① 春のキバ

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 頭がぐるんぐるんと回って倒れたあたしを保健室に運んだのは、学級委員長の八島克(やしますぐる)だった。八島は、みんなから「せんせぇ」と呼ばれていて、いつも教室の中で正しさという名でそびえ立っているような男の子で。煙たがれもしていたんだけど、言っていることはなんだかんだ正しいんでみんなこわがっていたし、尊敬もしていた。  せんせぇは、あたしを保健室まで運ぶと、ベッドに寝かせてくれた。春のぽかぽかとした陽気があたしの食欲をうながす。逆に胸がいっぱいになって、目の前の穏やかさを切り裂きたくなった。いますぐにズタズタにしてやりたい。目の前のシーツをぐしゃぐしゃに巻き上げて、カーテンを体重のままに引っ張って、そして目の前のせんせぇを爪でひっかいて、つたない傷をつくり、血液で正しい肌を汚したい。  せんせぇは、保健室に誰もいないのを見ると、誰か呼んで来るって言ってあたしを置いていこうとした。 「待って、行かないで」  喉に唾がごくん、と流れる。ぐるんぐるんと頭が渦を巻いているからか、目の前のせんせぇの肌がおいしく見えてしまっていた。未だ春の肌寒さからブレザーを着込んでいる、その先の手。女の子みたいに細くて小さい、骨張った手に釘付けだった。口に咥えていますぐに、歯を突き立てて噛み切りたい。  そういうの、だめだって。  あたしを否定するのはちっぽけな教室の世界。あの中の規範があたしを形作っていて、これはいけないことだって理解はしていた。  友達は大切にしましょう、は小学校の学級目標だった。  みんな仲良く勉強をしよう、は中学校で学級委員が言った目標だった。  じゃあ、高校生は? 「せんせぇ、手ぇきれぇやねぇ」  あたしの脳内でぷっつん、と思考回路が切れた。  かぷっ。
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