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1.
三月半ばの日曜のお昼さがり、町内会長の山本さんが回してきた回覧板を広げて、
「へえ、今年もやるんだ。よく次々と考えつくよね、探しもの」
僕の口もとについた、お昼に食べたパスタのミートソースを人差し指でぬぐいながら、おかあさんは笑っていた。
三十五歳にしては、僕の通うI幼稚園のK先生よりかわいいと思うけれど、近くで見ると、目元にはっきりとした小じわが寄っているし、時節柄こまめにアルコール消毒をしているので人差し指から小指の付け根までの皮がむけはじめて、その手で触ってこられるのはちょっと怖い。
耳にはワセリンを塗り、マスクを糊のようなものでずれないように固めている。素顔のおかあさんは泥んこ遊びをしてきたあとの僕のようでもある。
僕はおかあさんから離れたかった。
おかあさんは僕の背中に、両腕を突っ込んで、こちょこちょをしてくるのがわかっているからだ。足といい手といい、すべての体をばたばたさせ、抵抗する僕を見てうれしそうにするのだ。
それが毎週日曜の決まり事になっている、
僕はこの行事が終わらないと遊びにはいけない。
一度、昼ごはんを食べてトイレにいきそのまま、けんちゃんちに遊びにいってしまったことがあった。日暮れて帰ってくると、玄関でロボットみたいに両腕を前に突き出し、げじげじ虫みたいに指を動かしたおかあさんが待っていた。逃げも隠れもしないで、リビングに入り、ソファーに横になってあげたのだが、それはそれで面白くはないようで、おかあさんは、僕に、
「男の子なら逃げろ。じたばたしろ」というような険しい目線を送ってきた。
そこに
「しょうすけ、外から帰ってきたら手を洗いなさい、何回いっても聞かないなあ」
この場にそぐわない注意事項を、おとうさんが僕に寄越してきたけど、目下のおかあさんと僕の緊迫した状態を全くわかっていない。
「おかあさんが……」と僕が言いかけると、
おとうさんは僕の肩を荒っぽくつかんで、さっさと洗面の所に引っ張っていきシャツそして下着を脱がせる。手のひらだけでなく、二の腕のあたりから液体の石鹸をつけて、洗っていく。
洗うときに、洗面の水を流しっぱなしにすると、おかあさんに叱られるのはわかっている。おとうさんは、流しては止め、止めてはまた流したりする。
おかあさんの足音が聞こえると、そのまま僕を裸にし、自分も裸になってお風呂でシャワーを浴びる。そのときは思いっきりシャワーの栓をあける。
そんなことが起きないように、この日も、僕は、おかあさんの言いなりになって、こちょこちょの儀式を受け入れ、けんちゃんちに出かけるつもりだった。
その日は、おかあさんが広げた回覧板を、おとうさんが覗きこんで
「そうだな」
いつになく、おかあさんに積極的に同意したあげく、
「今年は神様を捜しに行くのか、へえ」
と驚きの声まであげて、回覧板の記事を音読しはじめた。
町内を南北に走る私鉄駅構内に広めの操車場がある。
その操車場で開催される春休み恒例企画、
「電車の運転席に乗ってみよう」
に相乗りする格好ではじまった「町内会、探しものツアー」のことである。
三月の最終日曜、八時に駅前に集合し運転席に乗った後で、探しものをしながら町内を歩いていく。解散は午後四時とこれもいつものことのようだ。
「神様なんか捜してどうするのかしら」
おかあさんも、おとうさんに調子を合わせてそう言った。
柔らかな早春の日差しが、そんなおかあさんの横顔を照らしている。いつの間にかおかあさんはソファーのクッションに顔をうずめて眠ってしまった。
静かな寝息が聞こえ始めた。うつぶせに眠ってしまったおかあさんの頬に手をあて、
「生きているなあ」
とつぶやいたあとで、おとうさんはおかあさんの体をひっくりかえした。
「しょうすけも、よく、うつぶせで寝てたんだよ、あれは、おかあさんからの遺伝だったのかもしれないね。窒息しないかと思って、ひっくり返してやったもんだ」
訊きもしないのに、おとうさんは僕に言って、
「しょうすけは眠らないのか」と続けて訊ねてきた。
ということは、早く寝たほうがいいのかなと思って、僕は目を閉じるのだが、そう簡単には眠れない。
僕が寝入ったものと勘違いしたおとうさんは、僕の体を持ち上げ、おかあさんの隣に移動させ、寝室から運んできた一枚のタオルケットを、僕とおかあさんの上にかけた。
そのせいで僕は身動きができなくなり、けんちゃんちに遊びに行けなくなった。
別に何時に行かないといけない約束があるわけでもないけど、けんちゃんは待っているに違いない。
それでも、おかあさんと一緒に眠ってあげることで、おとうさんが喜んでくれるなら、しばらくこのままでいてあげようと僕は思った。
朝ごはんのときに、買い物に出かける、クリーニングを取りに行く、美容室の予約を入れるなど、おかあさんは、指を一本一本折って箇条書きを読むように午後の予定をつぶやいていた。もう少しすれば跳び起きるはず。それまでの辛抱だと僕は思った。
2.
「このツアー、探しものを見つけられたためしがないじゃないか」
僕が寝入っていると思って、おとうさんが少し呆れ気味に愚痴り始めた。
「迷いこんだ犬、猫、ハクビシン、神社の松の木の上にいた白蛇、家に入ってこられては困ってしまう厄介物たち。なんだよ、山本さん、もっとましなもの探せないかな」
おとうさんは、山本さんにも文句を言いだした。
なぜ僕がこんなに、探しものツアーのことについて詳しいかというと、その山本さんから話を聞いているからだ。聞いているといっても、教えてほしいとお願いしたわけではない。
探しものツアーをはじめた山本さんは、僕の仲良しのけんちゃんのおじいちゃん。
山本のおじいちゃんは、遊びに行くと、僕の声を聞きつけるとすぐに自分の部屋から出てきて、僕の好きなチョコ入りビスケットやモンブランのケーキなんかを出してくれる。
おかあさんには、
「よそ様で頂き物をするのはダメよ」
と言われているから、断りたいところなんだけど、さすがに、
「おかあさんに叱られますので」と言って断るわけにはいかない。
そこで僕は「おなか一杯です」などと、食べないのを自分のせいにして、断っていた。
そうなると、山本のおじいちゃんは悲しそうな顔をするし、あとで、けんちゃんに、
「あの子は、なぜ食べてくれないの、わしのことが嫌いなのかな」
ねちっこく聞いてくる。
「そんなことないよ」
と、けんちゃんはむきになって言い返すらしいけど、食べなかった事実は残る。
僕はけんちゃんしか友達がいないし、もっと仲良くなりたいから、けんちゃんを困らせたくない。
だから、おかあさんには悪いけど食べることにした。
食べるなら嬉しそうに食べたほうが、山本のおじいちゃんもけんちゃんも喜ぶ。顔中、クリームやチョコレートまみれになるくらいの勢いでがっついて食べる。
すると、そんなに好きだったのかみたいな顔を、山本のおじいちゃんがする。悪循環ってこういうのを言うんだろうね。山本のおじいちゃんは、これしかない。悪いなあといって、自分が食べようと思って、とっておいた、草餅やわらび餅なんかを出してくる。
