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⑥ 愛と性欲part1
くすくす、くすくす、と授業中後ろの男子が笑う声が聞こえた。せんせぇはあたしの席の斜め後ろ。後ろの男子を見ると必然的に視界に入ってくる。気のせいなんだけれど、ここ二週間くらい、せんせぇと教室でよく目が合う。バチンッと合ったと思えば、二、三秒してからふいっと顔を背けられる。それの繰り返し。プリントを後ろに配るときも、ふと学級で話あうときも、目はあうのに避けられている気がする。ノートを回収するときは、今まではせんせぇが全員分一人一人回収していってたのに、あたしのときだけ、橋本がせんせぇに耳打ちされて、回収しにくる。そのときの橋本の顔が思い出されて、嬉しくもあり、なぜかもやついてしまう。
後ろの男子をくるっと見直すと、彼は引き出しからそっと何かを出して見ていた。あたしもたまに引き出しから携帯をとりだして、暇ならシアルキラーを引き出すけど、同じような感じ。
なら、気にしないでいい、か。
斜め前の男子が今度はあたしの後ろを顔を見てにやけている。なんだかにやにやしているやつが多くて気色が悪い。彼は耳にワイヤレスイヤホンをしていて、音楽を聴きながら授業を受けている。
ぱっとしない古典教師は、「君がため惜からざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな」と詠んでいた。あたしたちの出し抜けに気づかずに色めきたっている生徒たち。優雅な昼がすぎていく。窓の外の緑陽は、陽を温かくした。
桜はすぐに散って、様変わりしてしまった。魔物はいつまで経ってもあたしの中に居座っているのに、春はまだきていない。
授業が終わると、次は最後の授業、ということで、やっとだぁとだらけきったあたしに、橋本が話しかけにきた。「さっきのとこ分かった?」「ううん、分からん」あたしはまだまだわけが分からないことだらけだった。
あ、と橋本がせんせぇの方を向く。
「最近さぁ、なんか知らんけど、八島君とよく目が合うねん。これってもしか、もしかしてさぁ」
橋本が嬉しそうに頬を抱えていた。ぶんぶんと身体が振られる。
「前から思っててんけど、せんせぇって、彼女いるんかな」
「ううん、中学も高校も一緒やけど、そんな噂はなかったかな。そこが誠実というか」
また橋本の好き好きが始まったところで、背後の男子達が騒ぎ出す。机にボンッと分厚い雑誌や薄い雑誌が並べられる。教室中の生徒はびっくりして一瞬あたしの後ろの机に視線が注がれた。表紙はグラビアアイドルの水着写真。胸が強調されたものになっていて、肌は白い。橋本は反対に自分の肌が気になったのか俯く。あたしは、せんせぇはどういう反応しているか気になっていた。でも、やっぱりすぐに顔を背けられてしまう。
どうしてだろ。意味が分かんない。
「見ろよ、今週の水先あみ。やっばかったわぁ」
「ああ、こっちの漫画のこのサービスシーンさあ。興奮しーひん?」
わかるわかる、と興奮気味に、しかし小声ぎみに漫画の濃や雑誌の濃い話をしている。あたしはちんぷんかんぷんだが、せんせぇが白い目をしていて、他の女子がこそこそと陰口ぎみに「やだぁ」と言っているのを聞くと、あまりよくない話をしているらしい。橋本も、うわぁ、と言葉にならないうめき声をあげていた。
「気にせずに、こっちで話そ」と橋本。
「うん」
教室の視線はすぐに霧散して、遅れて後ろの席の声が教室のガヤガヤに混じった。せんせぇは、立ち上がって、黒板を消しに行く。
途端に、橋本の視線を辿る。せんせぇは日直の仕事を手伝っていた。黒板消しに触れる人差し指にはあたしの痕跡が残っている。茶色い横線。一生残るかもしれない、シミ。ちょっとした優越感で鼻を高くする。
ふふん、あれはあたしだけの、傷跡。
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