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第三章
駅で待ち合わせをして、私たちは指定された高級ホテルに行った。
着くと、成瀬様でいらっしゃいますか? とスタッフさんに声をかけられた。
はい、と答えると、私たちはラウンジの席に通された。
そこには一人の男の子がいた。
私と六花は彼を見て一瞬、身体が固まってしまった。魔法をかけられたみたいに。
その男の子は、少女漫画に登場する王子様系イケメンが、そのまま現実に飛び出してきたかのようだった。
整った顔立ち、ぱっちりとした目、透明度の高い肌、サラサラな髪、引きしまった筋肉の付いたスラリとした体躯。身長は一八〇センチはゆうにありそう。甘い顔立ちをしているのに、万物の本質を見抜くような目をしていて、そこが魅力的だった。
彼を目にしたら、どんな女子も見とれてしまうだろう。
完璧な外見だけでなく、彼には圧倒的なオーラがあった。
さわやかで、はつらつとしていて、人当たりがよさそうだけど、彼を敬いたくなる。
それが、早乙女カイリだった。
「成瀬さんですね。今日は来てくださりありがとうございます」
彼はそう言ってニコッと笑い、私と六花を椅子に座るよう促した。
その笑みに、不覚にも射抜かれてしまいそうになった。
私は自分に言い聞かせる。
しっかりしろ、清花。奴は敵だ。外見にだまされるな。
私と六花は、低い丸テーブルをはさんで、早乙女カイリと向かい合わせに座った。
ソファに身体が深く沈み込む。布地の質も良さそう。さすが都内屈指の一流ホテル。
テーブルの端にあるメニューを横目で見たら、カクテルがあった。
ラウンジには、オシャレなワンピースを着た女の人とスーツを着た男の人しかいなくて、セーラー服の私とロリータドレスの六花は浮いていた。
どうやら、私たちはとんでもなく場違いなところに来てしまったみたい。
こんなところに場を設けるなんて、早乙女カイリはよっぽどお坊ちゃんらしい。
すると、注文をしていないのに、ウェイターさんが来て、金で縁取られた陶器のティーセットとケーキを私たちの机の上に置いていった。
ウェイターさんの対応をするときの早乙女カイリの所作は、何とも上品で、自分と同じ高校生だとは思えなかった。
育ちが違うと、ちょっとした振る舞いまでも違ってくるのか、と心の中でため息をもらしてしまう。
「ここの紅茶とスイーツはおいしいんですよ」
早乙女カイリが、私と六花に勧めてくれる。
私は、ふっと鼻で笑った。
「六花は食事ができないの。身体が壊れちゃうから。それとお茶はいいから。話を手短に済ませたい」
タメ口で言ってやった。どうせ、同じ高校生なんだからいいでしょ。
「清花ちゃん、ちょっと失礼だよ」
六花が私にこそっとささやく。
「あっ、ごめんなさい。会えることがうれしくて、うっかりしていた。何かほかの物を用意させるよ」
早乙女カイリは、近くにいるウェイターさんを呼び寄せて、二言三言耳打ちした。ウェイターさんは、かしこまりました、とおじぎをして立ち去った。
「清花ちゃん。せっかくだから食べて」
紅茶とケーキに手を付けていなかった私に、六花がそう言った。
六花が何も食べられないのに、隣で食事をするのは気が引けたけど、せっかく高級ホテルに来たから、いただくことにした。
私は紅茶を一口すする。今まで飲んだ紅茶の中で一番おいしかった。香りが豊かで、苦みがなく、フルーティーな味で飲みやすい。
ケーキも甘すぎず、上品で整った味がした。
「成瀬千明氏は来ないんだね。やっぱり人気作家は忙しいのか」
今日はお兄ちゃんも誘ったんだけど、お兄ちゃんは「ディッキー(人形の名前)がそばにいてほしいって言うから行けない」と断った。
気がのらない、と普通に言えばいいのに。
「改めて、今日は来てくれてありがとう。僕は早乙女カイリといいます」
早乙女カイリは自分のことを簡単に紹介してくれた。
話によると、彼は、日本の経済界を牛耳るあの大企業・早乙女コーポレーションの御曹司なんだとか。どうりで、どこかで聞いたことのある名前だと思った。
早乙女コーポレーションの御曹司といえば、都内のエリート校に通っていて、成績は優秀で、スポーツも芸術もできる。何をやらせてもすぐに習得し、師を追い抜いてしまう、天才の中の天才という人間だ。
まさか、手紙の送り主がこんなに有名な人だとは思わなかったから、私も六花もびっくり。
彼は外側も内側も完璧な人。
でも、そんな彼にも一つだけ首をかしげたくなるところがある。
それは、人形への異常な愛情だった。
「もう少し、僕の話に付き合って。僕は熱烈な人形愛好家で、家には世界中から集めたたくさんの人形のコレクションがあるんだ。アンティークから新作まで。星の数ほど。それくらい、僕は人形を愛している」
人形の話になったとたん、彼の目はそれこそ星のようにキラキラと輝き出した。
今までの落ち着いた雰囲気がなくなり、夢にあふれた少年みたいになる。
しかも、「愛している」という言葉にはひと際、力が込もっていた。
「僕は今まで、ジュモー・トリステが最も素晴らしい人形だと思っていた。面長の顔に、ぱっちりとした目、ふっくらした頬。ほかのどのジュモーの人形よりも、やわらかくてやさしい顔立ちをしているところがいい。特に家に飾ってあるジュモー・トリステは一番。ジュモー・トリステを知ってる?」