「ありがとうございます。けど本当におなか一杯になりました」といっても後の祭りだ。
僕が食べている間、おじいちゃんは、探しものツアーのこと、参加したおかあさんがどんな風にツアー仲間と過ごしているのか、誰と話しているのか、山本のおじいちゃんとはどんな会話を交わしたのか、などいろいろと話してくれる。
口の中は放り込んだお菓子類で一杯になっているから僕はうんともすんとも返事もできない。
おじいちゃんは、僕が聞いていようがいまいが関係なく、お話をすすめていく。しかも楽しそうに。生来、山本のおじいちゃんは話好きなんだろうと思う。
「しょうちゃん、おじいちゃんは、僕や君の食べているところを見ながら、いろんな話をするのが幸せらしいんだ」
山本のおじいちゃんが部屋に戻ったのを目で追ったあとで、妙にけんちゃんが大人びた感想を口にした。
ところが、山本のおじいちゃんにケーキを頂いて帰ったときに限って、おかあさんの点検が入る。僕がケーキの匂いをさせて帰っているのかもしれないけど。
家に着くと、おかあさんに命じられて開けた口の中におかあさんの指が入ってくる。その指先は、上の左の奥歯から順におかあさんによって動かされ、けんちゃんちで食べたものが明らかになる。
食べたら磨くと教わっているなら、いっそうのこと、けんちゃんちで歯磨きしてから帰ってくればいいじゃないかとおっしゃるかもしれないけど、歯磨き粉の味が口内に残ったまま、おかあさんの点検の場に立つことになる。余計、おかあさんを刺激し心象を悪くするように思えて仕方がないからためしたことはない。
こうして、お菓子の件は、すぐにおかあさんにばれてしまう。けど、おかあさんは、そこで感情をむき出しにして叩いたり怒鳴ったりはしない。現場だけおさえておいて、しばらく冷静になる時間を置く。
そして、おとうさんが仕事から帰ってきて、はじめて、お菓子の一件が、我が家の重大事件として取り上げられる。
おとうさんの帰宅時間は、おかあさんがおとうさんからラインをもらってわかっているから、それまでに、ご飯の用意をしたり、片付けものをしたり、いろんな雑事をこなし終えて、おとうさんの帰りを待っている。
その時刻になると、座った目をしたおかあさんがおとうさんを出迎える。玄関で靴を脱ごうとしているおとうさんの頭ごなしに、けんちゃんちで起こした僕のお菓子事件の全貌がおかあさんによっておとうさんに報告される。
その場に僕はいない。いてはいけない。せいぜい、自分の部屋のドアの隙間から二人の様子をじっと見ているくらいだ。できることといえば。
だいたいを理解したおとうさんは、疲れている声で、
「それで」
と、おかあさんに訊ねたころあいで、
「しょうすけ」
おかあさんが呼ぶ声がすると、僕は玄関に出ていくのだ。
そのあとのことは、すべておとうさんに委ねられ、おかあさんは、穏やかな表情に戻って、台所に戻っていく。
おかあさんが台所に戻り、ごそごそと冷蔵庫の開け閉めをはじめたり、なにかを切ったり煮たりする物音を確認して、ようやく、おとうさんは自分の膝を軽くたたきながら、
「うへ」みたいな声を出し、玄関の天井を見上げる。
そして、一度吸い込んだ息を吐いてから、
「次からは気をつけるよな、わかっているよな」
一度、連れてってもらったお寺の大きな部屋で行われる座禅という、みんな座って黙り込んでしまう集まりの中で、おとうさんが、薄っぺらな板みたいなやつで背中を二、三度叩かれながら、ずいぶん若そうなお坊さんに大きな声で叱られたことがあったけれど、あのときのお坊さんと同じような言い回しで、おとうさんが言った。
おとうさんの次は僕が叱られるのかなと思ってとても緊張していて、お坊さんのこのセリフを忘れずに覚えている。次に叱られるのは僕だと思っていたからだ。
しかし、お坊さんは、僕をちらりと睨んだけど、それだけで、叱ったのは僕の隣の隣の女の人だった。その人は、おとうさんと違って、慣れているのか、落ち着き払い、お辞儀して左の肩をお坊さんの前に突き出してすました顔をしていた。
「はい、わかっております」
おとうさんに僕はそう応えた。これもあのときとおんなじ。叱られたお坊さんに、おとうさんが返した台詞とおんなじ。
僕の返事が遅くなると、おかあさんが台所から戻ってくるかもしれない。それをおとうさんも僕も危惧している。実際戻ってきたことがあった。そのときは、おかあさんはまたおとうさんに事件の全容報告からやりなおした。
それはぼくにも相当なプレッシャーになった。僕は素早く、台所まで届く声を出す、
「はい、わかっております」
おとうさんも僕も、おかあさんをけむにまくとか、演技をしているわけではない。
その瞬間はほんとうに真面目にそう思っている。
しかし、けんちゃんちに遊びに出かけると、おなじことを繰り返してしまう。おかあさんを嫌ってそうしてしまうわけではない。自然とそうなってしまうのだ。
とにかく、僕が黙っていては晩御飯がはじまらない。
急に、おとうさんの帰りが遅くなったり、外でごはんを食べてくることになったりすると、おかあさんの筋書きどおりにことが運ばない結果になり、おかあさんにストレスがたまっていくのがはっきりわかる。
僕はおかあさんに直に叱られるのは嫌だし、おかあさんもそれを望んではいないので、おとうさんにはちゃんと早めに帰ってきてもらいたい。
おとうさんも僕も、おかあさんのつくった料理が好きだし、おかあさんにはとても感謝している。
話を、山本のおじいちゃんが企画した探しものツアーに戻そう。
そのツアーは結構人気がある。けど僕はまた一度も連れてってもらったことはない。
「探しものツアー」のほうはどっちでもいいというと、山本のおじいちゃんに叱られてしまうかもしれない。
一方の「電車の運転席に乗ろう」の方には興味がある。将来運転手になりたいと思っているくらいだ。
まだ一人で参加できない年齢なので、おとうさんかおかあさんに連れてってもらえばいいだけの話である。
おかあさんに話すと、
「おとうさんにお願いしてみてね」と返事が返ってくる。
ツアーにはおかあさんが出ている。おかあさんがつれてってくれれば話は早い。
運転席に乗るのと、そのあとの探しものツアーはセットになっているようだ。運転席に乗せてあげるから、乗った子供とその保護者はそのあとの探しもの探しも手伝いなさいみたいなことで申し合わせができあがっている。そこのところは、山本のおじいちゃんが決めたわけでもなく、なんとなくこれまでがそうだからそうするみたいになっている。
「運転席に乗ろう」は、大きな電鉄会社の企画。
乗ったら電鉄会社の電車のチョロQがもらえる。
そのあとの「探しものツアー」は町内会の催し。実際は道の端々、雑草の中、林の中、多摩川の岸辺、空き家の周りなど、清掃活動をしているようなものだ。それになにも土産物は出ない、山本会長が交代すれば企画そのものがなくなってしまうかもしれない。
僕がみても、この二つはこんな風に別ものだ。
深く考えずに、おかあさんに言われた言葉をそのまま、おとうさんにぶつけたことがあった。おかあさんのいる前で。
おとうさんは、おかあさんを横目にみて黙ってしまった。結局返事はなかった。
