10 ぽたぽた

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10 ぽたぽた

 ぽたぽたと、頭上から何かが滴り落ちている。何が落ちているのか。目を閉ざしていてはわからない。確かめようと思うが、目を開けるきにはならない。なれない、と言ったほうが正しいだろうか。真っ暗な視界に、再びぽたぽたと何かが滴り落ちてくる。そうして、こう思う。これを恐れてはならないと。恐れは不幸を呼ぶのだと。ごくりと生唾を飲み込む。目を閉じたまま一歩、また一歩歩き出す。前に伸ばした手に何かが触れた。  夢は、そこで途切れた。  オディールが目覚めたのは、床の上だった。寝ている間にうっかりベッドから転げ落ちていたらしい。どれだけ寝相が悪いんだ、と苦虫を噛み潰すような表情を浮かべて一緒に床に落ちていた布団を畳んでベッドの上に置く。そうしたところで軽く伸びをする。どこかが痛いとかはないようだ。幸いにして変なぶつけ方はしていないらしい。とはいえ、このことはカンナたちには黙っておくことにした。特にエンに知られたら、なにかネタにされそうな気がする。それは絶対に避けたい。  動きやすい普段着に着替えていると、一階から焼いたパンの匂いがしてきた。ちょっと焦げているようにも思える。朝の身支度があらかた整ったところで、オディールは一階へと降りていく。そうしてリビングに入ると、パンの他に焼いたハムとポタージュが出迎えてくれた。用意した本人と、その使い魔も。 「カンナさん、今日の朝ごはん豪華だね」 「今日は体力やら精神力やら使うだろうしね。いつも以上に食べておきな」 「はーい」 「マスター、僕の朝ごはんは?」 「あんたは食わなくても平気な存在でしょ」 「あ、はい」  言われた通り食事を口に運ぶ。ポタージュは少しだけ冷まして。一口、また一口と食べていくと気力が溜まっていくような感覚を覚える。今日実行することへの準備も整っていく。そうしているとカンナが切ったリンゴの入った器をこちらによこしてきたので、それをそのまま引き寄せた。一つ取って、口に入れる。 「マスター、僕もリンゴ食べたい」 「あんたは食わなくても平気な存在でしょ。そもそも分身体は食事ができるように作られてない」 「あ、はい……」  エンが残念そうにしているが、これは仕方のないことなのだろうと思って触れないでおくことにした。  そうして、食事を終える。カンナがこちらを見ながら「十時になったら家出るよ」と言ってきたので、決意を込めてうなずいた。ふと見上げた時計の針は、九時前を示していた。  ◇  時は流れて午前十時十五分過ぎ。オディールはカンナの後に続くように、時計台の階段を登っている。カンナいわく『研究』という名目で時計台の見学許可を取ったらしい。そのため、普通の見学許可では見ることができない場所も見ることができるとのことだ。例えば、悪魔の心臓があるらしい場所とか。町の気候を固定するための魔力源、それに強く干渉できる位置に心臓はある。すなわち、最上階。  オディールは階段を登りながら、ふと頭上を見やる。上にずっと続いていく階段が見える。先は全く見えない。遠い、と感じた。目的を達成するためと思えば近いのかもしれないが、気が遠くなるような感覚がするのも事実だ。はあ、とため息をつけばカンナがこちらを見ている。 「もう疲れた?」 「ううん、疲れてはないけど。遠いな……って」 「はいはい、頑張りな若者」 「はーい」  薄暗い塔内を、黙々と登っていく。単調な行動に、思考も少しずつそれていく。階下に残してきたエンはちゃんと見張りをしているのだろうか。貸し切りとはいえ、それを知らない人が来ないとは限らない。そのためにエンに説明を頼んだのだが……彼がきちんと役目を果たしているのかどうかはわからない。カンナとの力関係を考えたら、役目を果たしているとは思うのだが。  しばらくして、先を行くカンナが足を止めた。 「ほら、着いた着いた」 「……な、長かった……」 「はいはい、しっかりしな若者」  カンナの横に並び、その横顔を見る。彼女の視線は、目の前にある扉に向いていた。「はっきりと気配がするね」とカンナは言った。  オディールにもわかる。同じ気配がする。自分に賭けを持ちかけてきた悪魔と同じ気配が。鞄の中からナイフが収められた鞘を取り出す。鞘の外に出ている柄を軽く握り、ごくりとつばを飲み込む。当人がいたらどうしようという想像が頭をよぎるが、それを振り払うように一歩足を踏み出した。 「じゃ、じゃあ行ってくる」 「頑張ってきな。何かあったらフォローはするから」 「……うん」  片手を柄に、もう片手は扉に。軽く力を入れて扉を押せば、キイと軽い音を立てて開く。そうしてできた隙間に身体を滑り込ませ、内部に足を踏み入れる。一つ呼吸を置いてから周囲を見回せば、オディールの視線は自然と時計台にあるという大きな石へと向かう。そして、自然と『それ』を見る。  天井から、どす黒い石のような物体が繭のようにぶら下がっている。しばらく見ていると、『それ』がわずかに脈打っていることに気づいた。そして『それ』が放つ気配で、気づく。そうだ、これが。 (悪魔の心臓)  一歩、足を踏み出す。  鞘からナイフを抜く。  大きくナイフを振りかぶって、オディールはそこで一旦動きを止めた。  あれは壊さなければならないものだ。わかっている。わかっているのに、心臓が早鐘を打って一歩が踏み出せない。『あれ』の気配に気圧されているような感覚がする。  でも、こうしてのまれて何もできなかったら、悪魔は自分を見て笑うだろう。沈む町を見て笑うだろう。  それは絶対に、阻止しなくてはならない!  考えがまとまったと同時に、オディールは悪魔の心臓めがけてナイフを振り下ろした。ざくり、とナイフの身が沈んでいく。それと同時に、心臓がぶるぶると震えだす。ナイフがごとりと地面に落ちた。失敗したのだろうか、とオディールは慌ててナイフを拾う。そうしてもう一度破壊を試みようと心臓を視界に入れる。  悪魔の心臓には大きなひびが入っていた。ぽたぽた。その割れ目からどろどろとした黒い液体が滴り落ちる。液体は一滴一滴落ちていき、地面についたと同時に霧散した。そうして液体が全て出きった頃だろうか、心臓に入った大きなひびから細かいひびが広がり――ぱりん、と音を立てて割れた。  それと同時に、悪魔の気配は消え失せた。  ◇ 「おつかれ」 「うん」 「残り二つもがんばりな」 「うん、がんばるよ。私、がんばる」  一つ目の破壊を終えたオディールは、カンナとともに帰路につく。最下まで降りたオディールたちを、エンの「誰も来なかったよ」と報告が出迎えた。ありがとう、と答えて一足先に時計台の外へと出る。 「……あ」  ぽたぽた。音がする。空から、雨が滴り落ちる。  町に戻ってきた雨を見て、オディールは実感する。  自分は、たしかに破壊を成し遂げたのだ。
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