夏越の伽話

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「夏至祭りの日は、休講になるんですって。月末の大祓の日も、もちろん休講で、夜の外出許可まで出るそうよ。楽しみね」  細くまっすぐに伸びたリュウノヒゲを摘みながら、サラはマリスとミズホに言った。  草原に出て、女学生達が草を摘んでいる。夏至祭りに奉納する根付けを編むためだ。厄除けに腰に下げる草の根付けで、掌に収まるくらいの長さに編みあげる。 「ここの神楽舞は迫力があって素晴らしいんですって。楽しみね」 「・・・サラ、もう摘むのは十分よ。編むのを手伝ってちょうだい」  ミズホにたしなめられ、サラは少しむくれて、言い返す。 「だって、うまく編めないんだもの。私が編むとひん曲がっちゃうのよ。マリちゃんが綺麗に編んでくれた方が、神様だって喜ぶと思うわ」 「そういうことではないでしょ。一人一人が心を込めて編んで奉納することで、神様に届くのよ。」 「サラちゃん、もう一度、最初から一緒に編みましょう」  マリスにうながされ、サラは隣に座り、長さをそろえたリュウノヒゲを束ねて持つ。リュウノヒゲの葉は真っ直ぐで厚みがある。折り重ねることを繰り返し、まっすぐな根付けに編む。単純な編み方だからこそ、均等に折り重ねないと不格好になってしまう。サラが編みだした根付けは、すでによれている。 「葉には、向きたい方向があるから、それを活かして、力を入れなくても向く方向に編んでいくといいわ。光沢のある方が表だから、表が外側を向くようにして、編んでいくのよ」「教えてもらっていることの意味は、頭ではわかるんだけどね」  サラの手が止まった。うまく編めないので、編む気が失せてしまったようだ。それを見咎めて、ミズホが言う。 「サラ、せめて1本は編み上げて。日頃の感謝の気持ちを込めるのよ」  サラはふくれつつも、また手を動かしはじめた。マリスは、サラの様子に微笑む。マリスの手の中では、根付けが編み上がっている。真っ直ぐにつややかに光を照り返す。草原に生えていた草が、人の手が加わえられて根付けになる。その不思議さ、そして確かさに、マリスは思いを巡らせながら、根付けを籠に入れ、新しいリュウノヒゲを手に取る。風が出てきた。いつの間にかサラもミズホも無言で手を動かしている。  マリスは、北東草原の生まれで、小さな頃から編み物をしていた。亜麻と羊毛の産地であり、編むことが暮らしの一部だった。この学園は、全国各地から生徒が集まっている。サラは、南方の輸入商の出身で、ミズホは西の都の呉服屋の娘で、二人はこの学園に入学する前からの友人同士だ。入学して、ぽつんと一人でいるマリスに、サラが声をかけてくれた。マリスが編んだ組紐を見て「かわいい。あなたが編んだの?」と、満面の笑みを向けてくれた。それから、3人で一緒にいる。誰も知る人のいない土地にやってきて、友達ができて、マリスは幸せに暮らしていた。  夏至の日の朝、空は晴れ渡っている。  日が昇ると共に起き出して、マリスは編み物をしていた。この学園に入学する際に、両親とした約束は、学園で過ごす3年間の内に正装の衣を一枚編み上げること。卒業して故郷に帰ったら、その衣を着て成人の儀に出席すること。北東草原の領主の娘として生まれたからには、それにふさわしい衣を自分の手で編み上げて、帰ってきなさい、と母に言われた。『領主の娘』、その言葉を聞くと、マリスは暗い気持ちになる。目立つこと、人の上に立つこと、ほめそやされること、どれも苦手だった。着飾ることもできればしたくない。けれど、編むことは好きだ。手を動かしていれば無心になれたし、編み上げた物を身につければいい心持ちになる。糸を編んで衣にすれば、何かが変わるのだ。手触り、質感、重さ、形。編んでみないとどんな風になるのかわからない、その感じ。マリスは、編むことにまつわることが好きだった。  この衣は、平編みのワンピースにしようと思っている。糸の太さを変えることと減らし目増やし目で身体に沿わせる形に編み上げようと下から上に向かって編んでいる。まずは麻の糸で裾飾りを編み、そこから拾い目をして藍染めをほどこした羊の毛糸で編んでいる。単調な編みだからこそ目の大きさをそろえ、均質に編み上がるように心がける。スカートは円錐状に広がるように、少しずつ減らし目をしながら編んでいく。  部屋の扉を叩く音がした。「マリちゃん、おはよう」とサラの声がする。