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「ここだ! 涼華の家!」
『SUZUMIYA』と言うローマ字で書かれた表札が、暗闇の中で橙色のライトに照らされて浮かんでいた。
表札の横にある門からはレンガでできた階段が3段ほど続いており、扉につながっている。オランダに行ったことはないが、地理の教科書で見たオランダの景色の中にこの家が混じっていても違和感がないと思う。
暗くて家の全貌は見えなかったけれど、玄関から推察するに西洋風の立派な家だった。めちゃくちゃ豪邸かといえばそうでもないのだが、建築にさして興味がない僕が見ても、装いがおしゃれで一際目を引いていた。直方体の家がほとんどの中で、よく雪が降る地域みたいに三角柱を横にしたような屋根で、この家だけ日本ではないどこかにつながっているような感じがした。
深い緑色をした楕円型の表札に掘られたローマ字。僕の家は和風で表札も漢字で縦2文字だったから、余計に見入ってしまった。
「なんていうか、すごくおしゃれな家だね」
村田も口を開けている。だよな、と僕も同意した。
「なんでもお父さんが建築事務所で働いてるらしくて。素敵だよね。部屋も斬新な作りだったからすごく記憶に残ってるなあ」
畑野がつぶやく。
ちょっと見てみたいな、と思いつつ、もし招き入れられて鈴宮の部屋に入れたりしたらどうしよう、と急に緊張してきた。
畑野が深呼吸して、「鳴らすね」と僕らに視線を配る。
今は19時32分。なんとなく20時を過ぎると遅すぎて迷惑な感じがするが、まだセーフなんじゃないだろうか。
畑野がインターホンを押して、ピンポーンという音が扉の前の橙色の光の周りで広がった。僕の家と同じような音階なのに、鈴宮の家のだと思うと洗練されたメロディに聞こえた。
「……はい。どちら様でしょうか?」
「あ、夜分遅い時間に申し訳ないです。私たち、涼華さんの同級生の畑野って言います。えとあの…、その。りょ、涼華さん今日学校をお休みされていたので、心配になって顔を見にきました」
あの畑野でもインターホンって緊張するんだ。クスッと笑う。優等生の意外な一面を今日は何回も見れた気がして、ちょっと安心した。
「ああ、悠美ちゃんね。いつも涼華がお世話になってます。ちょっと待っててね」
涼華ー! 悠美ちゃんが来てるよー! という声がインターホンの遠くで聞こえて、そのままプツンっと切れた。
「はぁ、緊張した」
畑野が胸をなでおろす。
「意外だった、畑野でもこういう時緊張するんだな」
「私だって慣れないことしたら緊張するわよ。それよりさっき笑ってたでしょ、宮嶋くんひど。村田くんも見てたよね」
「ほんと。ひどいよ宮嶋くん」
いつも僕のことを陽介って呼ぶ村田まで乗っかって僕をいじってきた。なんだよそれ。思わず笑ってしまった。本当は笑っちゃいけない状況なのに。鈴宮に何かがあって、今それを解決しようと僕たちが駆けつけてきて、今から何かが起こるかもしれないのに。素直に笑えた。他愛のない会話が、それを畑野と村田とできていることがすごく愛おしく感じた。
ガチャ
ドアが開く音が聞こえる。
「悠美?」
鈴宮が出てきた。
「あれ、宮嶋くんと村田くんもいるんだ。来てくれたの?」
カコンカコンッと、靴のかかとがレンガに当たっているような音が鳴って、私服姿の鈴宮が降りてきた。
だんだんと鈴宮の姿が門の前の明かりに照らされて見えるようになる。裾で一度折り返しているジーンズを履いて、ダボっとしてモコモコと分厚くて暖かそうなスウェットを着ている。制服とスポーツウェアじゃない鈴宮を見るのはクリスマスイブ以来だろうか。
飾り立てていないのにジーンズとスウェットを着こなしている感じがかっこよくて、またそれが鈴宮にすごくよく似合っていて、僕は思わず見とれてしまった。
