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アゲハ 1
泊まらずの客が帰った後、鳳蝶は畳に広がる着物の海に指を滑らせ、震える手で痛む裸の背中に纏った。
乱れた息を整えている間に小さく呼ぶ声がして、二間続きの鳳蝶の部屋の、座敷と寝所を隔つ襖が開き、明かりと共に禿が二人入ってきた。小里は部屋の隅にあった鏡箱を鳳蝶の近くへ運び、中から取り出した鏡を慣れた手つきで鏡台に設えた。鈴菜は運んで来た水を桶に注ぎ、手ぬぐいをその傍らに置く。
二人とも髪を肩口で切りそろえ赤い着物を着てまことに禿の装いだが、少女ではなく十歳にもならない少年達であった。
「姐さん」
気を利かせて鏡箱の抽斗から蛤の殻に入った傷薬を取り出した小里が、声変わり前の澄んだ声で呼びかける。姐さんと慕われる鳳蝶も女ではなく男だ。
色里として名高い街の一角に、男が春をひさぐ特殊な店が存在する。この雪月亭もその一つだった。
「ありがとう。あとはもう自分でやるから、出て行っておくれ」
禿達が素直に続き部屋から下がり、隣の座敷を片付ける音を聞きながら、鳳蝶は桶の水に手ぬぐいを浸した。固く絞って痛む身体を丁寧に拭い、腫れを冷やしていく。
嬲られ、痛めつけられはしたものの、今日は性行為がなかったので、体内に注ぎ込まれた精を指で掻き出すことはしなくていい。特に今は天井裏に見物人が潜んでいるので、そのことに正直ほっとしていた。今更ではあるが、そんな場面を兄のような男に見られていい気はしない。
禿達が去った後、頃合いを見計らうように、天井裏から部屋の暗がりに降り立つ気配がした。
当然、音は立てない。鳳蝶は自然と笑みを浮かべる。
(背中痛いだろ。薬塗ってやる)
自分にしか聞こえない、空気を震わせるような微かな声。
鳳蝶は返事のかわりにタケルの居る方へにじり寄ると、背中を向けて着物を肩から落とした。
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