第八章

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第八章

 建物の陰から早乙女カイリの家の様子をうかがう。  一週間通い続けて、正面から入れないことがわかったから、別のルートで家の中に入ることにした。つまり、忍び込むってこと。  これは、まごうことなく不法侵入。  でも、六花に会うためだもの。何だってする。  たぶん、屋敷の至るところに監視カメラが設置されている。  執事さんだっていっぱいいるはずだ。  普通の高校生が忍び込めば、すぐに見つかって、追い出されてしまうだろう。  けど、そんなのどうでもいい。私は絶対に六花のもとへ行く。  そう決心した。  私は誰も人がいないことを確認すると、屋敷の背後にある塀へ向かった。  塀は、私の膝くらいのところまでは白い壁になっていて、その上からがフェンスになっている。全体は私の身長よりもゆうに高い。  私は運動部には入っていないけど、運動神経はいいほう。  私ならこの塀を乗り越えられる。  まず、白い壁の上に登る。  次が問題。  黒いフェンスは私の身長より少し高いくらい。  フェンスの凝ったデザインを利用して、足を掛けたり手でつかんだりしながら、なんとか登る。  頂上では、とがっているところに身体をぶつけないように、体重のかけ方や身体の位置に気をつけながら器用にまたぐ。  屋敷側にまわったら、足を踏み外さないように慎重に下りた。  白い壁に足が着いたときには、ほっと安心した。  私は芝生の上に降り立つ。  これで敷地の中に入るという関門は突破した。  でも、まだ乗り越えなければならないことをたくさんある。  気を引き締め直して、私は屋敷へ向かった。  裏口から入り、家の中をうろうろする。  家の中には、マンガみたいにメイドさんがたくさんいるのかと思っていたけれど、そんなことはなかった。ちらほらしか見かけない。  最近はいろいろな技術が発達して、家の中の仕事が楽になったからかも。  私は意外と自由に家の中を動き回ることができた。  一番の問題。それは、どうやって六花のいるところまで行くかだった。  パーティーで一度早乙女カイリの家に来たことがあるものの、ずっとホールにいたため、家全体の構造がどうなっているのかわからない。  お兄ちゃんの部屋でそのことについて悩んでいたとき、お兄ちゃんがこんなことを言ってくれた。 「清花が早乙女君の家に忍び込む日に、僕が先に彼の家を訪ねよう。久しぶりに六花に会いたいってね。人形作家の僕なら家の中に入れてくれるだろう。そのときに、僕はヘンゼルとグレーテルみたいに、道しるべとなる物を家の中に残していく。それをたどっていけば、六花のもとへ行けるよ」  さすが、お兄ちゃん!  早乙女カイリは、私が六花の一番の仲良しだから、家に入れたくないんだと思う。  私ではなくお兄ちゃんなら、しかも天才人形作家のお兄ちゃんなら、家の中に入れてくれるはず。  お兄ちゃんのアイデアに私は大賛成。  けれど、道しるべに何を使うんだろう?  わかりやすい物だと、早乙女カイリに怪しまれるし、早乙女カイリが気づかなかったとしても、ごみだと思ってメイドさんたちにそうじされてしまう。  かといって、目立たないものだと、見つけられないし。  道しるべに何を使うの? と私が尋ねると、お兄ちゃんは顔をほころばせた。 「それは秘密。そのほうが宝探しみたいでおもしろくないかい? 清花になら絶対にわかるよ」  不敵な笑みだった。  やっぱり、天才ってよくわからない。  というわけで、私は屋敷の中をあちこち歩きながら、お兄ちゃんの残した道しるべを探していた。  メイドさんたちに見つからないように、足音をほとんど立てずに動く。  メイドさんが現れたら、物陰に隠れる。  廊下を歩いていて、私は家の内装に感心した。  ブラウンブラックの光沢のある床。  天井には、ほの明るい光がぽつぽつと灯っている。  暗い色合いの壁には、油絵が掛かっていた。  全体的にずっしりとした印象。  そして、壁際には博物館みたいにショーケースが置いてあった。  アンティークのランプ、装飾の見事な陶磁器、伝統工芸の壷、ヘレニズムの彫刻、大きな宝石の嵌め込まれたブレスレット、中世ヨーロッパに作られた羊皮紙の本。  どれも立派で、道しるべを探すことを忘れて、見入ってしまいそうになった。  今のところ、私は道しるべを見つけられていない。  お兄ちゃんは、清花になら絶対にわかる、と言っていたけど、何なんだろう?  本当に見つけられるのかな?  もしかしたら早乙女カイリやメイドさんに気づかれてしまったんじゃ?  気づかなかったとしても、そうじされて道しるべはなくなってしまったんじゃないか?  ヘンゼルとグレーテルのパンくずみたいに。  不安になってきた。  そのとき、ふと床に何か細長いものが落ちているのに気づいた。  髪の毛だった。  こんな大きな家なんだもの、そりゃあ、見落とすごみだってあるよね。  けれど、格式のあるこの家にピーチピンクの髪の人がいるんだ。  ……ピーチピンク?  私は髪の毛をつまみ上げた。  この手触り。これは人間の髪ではなく、人形用の人工の髪だ!  それに、この色。  このピーチピンクは、お兄ちゃんがこだわりにこだわりまくった色だ。  お兄ちゃんが今作っている人形に使われている。  たしかに、私にはわかる。  お兄ちゃんの言うとおりだ。  私は床に目をこらす。  よく見れば、三メートルくらいの間隔で髪の毛が落ちていた。  髪の毛はとても細いし、床のブラウンブラックと同じ暖色だから、誰も気づかなかったのかも。  私は髪の毛をたどっていく。  夢中になってたどっていると、ほかのドアよりもひと際大きなドアに行き着いた。  髪の毛がドアと床の間にはさまっているから、ここに違いない。  バタンッ  勢いよくドアを開ける。 「六花!」  部屋の中にいた早乙女カイリ、お兄ちゃん、梧桐がいっせいにこちらを向く。  六花と早乙女カイリのソファ、お兄ちゃんのソファがテーブルをはさんでいて、四人でお茶をしていた。 「清花ちゃん⁉」  六花は、信じられない! というように目を大きく見開いていた。 「なんであんたがここにいるんだ?」  梧桐がソファのそばから離れてこちらへ来た。 「なんでって、六花に会うために決まってるじゃない」  私は堂々と言ってのける。  驚いている三人をよそに、お兄ちゃんは口もとだけで笑っていた。  よくやった! という声が聞こえてきそう。 「使用人たちにはあんたを門の中に入れるなって言ってある。どうやって中に入ったんだ?」 「やっぱりそうだったんだね。おかしいと思ったよ。一週間通って、私は中に入れさせてもらえないってわかったから、奥の手を使ったの」  梧桐は、今にも殺さんばかりの目つきをしている。  怖っ。でも、そんなのに負けてられない。  私も同じくらい鋭くにらみつけてやった。  すると、ため息が聞こえた。早乙女カイリだった。 「そういうことをされると困るよ。君が何も悪いことはしないとわかっていても、勝手に家に入られたら心配だ」 「こうでもしないと、敷地の中に入れてくれないでしょ」  私は六花のほうを向く。 「六花、一緒に帰ろう」  私に話しかけられたとたん、六花は表情を硬くした。 「嫌」  私は今の言葉は聞き間違えだと思って、もう一度言う。 「六花、一緒に帰ろう」 「帰らない」  その言葉ははっきりと聞こえた。聞き間違えではない。  六花は私をまっすぐ見て言った。  本気で言っているみたい。 「どうして、そんなこと言うの? 何か、理由があるんだよね?」  声がかすれる。 「うん、理由はあるよ。もう清花ちゃんと一緒にいたくないんだよねー」  本当に思っていることのように、六花の口からはすらすらと言葉が出てきた。  そこには、私の知らない女の子がいた。  こんなのおかしい、と思い、私は早乙女カイリをキッとにらみつけた。 「あんた、六花に何を吹き込んだの? あんたが六花に変なこと言ったんでしょ。あっ。まさかあんた、六花を脅してるんじゃないでしょうね?」  早乙女カイリは首を横に振った。 「僕は何もしてない。人聞きの悪いこと言わないでよ。君には残念だけど、彼女は本心で言ってるんだ」  それでも私は、早乙女カイリの話を、六花の言葉を信じられなかった。  私は六花に向かって言う。 「ねえ、ほんとにそう思ってるの?」 「ほんとだよー? 私、前から清花ちゃんのことが嫌いだったんだ」  その言葉に、体温が氷点下まで下がる。 「清花ちゃんといると、疲れるんだよねー。自分の意見を押しつけてくるし、自分の思いどおりにしようとするし。もう、わがままに付き合いたくないの」  六花は話を続ける。 「それに、清花ちゃんは私を家に閉じ込めて、自由にしてくれない。それがすっごく嫌だったんだー」  ああ、聞きたくない。  六花は隣に座る早乙女カイリに顔を向けた。 「それに比べて、カイリさんはやさしいし、私の願いをなんでも叶えてくれるし、いつでも好きなときに外出させてくれる。この世の誰よりも私のことを大切にしてくれるの」  言い方に棘があった。  目の前にいるのは、本当に六花? 「だからもう、清花ちゃんのもとへは帰らない。ぜっっったいに嫌!」  六花は意地悪く笑った。  言葉が刃となって心のやわらかい部分に突き刺さる。  信じられなくて、信じたくなくて、私はなおも抵抗した。 「嘘だ。冗談で言ってるんでしょ」 「嘘でも冗談でもないよ。私、昔からずっとそう思ってたんだから」  昔? 昔っていつのこと?  中学生のとき? 小学生のとき? それとも、それよりもっと前? 「嫌いだし、顔も見たくない。早く帰って」  六花は、しっしっと犬を追い払うように手を振った。  私の六花はとってもいい子。  やさしくて、やわらかい笑顔をしていて、かわいくて。  一緒にいると、あたたかい気持ちになる。  でも、今目の前にいる六花は、性格が曲がっていて、笑い方が意地悪で、生来のかわいさを台無しにしている。  私に敵意しか持っていない。  どっちが本当の六花……?  