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03 文鳥
カンナの家は一階と二階、それから地下があるらしい。一階は一部の生活に使う場所を除いて本まみれ。なので寝起きは二階で、とのこと。そういえば一階のいたるところに見えている本以外にも透明の本(オディールにも見えるようになった特殊なやつだ)もみっちりと置いてあった。見えるとはこういうことなのか、とオディールは思った。
二階の通りに面した部屋、そこがオディールにあてがわれた部屋だった。簡素なベッドと比較的新しく見える布団。こぢんまりとした作業机と、備え付けの椅子。いわゆる宿泊施設の一室のような印象を受ける。
「思ったよりきれいな部屋だね」
「あんた以外の人も止まったりするの。だから常に掃除しなきゃならないわけ」
「なるほど」
「そうだ泊まってる間はこの部屋の掃除担当はあんただからね」
「あっはい……」
あてがわれた部屋の掃除は自分でしろ。食事は一日三回ちゃんととれ、作れそうなときは自分で作れ。風呂はなるべく夜十時までには済ませること。就寝時間については強制しないが、読書灯に使うランプの油については自分で管理しろ。部屋に案内されたとき、そんなことを言われた。思っていたよりは厳しくない。オディールはなんとなくそう思った。
一日目の夜、オディールは特になにかをするでもなくそのまま就寝した。カンナの家で読むつもりで持ち込んだ本はあるが、正直今はそれらを読む気にはなれない。だったら、深く考えずに寝る方がいい。多分カンナに相談してもそう言う。
◇
幸いなことに、深夜に目が覚めるということはなかった。なかったが、期限までの時間は確実に縮まった。縮まったし、普段より早い時間に目が覚めた。普段からこういう時間帯に起きていればアカデミーに遅刻する回数が減るのかもしれない。そんなことを思いながら、オディールは上半身を起こして大きく伸びをする。
おそらく今日から本格的な対策を考えていかなければならないだろう。昨日、具体的にはあのあとのカンナとの相談で方向性が固まった。悪魔の心臓を破壊する手段を用意すること。その手段において、魔術の知識を応用できること。悪魔の心臓のおおよその位置を特定すること。
位置の特定について、オディールはカンナに一つ質問した。この町の中に心臓がある保証はあるのかと。カンナはあっさりとこう答えた。
「呪詛を撒いた悪魔は、呪詛を撒いた土地にしか干渉できない。そういう理がある。だからあるとしたら、奴が干渉できる土地――この町だね」
思い出し、復唱する。ベッドから立ち上がり、オディールは寝間着のままベッド脇の小さな窓、それを覆うカーテンを開けた。小さな窓には外側に雨粒がついている。この町の雨は時間帯によって雨量が変化したりするのだろうか。なんとなくそういうことを思いながら、オディールはとりあえず着替えることにした。
そうしていると、一階から美味しそうな匂いがしてくる。何かを焼いたような匂いだ。パンだろうか。しばらくしてちょっとだけ焦げ臭いようなにおいに変わってきたような気がするが気のせいだろうか。
何にせよ、降りて確認しなければならないだろう。オディールは扉を開けて、部屋の外へと出た。廊下は少し薄暗いが、夜とは違って移動には支障ないだろう。階段を一段降りたところで、オディールはどこからか鳥の羽音がしていることに気づいた。それが自分の真上あたりからしていることに気づいたのと、頭の上になにか降りてきたような感覚がしたのはほぼ同時のことだった。何か乗ってきたな……と思ったが、確認するのも面倒くさい。オディールはそのまま一階へと降りることにした。
リビングまでやってくると、テーブルの上にはシンプルな朝食が並べられていた。こちらに気づいたカンナが「おはよう」と声をかけてくる。
「おはようカンナさん」
「思ったより早かったね」
「カンナさんは私を何だと思ってるの」
「姉さんの娘だから寝坊常習犯かなって」
「……否定しづらい」
「はいはい、いいから座りな。今日の朝はパンと目玉焼きだよ」
「それだけ?」
「りんごもあるよ」
「それだけ……?」
「文句言わない」
はーい。そう返事をして、オディールは椅子を引いて座る。そうして朝食を見たところで、焦げ臭いにおいの理由を知った。パンも目玉焼きも、少し焦げている。もしかして、この叔母は料理が下手なのだろうか。もしくは、普段自分しか食べないから多少の焦げなら気にしていないか。正解がどっちにしろ、慣れていこう。いわゆる居候に近い立場である以上、過剰に文句を言うのはあまりよろしくない。もっと言うなら、カンナの姉である自分の母の印象も悪くしてしまう。流石に母にまでそういうものが飛んでいくのは避けたい。
「カンナさん、ジャムとって」
「何がいい?」
「イチゴ」
「はいはい」
ああ、それから。とカンナが言う。何? と問いかけると、カンナはオディールの頭の方を指して、こう言った。
「頭の上のやつ、おろしたほうがいいんじゃない」
「……あー……そういえば居るっぽいけど……」
「下ろそうか」
「お願いします」
カンナが席から立ち上がり、オディールのところに近づく。目を閉じろという指示の通り、目を閉じて待つ。自分の頭の上にいるなにかに語りかけているのだろうか、カンナが「おいで」と言っている声がした。小さく羽ばたく音。しばらくして「もういいよ」という声がした。言われたとおりに目を開けると、カンナが手に何かを乗せたまま席へと戻っていく姿が見える。その手元をよく見ると、文鳥のような小さく丸っこい鳥がいた。
「カンナさん、その子何?」
「うちの使い魔だよ。具体的に言うとそのなかの一匹。あんたにも見えるようになったやつ」
「使い魔」
「そう、使い魔。魔女にのみ許されているアレだね」
文鳥型なのはカンナの趣味だろうか。きょろきょろとしている様子である使い魔とふと目が合った。かわいい。
「この文鳥以外にも使い魔というか……居候と言うか……がいるんだけど、まあそいつについてはで説明するよ」
「カンナさんの家大所帯じゃん」
「あんたが来たからよりいっそうね」
さ、朝ごはん冷めるよ。カンナがそう言うので、オディールは少し焦げたパンにイチゴのジャムを塗る。ふと視線を感じたのでそちらを見てみると、カンナの使い魔である文鳥たちがこちらをつぶらな瞳で見つめていた。おこぼれが欲しいのだろうか。無視しようとしたが、文鳥たちの視線にはなんとも言えない圧がある。うるうると瞳が揺れている。
仕方ない。オディールはパン耳を少し崩して、文鳥たちの前にこぼした。嬉しそうにそれをついばむ文鳥たちを見ながら、オディールはぼんやりと思う。
ここでの生活、色々な意味で前途多難では。
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