これも山本のおじいちゃんから聞いた話だけれど、おかあさんは、この探しものツアーがスタートする少し前に、おとうさんがずっと住んでいたこの町の家にやってきた。かれこれ十年もまえのこと。
「夜汽車に乗ってやってきたんです」
おかあさんは山本のおじいちゃんにそういった。山本のおじいちゃんは、
「ふむふむ、覚悟決めてね。頑張ってください。応援してますから」
などと、励ましたらしいのだ。
「夜汽車って何、この私鉄S鉄道で走っている電車の中にあるの」
「回送電車が夜中に入ることはあるけどね。あれは夜汽車って言わない。お客さん乗せてないからね。どこか遠いところの鉄道会社では走っているのかもなあ、夜汽車」
おじいちゃんの影響で電車に詳しいけんちゃんはそんな風にこたえたあとで、少し目じりをあげ気難しい顔になり
「おじいちゃんにきいてみたらどうかな、ていうか、おかあさんに直接訊けないの。その方が手っ取り早いよ」と言ってきた。
「それができないから、けんちゃんに訊いているんだよ」
と僕は言い返したくなった。
僕は直接、おかあさんから夜汽車の話を聞いたことがない。そんなこときいたら、すぐに山本のおじいちゃんから聞いたってばれてしまう。
山本のおじいちゃんに、しょっちゅう、僕がおかあさんの秘密を教えてほしいとせがんでいるように思われるのはいやだ。
「あなたは、わたしの子じゃない。おとうさんの子だから」
僕は常におかあさんとおとうさんのどちらにも傾かないように、バランスとって行動しているつもりだけど、おかあさんからみたらそう見えないことがあるらしく、そんなときは、僕の顔なんて見たくないみたいな態度で、こんな風に言われる。
「女の子、女の子、女の子が欲しい」と大きな声で僕に言う。
そう思うのは、この前からおかあさんは僕と一緒にお風呂に入らなくなったからだ。
そのくせ、ごはん時、機嫌が悪いのか口もきかないおとうさんに、僕が寝たふりしていると、大きな声で、
「おとうさん、おとうさん」
それでもおとうさんが返事しないと、
「シンジさん」
なんて名前で呼んだりしている。なにを怒っているのかわからない。
だからといって、山本のおじいちゃんに訊くのも、僕とおかあさんが仲良しでなんでも話せる、秘密なんかないと思っているおじいちゃんに、夜汽車の話をおかあさんから聞いてないことがわかってしまうから、実は僕とおかあさんが仲良くないんだと正体をつかまれるのもいやだ。
それでも、おかあさんが乗り物好きだとわかったのはよかった。けど夜汽車は僕の知らない乗り物。僕はまだ小学校三年だからこれから夜汽車のことを知るかもしれないし、このまま知らないで大きくなってしまうかもしれない。
疑問に思ったらそのままにしてないで質問しなさいと先生に言われている。先生に訊ねる手はある。いいアイデアだと思ったけど、四年になると先生がかわってしまう。新しい先生にすぐに聞けるだろうか。
3.
こうなったらおとうさんに訊くしかない。
訊き方が難しい。これまではなんでも、おかあさんとおとうさんがいるときに訊いてきた。秘密ごとや隠しごとはしたくなかったからだけど、行きがかり上、おとうさんだけに聞くしかない。
「おかあさんがね、山本のおじいちゃんに、夜汽車に乗って、おとうさんのところにやってきたって言ってたけど、本当? 」
僕は、頭の中で練習して、こんな風に聞くしかないかと思った。
おかあさんがさんざん、おとうさんを連呼していた夜の翌日、おとうさんとお風呂に入って二人して湯舟につかってすぐに勇気を出して訊いた。
「夜汽車か、おかあさんが山本さんに話したって、いつ頃のこと?」
「わかんない。山本のおじいちゃんから僕がきいたのは、春一番が吹いたあとだから、五日前だけど」
「そうか。おかあさんの故郷では走っていたんじゃないか、夜汽車。もしかしたら、いまでも走っているのかもしれないぞ」
おとうさんは、夜汽車のことを知らなそうだったが、そう言った口で、
「けど、飛行機に乗れてよかったっていっていたじゃないか、しょうすけ」
夜汽車の話を持ち出したのは、僕が夜汽車に乗りたい、乗せてほしいとせがんでいるとおとうさんは思ったらしい。それもある、乗りたいけど、それだけじゃないんだ。おかあさんのことなんだ。
この冬休みに、おかあさんの故郷、四国徳島県Ⅿ市に帰ったとき飛行機を使った。
僕は感動した。往復二時間のフライト。冬晴の空、真っ白な富士山も、波頭が白くみえる瀬戸内海もよくみえた。
「飛行機は楽しかった、それはそうだけど」
「夜汽車のほうがいいのか」
おとうさんは笑いながら聞いてくる。
実際に乗った飛行機と、乗ってもない夜汽車を比較しろというのか。それは無理な相談じゃないか。
冬休み前に、山本のおじいちゃんが教えてくれていたら、おかあさんの故郷で、おかあさんのおじいちゃんおばあちゃん(僕は徳島のおじいちゃんおばあちゃんと呼んでいる)に訊けたのにと後悔した。
「走っているなら乗りたいよ。夜汽車に」
徳島のおじいちゃんなら、きっと乗せてくれたはずだ。
徳島空港につくと、徳島のおじいちゃんおばあちゃんが迎えにきてくれていた。そして僕らを川べりの蕎麦屋に連れて行ってくれた。川の流れが真正面に見える席に座って、僕らはお昼に、山菜の天ぷらとアユの塩焼きがついた蕎麦を食べた。おいしかった。
おとうさんはいつになくおしゃべりだった。おかあさんがおじいちゃんおばあちゃんを避けているようだったから勢いおとうさんが話して場を盛り上げるしかなかったように思った。
おかあさんは、自分のおじいちゃんおばあちゃんが空港に迎えにきてくれているのに、ありがとうとも言わない。そのかわり、おとうさんは、ありがとうございますを連発していた。こういうときのおとうさんはさすがだ。
おとうさんのおしゃべりは仕様がなかったのかもしれないと僕は思った。どうでもいいけど、おかあさんは口をきかないくせに、しきりに僕の髪の毛を触ってくるし、おじいちゃんおばあちゃんも、僕が見ない間に大きくなったとか、何が好きかとか、僕にだけ、同じことを何度も訊ねてきた。
おとうさんはお仕事の話をしていた。勤めている大学で研究しているテーマのことだ。
おとうさんは民俗学という学問の研究者をしている。
ご飯を食べ終え、おじいちゃんちに行った。
しばらくしてから、おばあちゃんが
「お風呂に入ってください」
とおとうさんにすすめた。
「外が明るいうちにお風呂に入ると尻子玉を取られるんです。だからよしときます」
おとうさんは、なんの説明もせずにおばあちゃんに返した。
おばあちゃんが尻子玉を知っているのかどうかわからなかったけど、おばあちゃんはニコニコしていた。おとうさんの口から尻子玉という子供じみた言葉が飛び出したからかもしれない。尻子玉で、おとうさんがお風呂に入らないことはわかったから、おとうさんの言葉は無駄ではない。
「それなら、私が入る」
むっとした口調で、おかあさんが割り込んできた。おじいちゃんおばあちゃんが返事しないでいる間にもうおかあさんはお風呂場に向かって歩いていた。
「しょうすけ、一緒に入ろうか」おかあさんが僕に声をかけた。
あの日が、おかあさんが僕と一緒にお風呂に入ろうと声をかけてきた最後になった。
