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16 レプリカ
もう一つの魔力溜まりを見つけたという文鳥からの報告はないが、門番の交換条件を満たすための条件は確実に整っている。一歩ずつ進んでいるんだからあんたはもしかしたら運が相当いいのかもね、とカンナがオディールを評価した。
「悪魔の呪詛を見たのは運が最悪だと思うんだけど」
「最悪と最高は表裏一体とも言うよ」
「言うかなあ」
「言うさ」
そう言いながら、カンナが机の上に一つの瓶を置く。いつも食卓に上がるジャム瓶と同じくらいの大きさだ。中には黒い砂のようなものが詰まっている。カンナはこれを『黒く輝く星の砂』のレプリカだと説明した。
「本物との違いは、物理的に輝いているかどうかの差くらいだね」
「へえ……というか本物は手に入らなかったの?」
「一、持ち帰られた本物はすぐに素材として使われるから必要数を譲ってもらうことは難しい。二、この素材は採取から最長三日以内に使わないといけない。物理的に消えるから。以上」
「……よくわかりました……」
カンナ曰く、レプリカをよく観察して採取対象の特徴を覚えろとのこと。漠然としすぎやしないか。オディールは思ったが、文鳥が砂のありかである魔力溜まりを見つけてくるまではどう考えても暇だ。そう考えると、この暇を活用して覚えるのは理にかなっているのかもしれない。おそらくだが。
そういうわけで、オディールは朝食の後にレプリカを借りて自分の部屋まで戻っていった。すると、部屋の前でエンが中を伺う様子と遭遇する。部屋の中にあるものになにか用があるのだろう。彼の普段の態度はああだが、何の理由もなく人の部屋に来ることはないはずだ。
「なにしてるの?」
「この部屋……オディールちゃんの部屋のすみっこのほうにさ、子供向けの小説があるんだよね」
「それを取りに来たんだ」
「そう~、暇つぶしがしたくてさあ。マスターにそのこと言ったら小説でも読めば? って言われて」
探すの手伝おうか? と言おうと思ったが、自分にもやることはある。とはいえ、少しだけなら問題ないのではないか? 砂の特徴を覚えることと、部屋のすみにあるらしい小説を探すこと。どっちもかかる時間が読めないのは同じではないか? だとしたら手伝ったあとで砂の特徴を覚えても大丈夫なのではないだろうか。
そういうわけで、エンに手伝うとオディールは伝えた。彼は驚いた目でオディールを見上げる。
「オディールちゃん、マスターにやれって言われたことあるんじゃ」
「いいの。少しくらいなら許してくれるよ。たぶん」
「たぶん」
「たぶん。怒られたらその時。で、エンくん。部屋のすみっこと言ってもどのあたりかカンナさんに聞いてる?」
「あ、うん。そうだね。えっと~」
エンが示すのは、使っていないクローゼットの横だった。いくつかの箱が積まれており、その様子はまるで物置の中のよう。エン曰く、この箱にはカンナが読んでいない本がまとめて入っているらしい。この積まれた箱から目的の本を取り出さなくてはならないのだろうか。気が遠くなるような気がした。とはいえ、手伝うと言った以上はそれを撤回するのは不義理というものだ。オディールは一番上の箱を持ち上げて、近くの床に下ろした。
そうしてそれの蓋をあける。中には事前に聞いていた通り本がみっちりと詰まっていた。背表紙を読んでみると、この箱には連載ものの推理小説が入っていることがわかった。目的の本ではないだろうが、暇があったら読んでみるのもありなのかもしれない。そうは思うが、今やるべきことは探しもの。一旦はこれを横に避けておいて次の箱を下ろすのが最優先だ。
そうして、オディールはいくつかの箱を下ろして、エンと中身をあらためた。エンの目的の本は四箱目の中にあったらしい。せっかくだから箱ごと持っていけば? と聞いてみたところ、「さすがに重いから……」という答えが返ってきた。それもそうか、とオディールは思う。エンのこの分身体の姿は子どものそれだ、重すぎるものは持てなくて当たり前だろう。だったら、とオディールは言う。自分がレプリカで砂の特徴を覚えている間、この部屋で本を読んでいくのはどうかと。
「邪魔にならない?」
「変な大声出さなかったら大丈夫だよ」
「さすがに読書中には出さないよ!?」
そう本人が言った通り、オディールの作業中エンはひたすら静かだった。オディールが机に向かって砂の特徴をノートに書き記している間、聞こえてくるのは小瓶で砂が揺れる音と紙をめくる音。時々後ろを見てみると、エンが本に夢中になっている様子が見えた。読書、楽しいよね。そう思いながら作業に戻る。
そうして黙々と作業を進めていくと、気づけば時計は昼を過ぎていた。思っていた以上に集中していたらしい。特徴を覚えることはできただろうか。脳内で一つ一つを手繰っていくと、八割ほどは覚えることができた気がする。完璧ではないが、まあなんとかなるだろう。そもそも特殊な素材だ。レプリカで確認できる特徴以外のものもあるはず。
エンの方を見ていると、彼は目を輝かせながら本をめくっていた。集中を邪魔するのは悪いだろうか。でももうお昼だ。人形の身体を分身体として使っている使い魔でも、人間で言うところの昼食にあたるものはあるはず。そう思いながら、軽く肩を叩いた。
「ん、どしたの?」
「もうお昼だよ。エンくんにもお昼ごはんみたいなのあるでしょ?」
「えっもうお昼!? 早いよ~~」
お昼ごはんか~、とエンが続ける。
「みたいなのはあるよ。マスターのアトリエでなんかこう……あれするんだよ」
「説明し辛いのはわかった。本の続き読むにしてもあれしてからのほうがいいと思うよ。それに私ももうお昼だからご飯食べに降りるし……」
「そうだね~、たしかにそうかも。あとマスターに絶対怒られる」
たしかに。とオディールは思った。そしてそれは多分自分にも当てはまる。昼食も食べずに集中を続けていれば、きっとカンナは自分を叱るだろう。
そうして二人そろって一階に降りる。途中でアトリエへ向かうエンと分かれて、オディールはリビングへと向かう。部屋の扉の向こうから美味しそうな匂いがしてくる。卵を焼いた匂いだろうか。パンのような匂いもする。
さて、これを返すのはどのタイミングが妥当だろうか。ポケットのレプリカの小瓶に布の上から触れて、オディールはリビングの扉を開けた。
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