9人が本棚に入れています
本棚に追加
06 アバター
「余裕が出てきたのはいいことだよ」
「そうかも」
「で、蛍だっけ」
「そう。私以上にエンくんが見てみたいっぽくて」
「あいつか……」
「カンナさん、何か手段ない?」
翌日、オディールは朝食の席でカンナに昨日思っていたことを相談した。蛍を見に行ってみたい。できればエンと一緒に。なるべく石板は持ち出したくはない。
考える仕草をしているカンナの様子を見守りながら、オディールは牛乳を一口飲んだ。とんとんとカンナが机を指で叩く音がする。集中しているのだろうか。さらにしばらく待っていると、カンナが「まず説明から入るけど」と口を開いた。
「エンはそもそもこの世界とは別の世界にいるわけ。雑に言えば精霊が近いかな。で、別世界からこの世界に干渉できるようにする装置があの石板」
「なるほど?」
「でも石板だとできることは限られている」
「そうなんだ」
「まあそもそもあの石板は異界の存在との対話装置みたいなものだからね。そんなもんさ」
咳払いをして、カンナが話を続ける。
「で、その石板での制約を取っ払うために何ができるか。あたしが思いつく手段は『この世界で活動するための分身体』を作ってエンに操作させる。これくらいかな」
「なんかすごい話になってきたけど、カンナさんできるの?」
「過去にもそういうことやっていたっていう痕跡があるようだからね。不可能ではない」
「へえ……」
「試すのははじめてだけどね」
つまるところ、ある意味ではエンは実験台となるということか。がんばれ。心の奥底で応援の念だけを送っておいた。
カンナはその後もその手段について説明してくれた。分身体はなるべく精霊的な存在が馴染みやすい素材で作ったほうがいいということ。この世界で生きている存在に姿を近づけた方がいいということ。実は素体になりそうな人形自体はあるが、馴染ませるための素材がないということ。それから。
「で、魔術的な素材を売ってる店があるから、あんた買ってきて」
「私が行くの!?」
「町の構造覚えるついでだと思いな。ほら、具体的に何買えばいいかのメモとお金渡すから」
「それを言われると痛い……行くよ、ついでに道覚えればいいんでしょ」
「がんばれ」
◇
そういうわけで、オディールはカンナから渡されたメモと財布を手に家の軒先に立っている。今の雨量が少ないことは不幸中の幸いだろうか。傘をさして、オディールは道を歩き出す。カンナから言われた店は、役場の横にある道から行けるらしい。路地を通ってしばらく歩けばわかりやすい看板があるそうだ。目印があるのは助かる。水たまりを踏みながら、オディールはそう思った。
階段通りを出て、別の通りを抜けて、役場の方へ。たどり着くと、建物の右手側に奥へと続く道が見えた。ここからでも目印は見えるだろうか。覗き込んでみるが、この位置からでは目印らしきものは見えない。大人しく歩きながら見つけよう。オディールは路地へと足を踏み入れた。
そうして通りを注視しながら進んでいくと、左側に大きな吊り下げ看板があることに気づいた。大きな文字で『魔術具あります』と書かれている看板。少しだけ奥まったところに両開きの扉もある。間違いない。カンナが言っていた店だ。オディールは傘を畳んで扉の近くに立てかけると、そのまま両手で扉を開いた。
「ごめんください」
店の奥の方から「いらっしゃい」という声がした。ゆっくりと店の中に入っていけば、壁に沿うようにして置かれている棚がオディールを出迎える。授業で見たことがある模様の壺、エンの石板によく似た石板、赤黒い石の塊。色々なものが置かれている。カンナはいつもこういうところで買い物をしているのか。仕事に関係する買い物を。あの叔母の仕事はなかなかものすごく知識を使う仕事であるようだ。店の奥で動いている影に近づきながら、オディールは感嘆の息をもらした。
動いていた影が小柄な老女であることに気づくのはすぐのことだった。彼女が店主なのだろう。「若い子が来るなんて珍しいね」と彼女は言い、オディールに向き合った。
「何が欲しいんだい?」
「えっと、このメモに書いてあるものが欲しいんですけど」
「どれどれ……あー、なるほどね。カンナのお使い。ちょっとそこで待ってておくれ。店の奥にあるんだよ、それ」
「はい」
店の奥へ向かう店主を見送り、言われたとおりに待つ。しばらくして店の奥から、店主が片手に収まる大きさの箱を持って戻ってくる。彼女はそれをオディールに持たせようとしてきた。慌ててオディールはカウンターの上にカンナから持たせられた代金を置いた。
「はい、たしかに。……ちょっと不足しているようだけど、まあそれは後でカンナに請求するよ」
◇
「だってさ、カンナさん」
「あのばあさん……見逃してはくれないだろうねえ……」
「カンナさんもしかしてあのお店で結構ツケを……?」
「そうだよ悪い?」
「悪いよ……ってそうじゃないよ。カンナさん、その箱の中身どう使うの」
「あー、そうだったね。そうだった」
ついてきな。カンナが一言。指示された通りエンの石板を持ちながら、オディールはカンナの後を追う。
そうしてやってきた地下室。カンナがエンの石板を置く場所を指示するので、オディールは素直に従った。そうした上で視線を移せば、カンナがアトリエの奥から精巧に作られた人形を運び出している姿が見える。人間の子どもくらいの大きさのようだ。どことなくエンに似ている気がする。
「この人形にあんたに買ってきてもらったやつを組み込んで、エンと接続する。そのうえでエンに人形を動かしてもらえば……分身体として扱えるはずだよ」
「へえ……」
「まあ先に試すところからだね」
カンナが人形の上半身の服を脱がす様子が見える。胸元に組み込むからなのだろうが、なんとも言えないものを見ている気分だ。このあとこの人形をエンが操作するということを考えると余計に複雑な気持ちになってくる。そう思っているところで、カンナの「できたよ」という声がした。
「もうできたの?」
「組み込み自体はそう難しくない作業だからね」
そう言いながら、カンナが石板の水晶を弾いた。そうした上で、石板の光に板のようなものをかざしている。これも必要な作業なのだろうか。そう思いながら様子を見守る。しばらくして、カンナは板のようなものを再び人形の方へと持っていった。カチャカチャという軽い音が聞こえるが、その音はすぐに止んだ。かなり手早い作業であるようだ。
「こんなもんかな。それじゃあ、エンを起こしてみて」
「はーい」
光を放っている水晶を軽くつつく。しばらくして、ふわりと浮かんできたエンが大きく伸びをした。
「なになに、どうしたのさ~」
「エン、早速で悪いんだけどあんたとこの人形接続したから」
「はい?」
「ちょっと動かしてみて」
「唐突すぎない!?」
いいからやるんだよ。圧を放つカンナに根負けしたのか、他に理由があるのか。エンが大人しく頭を抱えて「むむむ」などと声を上げている様子が見える。そのまましばらく待っていると、ぴくりと人形の腕が動いた。
「ねー、これでいいの?」
そう、エンの声で人形の口が動いた。
「よし、接続完了。調子はどうだい」
「変な感じ~、でも部屋がはっきりと見えるね。オディールちゃんも。やっほー」
「やっほー」
「まあ後は慣れればいいさ。慣れてから蛍を見に行けばいい」
道案内はオディールにさせるとして。などというカンナに対して、オディールとエンはほぼ同時に声を上げた。
「私土地勘ないんですけど!? 見に行きたいとは思うけどさ!?」
「マスターが優しい……明日は晴れかな……」
最初のコメントを投稿しよう!