僕は機嫌悪そうなおかあさんを避けて、おとうさんの傍にいる選択を選んだ。今思えばあの選択はよくなかった。おかあさんと一緒にお風呂に入るべきだった。
けど、おとうさんがおじいちゃんおばあちゃんに、常日頃、おかあさんのことで疑問に感じていることを訊ねているところを見ることができたのはよかった。
おかあさんが神様を信じているようだけど、その神様は神社に鎮座している神様ではなくてやたら背中に乗ってくる神様だとおとうさんは説明したあとで、そんな神様がこの町にいるのかという質問を、おじいちゃんたちにした。
「はは」
おじいちゃんはすぐにぴんと来たようで、
「シンジさん、明日香がそうなったのには私たちに責任があります」
おじいちゃんの言葉におばあちゃんも頷いている。
幼い頃、娘は、人を見たらやたら背中に乗りたがった。寝物語で、この町に伝わる児啼爺の話を頻々にしていたせいだ。娘は児啼爺がいないことを知らず大きくなってしまったんじゃないか。申し訳ないと付け加えた。
「なるほど、やはりそうでしたか」
腑におちたように、おとうさんは、いまでも、明日香は寝ぼけると僕の背中に乗ってきます、あれはお義父さんとお義母さんのせいでしたかとささやくように言って、
「そういうことはありますよ。サンタクロースだって、いると信じたまま大人になった人もいますよ」とお追従みたいにいう。
「サンタ、いないの」
僕は問い返したくなった。
そこにお風呂からあがってきたおかあさんが現れたので訊けないまま、おとうさんとおじいちゃんたちの会話も終わってしまった。
みんな黙り込んでしまい変な空気になった。おかあさんの悪口を言っていたわけではないけれど、そう受け取ったのかもしれないおかあさんはテーブルの上をひと睨みして、台所にむかった。冷蔵庫を開け閉めする無駄に大きな音が聞こえた。
そのあとで、僕から児啼爺のことを訊ねられたおとうさんは、
「小さな丸っこい身体で山中に一人でいるんだ。寂しいだろうと町人が里まで連れて帰ろうとおんぶすると大啼きして叫ぶんだ」
「ふうん、それが神様? 」
「そうみたいだな。この神様も、おれが研究テーマにしている民俗学者の柳田国男先生が見つけたんだ」
「柳田国男先生」ぼくは思わず言った。
おとうさんの故郷では僕と同年代の子供でも名前だけは知っている有名人だ。小学校二年生でこの人のことを習うらしい。おとうさんに柳田先生の写真をみせてもらったことがある。ちょび髭の愛嬌ある顔に丸メガネのおじいさんだった。
尻子玉は柳田先生が言い始めた言葉らしい。幼い頃の柳田先生が出会った河童の「ガタロウ」は、いたずらして人間の子供の尻子玉を抜いてしまうようだ。
お尻にある球のこと。
どんなのと訊ねると、おとうさんは僕を裸にして、これのことだと僕の尻子玉をぱちんと叩いた。痛かった。
「けどなあ、柳田先生は、児啼爺を神様だとは一言も言ってないんだ。むしろ妖怪だといっている」
おとうさんは東京に戻って、僕を呼んで柳田先生が書いた妖怪談義という本を見せながら言った。
妖怪談義の末尾に
「コナキジジ。阿波の山分の村々で、山奥にいるという怪。形は爺だというが赤児の啼声をする。あるいは赤児の形に化けて山中で啼いているともいうのはこしらえ話らしい。
人が哀れに思って抱き上げると俄かに重く放そうとしてもしがみついて離れず、しまいにはその人の命を取る」云々
僕は読めない漢字をおとうさんに任せて、全文を音読させられた。
「なあ、少なくともこの本の中では、先生、コナキジジの故郷を阿波の山の中の村とは言っているがM市だとはどこにも書いていないんだ」
と独り言をいったおとうさんの研究者としての血が騒ぎだしたのか。暇をみつけて、あっちこっち調べた。僕をつれて国会の図書館にも出かけた。それでも、はっきりしたことはわからなかった。
途中経過は、徳島のおじいちゃんにも伝えられた。おじいちゃんも返事に窮する。なぜなら、M市は、児啼爺の故郷はここだと柳田国男先生が定めたのだと断定し、藤川谷という川べりの地に立派な児啼爺の立像を建設しているからだ。
僕は児啼爺が神様であろうが妖怪であろうが、児啼爺の故郷がおかあさんの故郷М市であろうが違う町であろうが正直どっちでもいいけれど、こうやって、おとうさんと徳島のおじいちゃんが仲良くなっていくのがはっきりわかるのをうれしく思った。その一方で、おかあさんとおばあちゃんはそうでもなかった。
以前から知っているものどうしのほうが、昔、いろいろとなにかあったはずだから、打ち解けられないのかもしれない。僕だって、同じ幼稚園出身の子より、はじめて小学校で一緒のクラスになった子の方が話が合うように思う。
「シンジさんがよくしてくれるから大丈夫だよ」
徳島にいるときも、たまにかかってくる電話でも、おかあさんは、おばあちゃんに、めんどうくさそうに、そういう。
徳島に行ったときに僕ははじめて知ることになったんだけど、おかあさんは、おなかにあかちゃんがいた。
徳島に帰る前、おとうさんと、もめていたのは、まだあかちゃんがおかあさんのおなかの中でどうなるかわからないのに、体を動かしていいのかっていうことだったらしい。
けど、それを、僕がもう三年も徳島のおじいちゃんおばあちゃんにあってなくて、ものすごく会いたがっている、しかも飛行機に乗りたがって、駄々をこねていることも付け加えて、おかあさんがおとうさんを押し切ったんだった。
「しょうすけは、おれにはそんなことは言わないけどなあ、お前にはそこまで甘えるんだな」
おかあさんがおとうさんを押し切ったのが原因かもしれない。しばらく、僕とおとうさんは仲がよくなかった。
おとうさんが僕に向かって、「本当にそうなのか、おかあさんの言う通りなのか」
と聞いてくれていたら、僕だって、おとうさんの故郷にも行きたいと言えたんだ。
おとうさんは早くにおじいちゃんおばあちゃんを亡くしていて、故郷にはおばあちゃんのお姉さんがいるようだけど、そのお姉さんも施設に入ったきりだとおとうさんは話してくれたことがあった。それ以上のことは僕が聞かないからか、おとうさんは教えてくれない。
きっと、おとうさんの頭の中には、僕が徳島のおじいちゃんおばあちゃんが好きで、飛行機が好きだということだけが刷り込まれていると思う。
徳島にいるとき、おかあさんは、とうとう、あかちゃんのことをおじいちゃんに直接言わなかった。おばあちゃんに、おじいちゃんに伝えといてと言ったのかもしれないけど、それは違うんじゃないかと思う。
おかあさんとおばあちゃん、おかあさんとおじいちゃん。よくわからない。 ぼくには大人の事情はよくわからない。
僕なら、おじいちゃんおばあちゃん、おとうさん、(それにぼくも入れてもらいたいけど)みんなのいる前で、あかちゃんできたっていう。そういう機会はいくらでもあったんだし。
娘にあかちゃんができたことをおばあちゃんから伝えられたおじいちゃんは、どう感じただろうか。
同じ屋根の下に、いるんだよ。娘であるおかあさんが。
なぜ、おれに直接言わないんだって、叱ってもいいくらいだ。無視されたんだから。
たまたま、僕は、玄関の外でおばあちゃんがおじいちゃんに話しているとこを見てしまった。