本当に会えた。もしたこ焼き屋で解散していたら、今こうして鈴宮には会えなかっただろう。でも、会いに行こうとして、電車に乗って、こうしてやって来たから、今鈴宮に会えている。
あの時解散してなくてよかった。もう今日は帰って明日も鈴宮が来てなかったら考えようよ、って言わなくてよかった。行動するのとしないのとでは、こんなにも違う未来が待っているのかと僕はちょっと感動していた。
今まで、何か引っかかることがあっても特に自分の力で動いてこなくて、時間が解決してくれるだろうとただひたすら時間に身を任せていた。
陸上部だった時もそうだ。時間の経過に任せて、鈴宮を助けるために何にも動かなかった。もし村田みたいに動けていたら、何か違う未来があったかもしれない。たった1人で、鈴宮をあんな大舞台で孤独に走らせることはなかったんじゃないだろうか。
僕はこれまでの自分の行動を思い返しながら、村田と畑野に感謝していた。この2人がいなかったら、今日も僕は何も動かずただ商店街を駅までまっすぐ突っ切って帰るだけだった。この高揚も味わえなかっただろう。
「涼華、今日体調不良で学校休んだでしょ。この前、私ひどいこと言っちゃったから心配になって。あの時は本当にごめん! ひどいこと言った」
鈴宮の家の門を挟んだまま、畑野がペコっと、長く伸ばして後ろで一つに束ねた髪が床につくんじゃないかと思うくらい、頭を下げて謝った。
「それで、わざわざこんなとこまで謝りに来てくれたの? こんなに寒いのに?」
鈴宮が喋るたびに白い息が中に消えていく。寒さで赤くなった畑野の膝小僧を見て鈴宮は眉を寄せた。
「もういいよ、悠美。ちょっとショックだったけど、まあ本当のことだからしょうがないし。それに、こうやってわざわざ来てくれたことが嬉しい。寒いのにありがとう」
鈴宮が門を引いて僕らの居る家の前まで出てきた。畑野の肩を両手で支えて持ち上げる。
「私が今日休んだのは悠美のせいじゃないし、気にしないで。昨日ちょっと泣いたから目が腫れちゃってて誰にも会いたくなかったのと、色々考えてて1日リセットに使いたいなって思っただけだから」
そう言って笑う鈴宮の瞼は、確かにいつもより膨らんでいる気もする。
「ほんと? 怒ってない? 本当にごめん」
「怒ってないよ、もういいってば」
畑野がぎゅっと腕を回して鈴宮を抱きしめた。鈴宮は母親みたいに、畑野の背中をポンポンと優しく叩いている。
「あ、2人はなんで?」
畑野の頭越しに鈴宮は僕と村田を交互に見た。しばらく2人を遠巻きに見守るしかなかった僕らは、一歩近づいて説明しようと口を開ける。
「宮嶋くんと村田くんにね、相談してたの。そしたら一緒に涼華のところ行こうって言ってくれて、ついて来てくれた」
僕らの出る幕はなく、すべて畑野が説明してしまった。そうなの? と首をかしげる鈴宮に、僕らはもう一度気をつけの姿勢に戻って、うんと頷いた。
「そっか、遠いのにありがとうね。良かったね悠美、一緒に来てくれる人がいて」
一瞬、鈴宮の顔に暗い影がかかったように見えた。でも、それがただの影なのかそうじゃないのか分からない。
「あのー、立ち話もなんだしどっかで喋らない?」
今まで僕と一緒に黙っていた村田が喋り始めた。さすがだ村田。このままめでたしめでたしで帰るには、何か惜しいような。そして何か足りないような気がしていた。
「涼華、この後大丈夫?」
畑野がようやく鈴宮から離れて彼女に向き直る。
鈴宮はちょっと渋い顔をして、「あー、せっかく来てくれたし家に上がってもらえたら良いんだけど、ちょっと今お父さんもいて気まずくて。近くのファミレスでもいい?」
と提案した。
もちろん僕ら3人は返事をする。鈴宮の部屋を見れなかったのは正直残念だが仕方がない。
コート取ってくるしちょっと待ってて、という鈴宮を玄関先で待って、僕らは駅前のファミレスに向かった。
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