突然問いかけられ、私は、「は、はあ」と身を引いてうなずいた。
お兄ちゃんが人形作家だから、人形の知識なら私にも少しはある。
「けれども、君は」
そう言って、早乙女カイリは六花のほうに顔を向けた。
「ジュモー・トリステよりも素敵だ。いや、そんな言葉では言い尽くせない! 雪のように白い肌、薔薇色のふっくらした頬、ふんわりとした巻き毛、愛らしい紅い唇。どこからどこまで完璧」
それには私も賛成。
「とりわけ、瞳! こんな美しい、濡れたような澄んだ瞳はまたとない」
私はまたしても大きくうなずく。
わかってるなあ、早乙女カイリ。
隣の六花は、彼の顔を直視できず、どこに視線を向けていいのか困っている。
「人形、それはこの世界で最も完璧な存在。作家の技術とこだわりの結晶。身体の細部から細部まで計算し尽くされているから、完璧で美しい。できるなら、ずっと眺めていたい」
早乙女カイリは、さっきまでのまくし立てるような口調から、一言一言かみしめるような口調に変わった。
もしかしたら彼は、人形のこととなると、うちのお兄ちゃんに負けないくらい変人になるのかもしれない。
「僕は今まで、人形には魂がないことが重要だと思っていた。だからこそ、美しいんだと。
でも、君に出会ったことで変わった。
魂が宿っていても、君は変わらず美しい。魅力は損なわれない。君は素敵だ。どんな人形よりも。世界で一番。薔薇の花だって君には敵わない。
そんな君をどうしても僕の家に引き取りたいんだ。絶対に幸せにすることを約束する。不自由はさせない。君の願いなら、何でも叶える。どうか、僕のところに来ませんか?」
早乙女カイリは、六花の白い手をとった。真剣な眼差し。
熱烈なプロポーズを受けて、六花は頬を赤く染めている。
最悪の光景。
私はすぐさま二人の手を引き離した。
「六花に気安く触らないで」
私の大事な六花に、男子の汚い手で触ってほしくなかった。
簡単に女子の手を握るなんて、早乙女カイリは女慣れしている。
そんなチャラいやつを六花に近づかせたくない。
「あなたの申し出はお断りします」
私は話を続ける。
「大切な人を、知らない人に託せません」
「今日、僕たちは知り合ったじゃないか」
「だとしても、あなたは六花とほんの短い時間しか過ごしていないじゃん」
「大切なのは時間じゃない。どれだけ想っているかだ」
「それだって私のほうが上だよ。私のほうが六花のことを愛しているんだから」
「それはどうかな」
「は?」
私は顔をしかめる。
「君は愛してるっていうより、好き勝手に彼女を振り回しているだけだ」
「なっ……!」
今の言葉は聞き捨てならない。
私が六花を愛していないですって⁉ 私が六花を好き勝手に振り回しているですって⁉
そんなわけない。
私は六花を世界で一番想っている。
そういうあんたはどうなのよ?
あんたはちゃんと六花のことを想っているわけ?
私が鋭くにらみつけているのに対し、早乙女カイリは余裕そうに口をほころばせている。
「二人とも!」
険悪なムードに、六花が割って入った。
「清花ちゃん。落ち着いて。らしくないよ」
たしかに、カッとなって感情を表に出すなんて、私らしくない。
でも、今回は別。
私と六花とのことで、文句をつけられたんだもの。
それでも、六花にたしなめられたら、おとなしくしないわけにはいかない。
「それと、早乙女さん」
六花が早乙女カイリのほうを向く。
「せっかくの申し出ですけど、お断りさせていただきます」
早乙女カイリは、目を大きく見開く。
「どうして?」
「あなたがどれだけ私のことを想っているのかはわかりました。けれど、清花ちゃんが引きとめてくれているし、それにやっぱり、知り合ったばかりの人のところには行けません」
「そうか、わかった」
六花に言われて、手を引く気になったか。
そう思ったのも束の間、早乙女カイリは、六花の耳もとにぐいと顔を近づけた。
「必ず君を手に入れてみせるから」
隣にいる私にもバッチリ聞こえていた。
その低いささやき声で、そんなセリフを言われたら、誰もがグラッときてしまうに違いない。
私でさえ悔しいことに射抜かれそうになったし、六花も顔がポッと赤くなった。
早乙女カイリは、不敵な笑みをたたえていた。
そのとき、ウェイターさんが何かを抱えてやって来た。花束だった。中には赤いバラが、一、二、三、……十本。
早乙女カイリは、ウェイターさんから花束を受け取ると、六花に差し出した。
「今日、お茶ができなかった代わりに受け取ってほしい」
「そんな。それだけのことでいただくわけには……」
「じゃあ、プレゼントとして受け取ってくれない?」
押しに弱い六花はとまどいながらも、花束を受け取った。
「それから」
早乙女カイリは、私たちの前に一通の封筒を差し出した。
「今度、家で小さなパーティーを開くんだ。ぜひ君たちに来てほしい。これに来れば、君の気持ちも変わるはず」
早乙女カイリはそれを伝えると、じゃあ、また、と言って立ち去っていった。
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