「今度は、里帰りしないで東京で生むらしいのよ。いいお医者さんいるって」
「こっちから出て行ってやるのも、あいつが嫌がるか」
「シンジさん、大丈夫だろうか」
「大学の人だから、案外世間知らずかもしれないよ」
「しょうすけのときは、どうだった? 」
「聞いてないよ、おとうさんが、明日香を徳島から出さない、最悪、四国なら許すなんて
いうから、高校から神戸に出て寮生活はじめたんだよ。それをみんな私のせいみたいにして……」
その先も聞きたかったけど、盗み聞きはよくないことはわかっている。しかも台所からおかあさんが僕のことを呼びはじめた。僕は家の中に戻ったんだ。
翌朝、空港まで見送りにきてくれたおじいちゃんおばあちゃんは、最後までおとうさんにばかり話しかけていた。
搭乗すると、座席の前のポケットからヘッドホンを取り出したおとうさんにおかあさんが言った。
「疲れたわ」
おとうさんが、お疲れ様と返せばいいのに、ヘッドホンを頭からはずさない。だから、おかあさんは目を三角にした。それを見て、今度は、おとうさんが、おかあさんをにらみつけた。
「お義父さん、おれの故郷に行ったことがあるんだってよ。知ってたか? 」
そんなことはどうだっていいみたいな口調で、おかあさんは
「知らないわよ」と返した。
「あの立像、児啼爺の、あの像をM市藤川谷に建てることがM市の議会で決まって、柳田先生の故郷、つまりは俺の故郷F崎町を訪れたんだって、お義父さん、郷土史家の一人として。知っているのかと思ってたよ」
「聞いたかもしれないけど、忘れたわよ。高校からあの町を離れたからね。私がいなくなって、二人、仲良くできたんじゃないのかな」
おかあさんは強がってそんな投げ槍なことを言ったくせに、まだ幼い頃に、おじいちゃんおばあちゃんが話してくれた児啼爺のことが頭から離れないでいる。しかも妖怪じゃなくて神様にしているのが、僕にはおかしく思えた。
おとうさんが反対したにもかかわらず、年末に帰省したのは、二人目の子供ができたことを伝えたかったからに決まっている。ラインや電話で済ませようと思えば済むはずだけど、それじゃ、だめだと思ったに違いない。
それに神様にも会いたかったんだろう。おかあさん。
神田にある古い古本屋でバイトしていたおかあさんが、常連客の一人だったおとうさんのところに押しかけてこの町で暮らし始めたって、これも山本のおじいちゃん情報だからどこまで本当なのか、わからないけど。
4.
東京に戻り、あかちゃんはおかあさんのおなかのなかで元気に大きくなった。おかあさんのおなかが目立ちだした。
おかあさんは、僕を生んだときに使ったいろいろなものを、納戸や押し入れから一つ一つ出してきた。
日曜に、まとめて出す。思いつくままでいいからリストをつくっておいてくれとおとうさんにいわれているのに、一人でやっている。
おかあさんのおなかにあかちゃんがいるから、こちょこちょの儀式はなくなった。
けど、おかあさんのストレス解消には、こちょこちょは効果があることは知っているので、僕は、おかあさんの前で、どんと腹を出して、好きにしていいみたいな姿勢になってあげている。それをみて、おかあさんは僕の上に乗ってきて、やさしく、こちょこちょをするから全然こそばゆくはない。しかも、おなかが気になって、こちょこちょこする時間も短い。
おんぶ紐の結び方も覚えた、
おかあさんが、あかちゃんをおんぶできなかったら、かわりに僕があかちゃんをおんぶすることもあるかもしれない。おかあさんは僕を連れてユザワヤに行き、僕に選ばせた青いアップリケを買い、一週間くらいかけておんぶ紐の大補修をした。僕が選んだ青いアップリケに反対しなかった。弟かなと僕は思った。
おかあさんは、女の子は欲しいはずだけど、
家の玄関には、M市藤川谷の石像の児啼爺の前で撮った写真が掲げられている。おじいちゃんおばあちゃん、おかあさん、おとうさん、そして僕。
今年の探しものツアー、
おかあさんはどうするのだろうか。おなかにあかちゃんがいるのに。
これまで、おかあさんが一人で参加してきたのには理由があった。
夜汽車にのって押しかけてきたこの町におかあさんの知り合いはだれもいなかった。
回覧板を見て、知り合いをつくるには好都合だと思ったおかあさんは、おとうさんを誘った。そのころ、おとうさんは、柳田国男先生も訪ねたことがある東北の都市に、大学のゼミ生を連れてフィールドワークと講演に出かけることになっていた。だから、おかあさんは独りでツアーに参加した。
それから僕が生まれた年を除き、ずっとおかあさんはおとうさんに声をかけないで独りで出かけている。
三月初旬の回覧板でツアーの案内が回ってくる。その頃には春一番が吹いて春めく時期になるのに僕の家の中は会話が少なくなる。おかあさんとおとうさんがツアーの話題を極端に避けるからだ。
たまに、三人でスーパーに出かけたり駅前を歩いたりしているとき、おかあさんだけが近所の人と挨拶をする。
「あの人、誰? 」
僕が訊ねると、
「二丁目の田中さんよ」
おかあさんは勝ち誇ったように応える。
丸一日、ツアーで一緒に探しものをするのだから親しくもなるわけである。
それが今年は違っている、
おとうさんが、おかあさんに前向きに訊ねている。おとうさんは、お寺で聞いた、お歌のように同じことを繰り返す。
「探しものが神様とはなあ。神様なら家に入ってもらっていいんじゃないか。 むしろ招来したいよな、歓迎したいよな」
それでも、おかあさんはよそを向いている。
おとうさんがなにかはじめた。
部屋を暗くし、どこかお仕事で出かけた地方でお土産に買ってきた蝋燭に火をつけ、
「おれの背中に乗って泣け」と指図してきた。
急にいわれてそうできるかと反抗したかったけど、おとうさんが真剣だった。
僕はウソ啼きをした。涙は出ないけど声だけは啼けた。
啼いている僕を放っておいて、おとうさんは、おかあさんに異常に接近し、
「出掛けるんだろう、今度の日曜」
と聞く。おかあさんは当たり前だというような顔をする。
「大丈夫か。おれがついていこうか。来るんだろう。夜汽車に乗ってくるんだろう」
「ええ、なにが」
「おとうさん、おかあさん」
「あなたが呼んだの」
「おれは呼ばないよ、こいつが」といって、背中の僕におとうさんは視線を送ってくる。
「ちょっと待ってよ。それは…」
と言おうとしたけど、おとうさんから、お前は、啼いている役だろう今日は、と
言われて、そのままウソ啼きを続ける。
「それに、神様も来るんだろう」
「ええ。それもしょうすけが呼んだの」
「神様だから、呼ばれなくても勝手にやってくるだろうよ。きたら歓迎しないといけないよな」
「そうなるわね」
「だから、明日香、一人で探せるかって聞いているんだよ」
「一人じゃないよ。山本さんだっているし仲間もいる」
「山本さんたちが探しているのは、明日香が探している神様じゃないかもしれないよ。大勢の神様がいらっしゃるからな」
「そのときはそのときよ」
ということになって、おとうさんの役者ぶりも、僕のウソ啼きの演技も通用せず、おかあさんは、一人でツアーにでかけていったのだった。
5.
