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20 甘くない
大仕事を成したあとは休憩しろ、とはカンナの弁だ。そして、だいぶ街に慣れたころ。そう、蛍を見に行くという話を実行に移すにはちょうどいい頃合いだ。思えばだいぶ昔に話をしていたような記憶があるが、話をしてからおおよそ二週間しか経っていないらしい。時の流れは早いようだ。悪魔との賭けがあることも踏まえれば。
そういうわけで、オディールは夜になるまでの間を自室で過ごしている。部屋に保管されていた本を読んだり、先日見つけた占いの本で遊んでみたり。それから、昼寝をしてみたり。寝付くまでの間に穏やかな日は夜になるまでが長いな、ということを考える。最近は特に門番交換条件のために動いていたりと忙しかった。たまにはこういうことをしてもいいだろう。
そうしてオディールが昼寝から目を覚ましたとき、時刻は午後五時を過ぎていた。思ったよりも眠ってしまっていたらしい。やらかした、と思いながら一階へと降りる。カンナが「夕飯はまだだよ」と声をかけてきた。
「ちょっと昼寝しすぎちゃって」
「たまにはいいでしょ。それはそうと椅子座って。お菓子があるからそれでも食べてな」
「お菓子?」
「近所の人からもらったの。チョコレートだけど。甘くないってさ」
カンナがテーブルの上を指差す。素直に視線を移せば、そこには見たことのある菓子箱がちょこんと乗っていた。確か、これは。
「あー、アカデミーで地味に流行ってた苦いチョコ……」
「あんた、食べたことあるの?」
「ないよ。流行ってるなあって見てるだけ」
まあ冒険だと思って食べてみな。カンナが言う。それなら、と小さく呟いて、オディールは箱を開いてチョコを一粒取り出した。個包装をひらいて出てきたのは小さな板状のチョコ。苦いと話を聞いている。どれほどまでかは知らない。ただ、アカデミーで地味に流行っていたという事実を踏まえるとまずいものではないのだろう。意を決してチョコを頬張った。
「どう?」
「……苦い」
「まずくはないでしょ」
「うん。美味しい方だと思う」
カンナがそのままテーブルに付くよう促してくる。素直に椅子を引いて腰を下ろすと、向かい合うようにしてカンナも椅子に座った。
「さて、ここからは真面目な話。残る悪魔の心臓は一つ。ただ、悪魔がそう簡単にそれのヒントを流すとは思わない。あたしはそう考えてる」
「というと?」
「期日ギリギリまで存在を隠すだとか、自分の体内に心臓を宿した状態で『自分を殺せ』と言ってくるか。それも、人に化けて人に紛れて。あたしたちから見ればむちゃくちゃなことを言い出しかねないってこと。残り一つの心臓の破壊は甘くはないってことだろうね」
「……わあ」
そこで、とカンナが言う。
「不可視の魔術存在を見るための目。それを強化するという手がある」
「強化? それをするとどうなるの?」
「より強く魔術存在を見ることができるようになるんだよ。説明が難しいから実際なってもらうほうがはやいんだけどね。まあ、対価としてよりこちら側へ近づくことになるからどうするかはあんたが決めな」
こちら側。そういった時のカンナの表情は、少しだけ陰りを帯びて見えた。この叔母は本人なりに姪である自分のことを思っていてくれるのかもしれない。そんなことを考える。
目を強化するか、しないか。強化すれば、目的を果たす近道になる。カンナの与えた選択肢は、叔母としての思いなのかもしれない。オディールは考える。とはいえ、答えはすでに出ているのと同じだ。
「カンナさん」
「答え出すの早いね。で、どうする?」
「強化して」
そう。カンナはそう言って、待つように指示してきた。言われた通り椅子に座ったままでいると、カンナは部屋の外へと出ていった。強化に必要なものは別の部屋にあるのだろう。
待ちながらオディールは考える。カンナは叔母として姪を自分の側に引き入れたくなかったのだろう、と。ただ、それが本人の選択なら尊重するのだろうと。カンナは、オディールの叔母はなんだかんだ優しい。
しばらくしてカンナが戻ってくる。目の前に置かれた小瓶に、オディールの視線は自然に向いた。青く不透明な小瓶だ、中には何が入っているのだろう?
「その中にある薬。それを飲むと目を強化できる。ただし、副作用もある。まあ雑に言うと頭痛だね。頭痛がするの。というわけだから、副作用がおさまるまでは家を出ないこと、いいね」
「蛍を見に行く約束は……まあ、後でってことかな」
「そりゃそうに決まってるでしょ。はいはい、覚悟くくってんだったらさっさと飲みな」
「はーい」
小瓶の蓋を開けて、口をつける。中身を一気に飲み干すように注ぎ込めば、喉を苦い味がするりと通り抜けていった。想像通りの、甘くない味。
すべて飲み干して、小瓶を机の上に置く。すると、軽く締め付けるような頭痛がしていることに気づいた。なるほど、これが副作用か。そう思いながら、オディールは言う。
「甘くなかったよこれ」
「薬はだいたい苦いでしょうが」
それはそうと、とカンナが言う。なんだろう、と思いながら彼女に視線を合わせた。
「もしあんたが将来その目で生きづらくなったら魔女を目指しな」
「カンナさん、それすっごいむちゃくちゃなこと言ってない?」
「まあむちゃくちゃではあるね。ただ、あたしはあんたが魔女になるための手助けはできる」
『目』を持つ人間は魔女になるほうが生きやすいということらしい。その道程は険しいようだが。オディールはそう認識した。叔母の心配は、この話を始めてからずっと感じている。そうであるなら、自分の答えはこうだ。
「わかった。その時が来たら……カンナさんのこと頼るからね」
「了解。大船に乗る気持ちできな」
「うん」
自分が魔女を目指すなら、その学問を修めることになるのだろうか。カンナと同じで、魔術考古学野道を進むのだろうか。もしその道へ進むとしたら、卒業後にカンナの手伝いから始めるのも悪くないのかもしれない。そうして実績を積んで、いずれは称号を得て。そのときには、自分もカンナと同じように誰かを助けることができるのだろうか。魔術的な困りごとを抱える子供を、支えることができるのだろうか。
そう、オディールは自分の将来を夢想する。
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