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タケル 1
幅二間の堀がぐるりと取り囲む、色里として名高いこの街の一角に、男が春をひさぐ特殊な店が存在する。店の名を雪月亭といった。
太客がいるような売上げの多い陰間は店の二階に専用の部屋を持っている。
タケルは子供の頃、一年ほどだったが兄弟のように共に時を過ごした鳳蝶に会いに、時折その部屋を訪れていた。
勿論、客としてではない。
一人目の客が帰り、鳳蝶が身支度をしながら少しだけ休憩する隙に、天井裏からそっと部屋の畳へと降り立った。行灯の明かりが届かない、闇の中だ。
(しつこい客だったな)
外には声を漏らさない、特別な発声法で鳳蝶に声を掛けた。
「でも、いいひとだよ」
部屋の外からは賑やかな笑い声に混じって三味線や唄が聞こえてくる。タケルはあくまでも兄貴分であって鳳蝶に懸想しているわけでもないが、正式な手順も踏まず無断で侵入していることを誰にも気取られてはならないため、できる限り小さい声で意思を伝え合う。
「少しは進展があったの?」
(あった)
昔、二人が一緒に暮らしていた頃、父のように慕っていた男を亡くした。
男は夜鴉の又五郎という二つ名を持つ盗賊で、火附盗賊改に捕らえられ処刑された。タケルと鳳蝶は子供だったので辛くも逃げおおせることが出来たが、又五郎の仲間は次々に捕まった。
このときの恨みを晴らそうと二人は復讐を誓い、あれから十年経った今もこうして生きている。
一年近く前のこと、馴染みというほどでは無いが、鳳蝶の客の一人に鎗田という先手組の役人が居て、これから自身が所属する先手筒組が加役、つまり火附盗賊改という役目が追加になるのだ、と閨で鳳蝶に泣き言を言った。
聞けば、次の頭は出戻りで、かつての先手筒頭、二度目の火附盗賊改方頭就任だという。先に任じられた時には通例よりも若年で詮議も相当苛烈だったらしく、配下の与力同心は眠る暇が無いほど業務に邁進させられたということだった。
以前がそうなら再任する今後も同様だろうという怖れ混じりの愚痴を聞いている中で、出戻りの頭がかつて又五郎を捕縛した久我鉄之丞であると分かった。久我に心酔しているかつての配下が剣の稽古に余念が無く、気負うあまり荒稽古による怪我人が続出したり、密偵の誰かが助け手を探したり、現場は喜ぶ人備える人怖じける人で大混乱していると、鎗田はひたすら嘆いていた。
いくら色街の閨の中とはいえこんなに内部事情をべらべら漏らしてよいのか気になるところではあったが、鳳蝶は鎗田を慰めて宥めて気持ちよくしてあげて、一方では聞いた話をそのまま丁重にタケルに横流しした。
その結果、タケルは植木屋の庄三に辿り着き、偶然を装って知り合った後手伝いを始めて、そろそろ半年ほどになる。庄三は腕のいい植木職人でもあり、なぜか久我に信服していて密偵の真似事までも以前から行っていた。
「進展って、どんな?」
敢えてタケルの方に目をくれず、ぼんやり窓の外を眺めている振りで、鳳蝶は消え入りそうなか細い声でそう口にした。タケルは暗がりの中で頬を緩めた。
(あの男に、俺の名前が届いたみたいだ)
告げれば、鳳蝶は刹那瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んだ。
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