ツアー当日は、春霞たなびくうららかな日だった。
早起きして作ったサンドイッチを持っておかあさんは出かけていった。
お昼になった。
僕とおとうさんは、久しぶりに駅向こうにあるとんかつ屋に入った。店の女将さんはツアーに出かけていて、ご主人がバイトの学生さんと二人で忙しくしていた。
隅っこの席にお客さんがいた。仕切り板がしてあるので顔が見えない。身長からして、はじめは僕の同級生くらいかと想像したけど、一人でくるのはおかしいし、よくみるとその人の頭が禿げていた。
僕とおとうさんは、とんかつ定食の上を注文した。その人は食べ終わっても、首をひねったり腕を回したりするばかりで一向に出ていこうとしない。
おとうさんは持ってきたPCで資料をつくっていた。そのすきに僕は仕切り板の下からその人の顔をのぞいた。
「ああ、神様」
家の玄関に貼っている写真の中の石像とおんなじ顔の人がそこにいた。
「神様」
すぐにおとうさんにそういった。
おかあさんがツアーから戻ってきた。
「見つかったのか、神様」
おとうさんが聞いている。
「見つからなかったけど、楽しかった」
一年ぶりにあった、あの人やこの人が元気だったとか、お子さんが大学生になった、中学に入ったなどと、おかあさんは、僕やおとうさんが知らない人のことを、さんざんしゃべり倒してから、着替えてリビングに戻ってきた。
おとうさんが、鬱陶しそうにおかあさんの顔をみながら、僕に視線を移してきた。
僕に言えと言っている、
「お昼に一緒にご飯食べたんだよ、ねえ、とうさん」
僕は、そう切り出した。
「だれと? 」
「神様」
「そうなんだ。金も持たずになあ、あそこのとんかつ屋で、とんかつ定食、上を食ってたんだ」
おとうさんは、おかあさんの表情を確かめた。
少しだけ、おかあさんの顔色が赤みを帯びたように思った。
「それでなあ、しょうすけが自分のお小遣いで、神様の代金を立て替えてやったんだ。えらいだろう」
そうじゃない。おとうさんが児啼爺のとんかつ定食代を出した。あのお金が僕のお小遣いなら半年も、僕はお小遣いなしになってしまうではないか。
「いずれ返しにきますと丁寧に頭をさげて出ていったよ」
「そう。それはよかったわね。神様にあえて。徳島で写真撮ったとき、しょうすけが神様にマスクをしてあげたでしょう。きっと、あのお礼に来たんじゃないかな」
「お金ももたずにか」
おとうさんだけが笑った。
「今頃、どこにいるんだろうね。この時期、まだ夜は冷えるでしょう」
そこで一旦、神様の話題は終わった。
「そろそろ出かけよう、おとうさんたちがやってくる時間だ」
「そうね」
「しょうすけ、準備できたか」
徳島のおじいちゃんたちは、故郷からバスで神戸に出て、新幹線でやってくる。夜汽車じゃない。
僕たちは、おじいちゃんたちを出迎えに東京駅に向かうために、S私鉄に乗った。
日曜の夕暮れ時、S私鉄各駅電車はすいていた。
「お孫さんだったのよ。今年の探しもの、決めたのは」
おかあさんがおとうさんに言った。
「いつも、しょうすけが遊んでもらっている、あの子か。たしか、しょうすけの一つ上だったかな、けんちゃんっていうんだったよな」
「そうよ。とてもかわいがってもらっているようよ。
山本さんのことだけど、これまでの探しものツアーで一度も探しものを探せてない。妙な手を使って、町内の清掃をさせていると思われているんじゃないかって悩んでいたらしいのよ。この企画、私の代でおわりにするしかないかなって弱気になってらしてね、
そうはいっても、もう一度だけやってみようと、新年早々に決意されて、探しやすいものはないかと考えていたんだって。
そんなこと考えながら、けんちゃんつれて初詣に出かけ、お賽銭を投げ入れて、拍手してお祈りした。お祈りを終わったとき、今年のツアーの探しもの、神様じゃダメかって、けんちゃんが聞いてきたんだって。
けんちゃんちのおばあちゃん、山本さんの奥さんのことなんだけど、ずっと入院していてね。そのおばあちゃんが早く退院できますようにって、けんちゃんはお祈りしたんだって、それで…」
「それで、神様か」
「おばあちゃん、一度はよくなって退院したけど、その後、具合が悪くなって、再入院しているようなのよ」。
「そうか」
「病名とか、知らないけどね」
「訊かない方がいいよ」。
「山本さん、ツアーの終わり掛けになって、そんなことをしみじみと仰るのよ」
「神様はそう簡単には見つからないよ。特に日本の神様は。お姿やかたちが像に現れる仏様とも違うだろう」
「そうかもね。けど、お姿を現わされるかどうかは気持ちの問題かもしれないよ」
「そんなふうに言ってしまうと身も蓋もないだろう」
僕の頭の上で、おとうさんとおかあさんがやりあっている。
おとうさんが研究している民俗学という学問は、神様や仏様、とくに神様をテーマにしているように思う。おとうさんの部屋には、「神道と民俗学」、「童児と神」、「人を神に祀る風習」、みたいに神をタイトルにした柳田国男の著作が並んでいる。
おとうさんは、目にみえないのが神様だから、探せるわけはないと言っている、
そうなると、とんかつ屋でみた、あの小さな人はなんなんだ。
お父さんは神様とは認めないんだ。柳田先生の著作だと妖怪。しかもこの話は「こしらえ話」作り話だと先生は言っている。
僕は神様だと信じている。おかあさんが信じているからだ。
おとうさんは
「しょうすけにはまだ早い、もう少ししたら、遠野物語を読み聞かせてやるよ」
というんだ。遠野物語とは、柳田先生が東北の遠野地方で、ある人から集めたお話をまとめたもの。ざしきわらしという子供のお化けも登場するらしい。
「しょうすけ、何歳になった? 」
おとうさんが訊ねはじめるときは、僕の成績のことをいうときなんだ。
「柳田先生は、いたずらっ子で、十一歳の一年間、親戚の三木さんというお金もちの家に預けられた。三木さんちやその周囲には、柳田先生と年が近い子供は一人もいなかったんだ。それで先生どうしたと思う? 」
なんども訊かれていることだから、僕は応えざるを得ない。
「三木さんちにあったご本を読んで過ごしたんだったよね」
「そうだ。あの一年で、柳田先生は民俗学に取り組む基礎学力をつけたんだ」
そんなエピソードが、柳田先生が新聞に連載したエッセイ(それをまとめた「故郷七十年」)に取り上げられている
「しょうすけは、できる子だもんな」
おとうさんは、無謀にも僕と柳田先生を比べている。
「いいのよ、しょうすけ、しょうすけは、しょうすけで」
そんなとき、おかあさんが助け舟を出してくれる。
おかあさんには感謝しているけど、僕は覚悟しなければならない時がくるかもしれないと思っている。もし、けんちゃんがいなくなったり、けんちゃんに嫌われたりしたら一人になってしまうからだ。
本は嫌いじゃないけど、起きている間中、ずっと読んでいられるだろうか。ゲームに走ってしまわないか。
「おとうさんだって、けんちゃんの気持ちはわかるでしょう」
おかあさんが続ける。
「そりゃなあ、神様にお祈りもしたくなるだろう。おばあちゃんの病気のことを」
「そうでしょう。けんちゃんがお掃除、頑張っていた理由がわかったってわけ。それで、みんなで日暮れまでやったの。おばあちゃんが入院している病院の周りの清掃を」
おかあさんはそう言って、
「暮れかけて夕日がまぶしい病院の玄関前の桜の木の下で、みんなで、空を見上げて、神様ってお祈りしたのよ」と結んだ。
「そうか、みんなできれいにした病院なら、神様もやってきてくれるだろう」
ようやく、おとうさんとおかあさんの機嫌がなおったようで僕も一安心した。
「ところで、お義父さんたち、うちにとめないでいいのか」
これから迎えにいく徳島のおじいちゃんおばあちゃんのことに話がかわった。
「だって、本人が、皇居の近くに泊まりたいって勝手にホテル予約したのよ。
それに、わたしが頼んできてもらうわけじゃないでしょう」
「そうはいってもなあ」
おかあさんが僕のおなかをグーでたたきはじめた。ぼくはおかあさんにたたかれるたびに
「う、う」と声を出す。面白がって余計おかあさんは僕のおなかにパンチを繰り出す。
おとうさんが、眉根にしわを寄せたまま、なにか考え事をしている間に、電車は新宿駅につき、ぼくたちはJRに乗り換えた。東京駅まであと二十分である。
6.
