キャラメルの季節

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と、桂が大きな声で増田先生に挨拶した。部活動の挨拶というよりは、どこか軍隊じみた、規律を感じた。 「桂、これ見てみぃ」 増田先生の声には、先ほどとは違った緊張感が感じられた。 「前にもゆうたけど、お前のバッティングフォームはこんな感じで身体が開いとんのや」 「はい」 桂先輩は、真面目な面持ちでじっと増田先生と、私の絵を見ていた。茉莉はどうして良いか分からずに、立ち尽くすことしかできなかった。 「何度も言うてるけど、グリップよりも先に肩が開いたらあかんのや。せやからインハイは詰まるし、アウトコースには手が出んのや」 茉莉は増田先生と桂君の会話の半分も理解できなかったが、いかに真剣であるかはわかった。そこからもずっと、増田先生の指導は続いた。職員室でバットまで振り出し金ない勢いがあった。ひと段落つく頃には、昼休みのほとんどが終わっていた。 「… わかったか」 「はい」 と一応の終局を迎えたところで、茉莉は 「あの」 と横槍を入れた。2人は、まるで自分がそこにいるのを忘れていたのかのように、目をパチクリさせていた。 「あぁ、すまない。もう授業か」 増田先生が言い終わらないうちに、授業の予鈴が鳴った。 増田先生と桂君は、まだ話を続けそうだったので 「失礼します」 と言って職員室を後にする。自分の教室へと戻る間、茉莉は結局何が起こったのかを整理しようとした。結局、自分の絵は、バッティングフォームの確認に使われて、叱られるダシに使われたようで、少しの罪悪感とイライラが募った。何も自分を呼び出さなくてもよかったではないか、と茉莉は思った。  教室に戻ると、理沙が心配半分、からかい半分の表情で 「何やらかしたの?」 と聞いてきた。 「ちょっとね」 と目配せをすると、すぐに次の授業の担当の先生が教室に入ってきて、その場は流れた。茉莉は桂先輩を見た時の、瞳の輝きを思い出していた。  「それって、野球部のあの桂先輩のこと?」 「あのってどの?」 翌日の昼休憩の時間、茉莉は理沙にことの顛末を話して聞かせた。学校の事情にあまり詳しくない理沙でさえ、桂先輩のことは知っているらしかった。 「なんて言ったって、作並野球部の期待の星らしいじゃん」 「そうなんだ」 「そうなんだって。あんた、本当に作高の生徒?」 「だって、野球とか興味ないし」 茉莉の返答に、理沙が笑った。 「1年生の時に甲子園に出て打率が4割だとか、プロからもスカウトにきてるとか、そんな話だったはず」 「それって」 どうやら、校内では知らない人はいない有名人のようだった。ファンクラブまであるとかないとかいう噂らしい。 「サイン貰っときなよ」 「いや、いいや」 「将来自慢できるかもよ」 理沙も意外とミーハーらしい。いや、私が世間に疎いだけか、と茉莉は思った。でも、今プロで活躍している野球選手のサインだって、別に欲しくはないのだから、将来がどうであろうと茉莉にはどうでもよかった。 「それより、今回のキャラメル、どう?」 茉莉は、理沙の感想が気になった。理沙は簡易的に包装したクッキングシートを剥がして、丸っこい指で口に運ぶ。顔を綻ばせる理沙の顔を見るのが、茉莉は好きだった。 「うん、この前よりいい気がする」 「ホント?」 理沙は茉莉がお菓子づくりをしていることを知っている唯一のクラスメイトだった。理沙と茉莉は、1年生の時から同じクラスで、何をやるにしても一緒にいた。校則をちょっとずつ破ったり、明るい声で男子と談笑するような、いわゆる1軍のクラスメイトとは違って、でも、教室の隅で漫画を読んだりしているようなわけでもない、普通の女の子。そんな2人が自然と会話をするようになり、友達になるのにはそう時間は掛からなかった。茉莉が美術部、理沙が吹奏楽部とどちらも文化系で、食べ物の好みやファッションの話題なども興味なども似ていた。 「茉莉、絶対お菓子屋さんになれるよ」 「えー、嬉しい」 次の日には内容を忘れていそうな他愛もないやり取りの最中、野太い声が茉莉の名前を呼んだ。 「橋本茉莉さん、いますか」 敬語なのに、圧倒的に年上の感じのする声だった。後ろの扉のほうを振り返ると、声の主は、桂先輩だった。昨日会っていなければ、教育実習の先生と勘違いしそうなほど、威圧感があった。昨日を同じく、いや、昨日以上に茉莉に注目が集まっていることがわかった。 「はい」 隣にいた理沙にも聞こえるか聞こえないかという声で返事をする。なぜ、桂先輩が教室に。いや、早く行かなければ。教室の入り口で待たせている先輩のところへ、茉莉はそそくさと急いだ。 「これ」 先輩が持っていたのは、職員室で散々話題にしていた、絵のコピーだった。私が帰った後に書かれたのか、上からメモや矢印がいくつか引かれている。
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