のおかげで県大会の試合に連れて行ってもらえて、格好良く風を裂いて走る先輩方を、普段とは違う県規模の陸上競技場で見ることができた。  言葉にすると安っぽく聞こえそうだが、少年漫画の舞台みたいで、僕は感動した。  先輩方に可愛がられていて、陸上への熱が誰よりも高かった鈴宮は、僕なんかよりもっと心を震わせて感動したんじゃないかと思う。  冬休み。そんな最強の先輩方が引退されてから初めての冬練。僕らの代が最高学年として幹部に上がり、後輩たちを率いて練習メニューを組むことになった。  ただ、僕らの代は先輩たちに比べたら全然実力が追いついていないメンバーばかり。  最強だった代が引退してしまったことに加えて、その年は例年よりも寒気が強くて、屋外が練習場になる陸上部にとっては致命的な問題だった。  冬練に対するモチベーションが明らかに下がっていて、練習メニューも、もう最低限で楽なのでいいんじゃない? というような空気が流れていたところ、鈴宮が「ちゃんとやろうよ」と切り出した。もう来年が最後の大会なんだよ、私たちも後輩にかっこいい姿見せたいし、感動してもらえるような誠意ある走りをしようよ、と。  僕を含む男子勢は、走ることが好きなのは前提として特にこだわりがないような奴らが集まっていたので、「それもそうだよな」と部長も含めて去年の練習メニューを参考に今年のメニューを考えよう、という話になった。  僕ももちろん賛成で、楽な練習は正直この寒さの中ではありがたいが、高校最後の大会であの先輩方が走った大きな競技場のタータンの上をスパイクで走れたらどんなに気持ち良いだろう、と夢見る気持ちもあった。  鈴宮のおかげで、陸上部の空気が明るく、そして熱くなりかけていたんだけど、女子陣は違ったみたいだ。  1人、成績が良くて勉強熱心な沢手って奴がいた。  受験もあるのに、そこまで部活動で体力を消耗したくない、という考えが思いっきり顔に出ていた。沢手は、なんていうか知的なんだけどちょっと黒いところもあってそれを周りに伝染させる強さがあった。  「タイヤ引きするなら最後がいいよ。グラウンドも整備できるし」という発言によって整備の手間をなくす日もあれば、「このメニューどっちも持久力を鍛えるやつだから、どっちか瞬発力のメニューに変えたら?」という発言で、練習メニューの中で最大にきついと全員が恐れていた20分間走と呼ばれる、ひたすらグラウンドを周回してどれだけの距離を走れるかを競う地獄のメニューが、クラウチングスタートのスタートダッシュメニューに変わったりした。  そんなことがこれまでに何回かあった。効率の悪いことが嫌いで時々「確かに」と全員が思うような盲点をついてくれる、知的で頼れる存在だった。もしかしたら合理的に楽をしたかっただけかもしれないけど。  時折ボソッと「あーしんど」とか「これ意味あるのかな」とか、思ったことを呟いて「そう思わない?」と周りに聞いていた時は、問いかけ、というよりかは共感の強要、みたいな圧を感じて、ちょっと怖かった。  僕も思わず「そうだよね」っと言ってしまった記憶が何回がある。  冬練のメニューを決めた次の日から、女子たちの様子がおかしくなった。  いつも誰かが走っている時には「ファイトー!」と全員で叫んで声を掛け合うのだが、鈴宮が走る時だけ、男の声しかしなくなった。おかしいな、と思ったけど、最初はあんまり気にも留めなかった。寒くて声が出しづらいのかな、とか考えていた。  でも、決定的な違いがあった。今までは、練習終わりに片付けとグラウンドの整備をして、女子は女子、男子は男子でまとまってぞろぞろと帰っていたのに、鈴宮だけ一番最後に部室から1人で出てきて、1人で帰るようになっていた。  明らかに無視されている。胸のあたりがざわっとした。  何かしてあげた方が良いかな。でも、僕に何かできる? 女子たちに「なんでそんなことするんだ?」って聞くか? そんなこと聞いて解決になるとも思えない。冬練のメニューが悪かったのか?   考えを巡らせたが、いまいち良い解決法も浮かばなくて、他の男子に言うのもなんだか憚られて、僕はただ黙って彼女を見守ることしかできなかった。  冬練が終わったら落ち着いて、前みたいに戻るかなと思っていたけど、結局鈴宮に対する女子の態度は僕らが引退するまで続いた。  村田がバスケ部をやめたと聞いた時、もしかしたら鈴宮も辞めようと思ってないかと不安になったが、鈴宮は辞めなかった。  最後まで走り続けて、僕らの代の中で1人だけ、地区大会を突破する記録を叩き出し県大会への切符をつかんだ。鈴宮は文字通り、努力によって少しずつ記録を縮めて、2年半で見事に後輩や僕らをあの大きな陸上競技場に連れて行ったのだ。  試合当日、1人で真っ赤なタータンの上でアップをする鈴宮は、遠目に見ても試合会場の誰よりも格好良かった。と同時に儚げで、クラウチングスタートと同時に、走って何処かへ消えてしまいそうだった。
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