それから数か月が経ち、おかあさんは、二人目がうまれる予定月が来月に迫ったと言っては、ぼくに「おんぶ」を求めてくるようになった。児啼爺が憑りついたように。
おかあさんのおなかがせりだしているので、「おんぶ」ができないことはおかあさんもぼくもわかっている。おかあさんが高揚した気持ちを落ち着かせるための儀式のようなものだと僕は思っている。
もちろん、おかあさんは、おとうさんにも同じことを求める。
おとうさんには、「おんぶ」といわない。「シンジさん」という。
帰宅してまだ靴を脱いでもいないおとうさんに、そういう。おとうさんは、おかあさんの求めてくる両手を静かに払いのけて、着替え、入念に両手をあらってから、おかあさんを二人の寝室につれていく。
少し前までは僕も一緒に寝ていた八畳の部屋なのだけど、僕は、「シンジさん」と呼んだときのおかあさんとおとうさんの間には、入ってはいけない、なにかを感じる。
僕は思った。
おかあさんは、おじいちゃんおばあちゃんに甘えられないまま大人になったんじゃないか。その代わり、二人に幼い頃、聞かされた故郷の妖怪、児啼爺を神様だと信じ、児啼爺のなかに、おじいちゃんおばあちゃんを見ていたんじゃないか。
普段はいいんだけど、不安になったり落ち着かなくなったりすると、児啼爺を思い出して、おとうさんにおんぶをせがむ。おとうさんがいないと僕にも求めてくるようになったんじゃないか。
それだけじゃない。とにかく、おかあさんは、よく、おとうさんや僕の体に触れたがる人なのだ。
「ああ。おなかが減った」
玄関わきのベビーカー。
ソファーの横の、きちんと整理された、おもちゃ、衣類、タオルケット。
ネットショッピングでおかあさんが買った、たくさんの紙おむつやタオルの類を眺めながら、僕は、早くご飯にしてくれと、二人が寝室から降りてくるのをじっと待っている。
その日、おかあさんは、探しものツアーで知り合った、はじめてあかちゃんを産む女の人の家に出かけて行った。
楽に生める秘伝の体操がある。それを教えてあげるんだと、おかあさんの方が予定日が早いのにもかかわらず、マットみたいなものまで持って出かけた。
「大丈夫か」
さすがにおとうさんも心配して訊いていたが、
「すぐそこだから」
おかあさんは気にも留めていない。
女の人の家は、信号を一つ渡った三つ先のマンションだった。
おかあさんが出かけたあと、僕とおとうさんは、徳島のおじいちゃんちから送ってきた鳴門金時をトートバッグに入れてけんちゃんちに出かけた。
まっさきにけんちゃんが僕を見つけて、
「しょうちゃん、言ってた通り、神様がやってきたよ。おととい、あったんだって、おばあちゃん。もうすぐよくなって退院できるって言われたんだって」
遅れて玄関にあらわれた山本のおじいちゃんが、にが笑いしている。
「まあまあ、けんすけ、神様の話は、もういいだろう」
なんども、けんちゃんはおじいちゃんに神様をしたんだろう。おじいちゃんは辟易した顔を僕に向ける。
トートバッグの中の鳴門金時をおじいちゃんに見せ「おいしいですよ」と僕がいうと、
「明日香さんの里からですか」と言いながら、鳴門金時を自分の鼻先に近づけて匂いを嗅いでいる。
「ちょっと多かったかもしれませんが、日持ちしますから」
おとうさんが笑いながら口を挟んだ。
「こりゃどうも。ありがとうございます。お時間ありましたらちょっとあがりませんか」
と、おじいちゃんはおとうさんの目を覗き込んで言った。
「それじゃ。遠慮なく」
おとうさんはさっさと靴を脱いであがっていく。ぼくは後ろについていく。
テーブルをはさんで、向かい合ったおじいちゃんとおとうさんが話し始めた。
「気が早いんですが、来年も、探しものツアーやることに決めました。みなさん続けてくださいとおっしゃるものですから。
松岡さん、休日もご研究やご出張で大変だと聞いておりますが、さすがに明日香さん、来年は出てこられないでしょう。今度は松岡さんの力を貸してもらいましょう。なあ、しょうすけくん。しょうすけくんもよろしくなあ」
笑いながらだったけど、おじいちゃんの目は真剣だった。
ところが、おとうさんは、おじいちゃんのお願い事には応えずに、
「それでなにを探しますか」
とのんびり訊ねる。
「神様でいいんじゃないかと思ってます」
「二年続けて? それでいいんですか。探せますか」
「おふたりに参加してもらえれば、大丈夫でしょう」
捨て台詞のように、おじいちゃんが言った。
おとうさんの言い方には毒があるように僕は感じ、冷や冷やした。
僕は、とんかつ屋での神様の一件を、おじいちゃんに話していた。しかも、お金をもってなかった神様の代金をおとうさんが立て替えて払ったこと。そしてまだ神様は代金を返しにやってきていないことを強調してしまった。
あの小さな人、児啼爺は、徳島に帰ったのだろうか。それともまだこのあたりをうろついているのだろうか。
僕の頭の中では、児啼爺がサンタクロースならよかったと思った。大きなプレゼントは持ってこないし、お金も持ってなさそうだけど、その分、きっと、お祈りやお願いは聞いてくれるはずだ。
おかあさんだって、児啼爺神にお祈りしたから、夜汽車に乗っておとうさんのところにやってこれたんじゃないか。ひょっとしたら児啼爺神が、おかあさんの乗る夜汽車を運転していたのかもしれないと思うようになっていた。
剃り残しのあごひげをごしごしやってから、おとうさんは
「どうでしょうか。しょうすけとわたしだけでは心もとないです。とんかつ屋のおやじさんにも参加してもらいましょう」
とんかつ屋さんの人が参加しないとおとうさんも参加しないと言いたげな言い方だった。
「とんかつ屋さんは、毎回、おかみさんが参加されています。それは、とんかつ屋さんご夫婦の判断でお決めになったことなんでしょう、お仕事の役割分担、お二人の力関係なんかもありますから、こちらから、次は旦那さんに出て下さいとは、そんなことは……」
と、おじいちゃんが最後までいう前に、
「それなら、とんかつ屋さんには私がお邪魔してうまいこと話しておきます」
おとうさんはいい、
「もちろん、わたしは出ますよ。運転席にも乗りたいですからね、なあ、しょうすけ」
と結んだのだった。僕はほっとした。
おとうさんは、どうしても、とんかつ屋さんのおやじさんをツアーに引っ張り出したいみたいだった。
実は、とんかつ屋のおやじさんは、あの日あの時刻、忙しかったこともあったのかもしれないけど、児啼爺がお金の持ち合わせがないことを素直に白状したから、
「今日はお祭りみたいな日。家内も一日、町内の皆さんと楽しんで帰ってくるんだから」
と、児啼爺の無銭飲食を許そうとしていたのに、おとうさんが中に割って入って、