わからなくなる。  でも、目の前にいる六花が本当なんだ。  だって、今そこにいるんだもの。 〝私の六花〟は、私が都合よく作り出した夢なのかもしれない。  絶望。どうしたらいいのかなんてわからない。  私はただ、こう繰り返すしかなかった。 「……六花、帰ってきて」 「しつこいなー。帰ってって言ってるでしょ」  かぼそい声しか出ない。 「帰ってきてよ」 「もう、帰ってって言ってるでしょ!」  六花が叫んだ。  そんな私たちを見かねて、それまで静かに見守っていた早乙女カイリがソファから立ち上がった。 「申し訳ないけど、今日のところはもう帰って。彼女が嫌がってるから。また改めて場を設けるよ」  うるさい。  うるさい、うるさい、うるさい! 「あんたは黙っててよ!」  思わず怒鳴った。  あんたのせいなんだからね。あんたのせいで、六花はこんなことになっちゃったんだ。  あんたになんかついていったから。  私はそのままの勢いで六花に訴えかける。 「ねえ、帰ろうよ!」 「嫌。早く帰って!」 「ねえ、帰ろうよ!」  すると、六花は私の目の少し下、口もとあたりをにらみつけてきた。 「嫌って言ってるでしょ! 清花ちゃんなんて大っ嫌い! そういう自分の気持ちを通そうとするの、ほんっと嫌なんだよね」  六花は、今まで溜めていた思いを吐き出していく。 「この一年間、ずっとつらかったんだから! もう清花ちゃんと一緒にいたくない。大嫌い。我が強いところが嫌いだし、すました顔しちゃってるところも嫌い。それに、ほんとは私のことなんて何とも思ってないでしょ⁉ 私だって清花ちゃんのことなんてどうでもいい。大っ嫌い!」  そのとき、私はやっと気づいた。  どうして気づかなかったんだろう?  その力強い目の奥の奥のほうを見ればわかる。  どんな思いを秘めているのかが。  私は深く息を吐く。そして大きく息を吸うと、ありったけの気持ちを込めてこう言った。 「わかったよ! そんなに言うなら、私、帰る!」  六花。私、六花の思いに応えるよ。  私は心の中でつぶやく。  六花は、今でも変わらず私のことを大切に思っている。  六花が私のことをなんでもわかるように、私だって六花のことならなんでもわかるんだから。  さっきの六花の話は、六花の本心だ。  ただ、本心をそのまま言ったのではなく、裏返したんだ。 「一年間、ありがとう。清花ちゃんと一緒に過ごせてよかった。私、清花ちゃんが好き。強いところ、凛としてるところ、私のことを大切に思ってくれるところ。私も同じくらい清花ちゃんを大切に思ってるよ。大好き」  これは六花の別れの言葉、六花の心だ。  どうりで話がいびつだと思ったんだ。  その目に浮ぶ涙は、私のことが嫌いだからじゃない。  悲しいからだ。苦しいからだ。  六花も私と同じように、私と離れるのがつらいんだ。  それでも、六花が私から離れていこうとするのは……。  ——清花ちゃん。私たち、もうちょっと距離を取ったほうがいいよ。  あの言葉だ。  六花は私を自分から離そうとしているんだ。  だから、わざとひどいことや突き放すようなことを言うんだ。  私を自由にすために。  そのために、六花はここまでした。  けど、私の思っていることは六花の思いとまったく逆。  正直、六花から離れたくない。  でも。  六花はここまでしたんだ。  目に涙をいっぱいためて、泣きそうになりながら、私を突き放したんだ。 こんなに強く訴えているんだ。  清花ちゃんは私から離れなきゃいけないんだって。  私は六花が好きだ。  世界で一番。  六花への思いなら、誰にだって、早乙女カイリにだって負けない。  私は六花のことを大切に思っている。  そんな私なら。  六花の思いを尊重すべきなんじゃないかな。  六花の思いを受けとめなければいけないんじゃないかな。  六花のことを大切に思っている私だからこそ。  六花、わかったよ。私、ちゃんと六花の思いを受け取った。  これからは六花に寄りかからないで、自分の力で生きていくよ。  六花と私だけの塔にとどまらず、外の世界へ飛び出す。  でも、でもね。たまには、私と会ってよ。  それくらい、いいじゃない。でないと、さびしい。  私はさらに言葉の機関銃を放つ。 「六花は私のことがほんっとに嫌いなんだね! 私だって六花のことが大っ嫌い! 思ってることをはっきり言わないし、いつも私にひっついてくる。私がいないと、何もできないくせに! お互い、嫌いだってわかってよかった。もう六花なんか」  最後に、特大の爆弾をぶち込む。 「知らない‼」  ハア、ハア。息が荒い。  仲違いをしても、私たちはたしかに強い絆でつながっている。  そんな私たちを、凍てついた目線が捉えていた。  誰かと思って顔を向けると、早乙女カイリだった。  普段のさわやかな彼からは想像できない。  私が顔を向けたとたん、彼の顔はすぐさま、驚いて声も出ないという表情に変わった。
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