タケル 1

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 ただの一時の気の迷いだ。  タケルはふるふると頭を横に振った。  なのに振り払うそばから、このような機会はそうそう来ないのではないだろうかとの想念がむくむく湧き上がる。  膝をついたまま目を上げれば、そこには畳の上で正体無く眠る仇敵の姿があった。疲労困憊しているのか体調が良くないのか知らないが、見知ったばかりの者を相手に無防備に寝姿を晒すなど失態の極みだ。 (行けるか)  と思った時には身体が動いていた。  気配を殺し、空気を震わせることなく、次の瞬間タケルは久我の枕辺に座を移していた。  久我は長身だ。体格もいい。目覚めたら小柄な自分など、簡単に吹っ飛ばされてしまうだろう。  この男が、と改めて至近距離で、まじまじと顔をにらみつける。この男が、タケルの大事な、父とも慕っていた人を、捕縛して処刑に追い込んだ。  子供の頃、火事で焼け出されて路頭に迷っていたタケルと弟分のアゲハの二人に、優しい笑顔を向けてくれた又五郎。顔を見せれば「腹ぁへってないか」と声をかけてくれ、何くれとなく世話を焼き食べ物をわけてくれた。  又五郎が刑場で見せしめにされたあの日から十年、タケルはずっとこの機会を待っていたのだ。  懐にしのばせていた小刀を取り出したタケルは、目の前で横たわる久我の耳の下に狙いを定めた。
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