「それはまずいでしょう。わたしが立て替えておきます」
と、おやじさんの手に千円札二枚を置いたんだった。
「とんかつ屋さんの方はお任せします。私は松岡さんとしょうすけくんに出てもらえれば、
それでいいんです」
けんちゃんの顔を見ながら、おじいちゃんはうれしそうだった。
そこに、いま思いついたようにおとうさんが、二つお願いがあるといいはじめた。
おじいちゃんは、「どうぞ」と言って、お茶をいれかえに台所に立った。
おとうさんは、右手の指でテーブルをこつこつ小さくたたきながら、天井を見上げていた。
おじいちゃんがいれかえたお茶を前に置くと、
「明日香の両親も、ツアーに加えてもらっていいですか」
「いいですよ、しかし、一日、相当歩きますけど、大丈夫でしょうか」
逆に、おとうさんは聞き返されてしまうが、軽々に。
「問題ないですよ。なあ、しょうすけ」
こういうときのおとうさんは、僕に返事を求めてくるけれど、僕に徳島のおじいちゃんおばあちゃんの健康状態や足の具合がわかるわけがない。おかあさんに訊ねたほうがいいとこたえようとすると、
「義理のご両親を、お引き取りになられるのですか」
おじいちゃんがおとうさんに訊ねたものだから、大きく両手を横にひらひらと振って
「そこまでは考えておりません。あのうちでは狭くてとても無理ですし、お義父さんお義母さんが東京で暮らせる人かどうかもわかりません。だいいち、明日香が一緒には……」
と言いかけてひらひらさせていた手をとめて、息を大きく吐き出し、
「先々の話ですが、予定通りに生まれてくれたら、来年の探しものツアーのころに、お食いはじめをやります。その頃に呼ぼうかと考えてます」
「それはお二人、喜ばれるでしょう」
おじいちゃんが、ツアーの件はわかりましたといって。
「残るもう一つはなんですか」
とあらためて訊ねる。
おとうさんもあらたまって背筋を伸ばし、
「そのとき、義父母には、サンライズで上京してもらおうと思ってます」
「寝台列車のサンライズ瀬戸のことですね」
「そうです。それに、しょうすけも乗って帰ってきます」
「ということは、春休みに入ったら徳島に遊びにやって、帰りサンライズっていうことですか」
「そうです。行きは飛行機で一人で行かせます。乗務員さんがアテンドしてくれるサービスがありますから。それで帰りは義父母とサンライズっていうことになります。
「夜汽車っていうところでしょうか。若い頃、北斗星で札幌、みずほで九州に行きましたよ。思い出しました。いいなあ、しょうすけくん、おじいちゃんおばあちゃんと夜汽車に乗れるって。十歳で夜汽車デビューだね。今から楽しみだね」
「きれいでしょうね、夜明けのサンライズから見る瀬戸内海。仕事がなければわたしが乗りたいですけどね、そういうわけにはいきません。もっとも、しょうすけのことだから、ぐっすり寝てしまっているかもしれませんよ」
おとうさんは僕の横顔をみながら笑っている。つられておじいちゃんも笑ったが僕は笑えない。
「それでお願いとはなんですか」
おじいちゃんは、おとうさんの話の先が見えないようだった。
「旅行代理店に、申し込みだけはしておこうと思っているんですが、ボックス席は四人掛けなんですよ」
「なるほど、一名、こんでいたら別の人が入ってくるかもしれませんね。人気あるみたいですからね。サンライズ」
「それでですね、けんちゃんはどうかなと思いましてね」
「ほお」
おじいちゃんの顔色がかわった。
「春休みでしょう」
「そうですけど。けんすけの両親がどういいますか。中学受験させると言っておるもんですしね」
「知らない人の家に一週間は長すぎるかな。けんちゃん」
おとうさんに振られたけんちゃんは、生唾を飲んだように目を上下左右に動かした。言葉が出ないかわりに、ふうっと大きくひとつ息を吐いた。
「徳島のご両親のご迷惑にはなりませんか」
けんちゃんの気持ちを察したのか、おじいちゃんが聞いた。
「ちょっと待っててください」
おとうさんが席をはずした。おじいちゃんがあわてておとうさんを追って出ていった。
けんちゃんが僕の顔をみて
「しょうちゃんのおとうさん、やるね」
といった。僕は少しだけ鼻を高くした。
玄関から声が聞こえる。徳島への電話が終わったらしい。
「そうでしょう、山本さん、決まりでいいでしょう」
「……」
「男の子、一人も二人も一緒です。大歓迎だって言っていたでしょう。お義母さん。
山本さん、訊きましたよね。なんなら塾の教材、持っていかせたらいいですよ。明日香の両親、中学の教員やってました。小学校高学年くらいならまだ教えられるかもしれませんけど、期待しないでくださいよ。明日香はそういう親が嫌で高校から家を飛び出したらしいんです。ははは」
最後の方には、おとうさんの怪気炎が聞こえてきた。
おかあさんの知らない間に、ここまで話をすすめてしまっていいのかと僕は不安になった。帰っておかあさんにどういうんだろう。おとうさんの胸の内をさぐった。
寝室でおかあさんをおんぶしておいて、ぼくが一人で徳島にいきたがった、夜汽車にも乗りたがったと、おとうさんは言うんだろうなあ、ぼくには一切の言い訳の機会は与えられないんだろうなあ。
それが僕の目下の役目。それでいいのかもしれないとも思った。
一週間も徳島にいかせてもらえる。しかも、けんちゃんと一緒にいけるかもしれない。
何をしようかと今からわくわくしている。
おかあさんの小さな頃のことや内緒の話をいっぱい聞かせてくれるかな、おかあさんの小さな時の写真も見たいなあなどと勝手なことを想像している。
徳島のおじいちゃんおばあちゃんともっと仲良くなって帰ってくるつもりだ。 そうなると、おかあさんには悪いような気もするけれど、僕は、おかあさんも仲間にいれてあげようと考えている。
もちろん、児啼爺の話も聞かせてもらうつもりでいる。弟か妹かわからないけど、生まれたあかちゃんが健康に育ちますようにお願いしなければならないし、おとうさんのお金も返してもらわないといけない。
徳島にただ一週間遊びに行くわけにはいかない。柳田先生みたいに、起きている間中、本を読むなんて無理。けど、けんちゃんに負けないように宿題もちゃんとしないといけない。
それにもう一つ、これは来年というわけにはいかないと思う。
おなかのあかちゃんのことでおかあさんは精いっぱいなようだから、まだ話せていない夜汽車の話だ。
そのうち、おかあさんとおとうさんとあかちゃんとぼくの四人でサンライズに乗ろう。そして、おかあさんが乗ってきた夜汽車の話をみんなで聞こうと、僕は心に誓ったのだった。
了
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