マリスは返事をして、扉を開ける。 「おはよう。早いのね」 「あのね、これ、やって欲しくて」  サラがくるりと身体をかえし、後頭部をマリスに見せた。紐でくくりきれずに乱れた髪に赤い珊瑚のかんざしが、絡まっている。 「自分でやろうとがんばったんだけど、頭の後ろは見えないでしょ。どんなになっているかもわからなくて。マリちゃんにやってもらいましょうと思って」  マリスは思わず笑って、どうぞと大きく扉をひいた。 「あら、作業中だった?」  編み針を付けたまま床に広がっている編みかけの衣にサラが目を留めた。 「明るくなるのが早いから、目が覚めちゃうの。早起きしてもすることがないから、編んでただけ。どうぞ、座って」  机に備え付けの椅子をひく。椅子に座ったサラの背後にマリスは立った。 「お祭りだから、珊瑚のかんざしをしたいと思って、自分でやろうと思ってがんばったんだけど、難しくって。髪くらい自分で結えるようにならなきゃって、入学する前に練習してきたのよ。でま、かんざしは難しいわ。どこにささっているか、てんでわからないんだもの」  話を聞きながら、マリスはサラの髪からかんざしを抜き取って机に置き、サラの髪に櫛をいれる。 「どんな風にいたしましょう?」 「あのね、ここら辺に赤いのが見えるようにしてほしいの」  サラは持参した手鏡を顔にかざし、右手で耳の横につけてひらひらさせた。 「お団子にする?」 「うーん、あまりカッチリとはしたくないわ。ふんわりまとめたいかな」  横顔にかかる分だけの髪を生え際から細く輪郭に沿って編み込んでいく。サラの髪は胸までの長さがあるので、首の両側で一旦束ね、全部の髪を首の後ろでひとまとまりにして、くるりと返して結い上げる。髪の先はまとめずに、頭のてっぺんに持っていき、紐で軽く結わえてから、仕上げにかんざしを挿す。髪の先を自由にしたので、まとめているけれど動きのある髪型に仕上がった。サラの小麦色の肌に、珊瑚の赤がよく映える。 「素敵、とてもいいわ。ありがとう」  鏡越しに目を合わせて、サラがマリスに微笑んだ。 「出掛けるには早いかしら」 「ちょっと早いけれど、ゆっくり神社まで歩いていったらいいじゃない。なんだか外も賑やかよ」 「そうね、そうしましょう」  マリスとサラは連れだって、部屋を出た。ミズホを誘って、神社に向かうことにした。  境内には、すでに人だかりがあった。 「何だろうね」  サラが人混みに駆け寄り、つま先立ちでのぞきこむ。  人だかりは神楽殿をぐるりと取り囲んでいる。神楽殿は、戸をはずされ、向こう側まで見はるかせるようになっており、舞台の上には、誰もいないのが見てとれた。サラの前に立っていた女性が振り返り、もうすぐ神楽があることを教えてくれる。神輿の出発前に、ここで神楽が奉納されるのだと。子供は前で見たらいいとうながされるままに、サラは人混みをかき分けて、最前列に陣取る。マリスとミズホも、サラの後に続き、3人並んで舞台を見上げた。  ほどなくして、笛の音が流れ出す。きらびやかな衣をまとった少年が現れ、続いて狼の顔をしてボロをまとった者が現れた。しばし対峙し、にらみ合った後、狼が飛び上がり、四つん這いで着地し、少年に飛びかかった。腕で払われて、狼は空中でひるがえる。荒い息づかい、張り詰めた空気、獣の気配にマリスは息をのんだ。狼は飛びかかっては、払われる。マリスの目の前に、狼が落ちてきた。狼の目とマリスの目が合った。瞬きもせず、マリスは狼の瞳に見入った。つかの間であるが、永遠のようにも感じた。  すっと視線がはずれ、狼が宙に舞い、少年に飛びかかる。そして払われ、手負いとなった狼は去った。舞台の真ん中に少年が進み出し、楽の音にのり、優雅に舞いだす。ゆったりとした舞は、獣を払い実りを祈るものだ。腕をひろげ天を仰いだところで、楽の音が止まり、舞は終わった。拍手がわき起こる。 「すごかったわね」  サラの言葉に頷きながら、マリスは手を叩く。 「狼の動きが、まさに獣だったわね」  ミズホの賛辞に、マリスは狼が去った神楽殿の向こう側を見る。敏捷な狼の姿を思い浮かべる。呆けたような気持ちになっていて、自分が魅入られていたことを感じとる。  サラが露店に行こうと誘うのを、マリスは上の空で頷いた。3人は、連れだって歩き出した。 「夜は外出禁止なんてつまらないわね。夏至で1年で一番日が長いっていうのに、今日も門限は6時迄だなんて」  寮までの帰りの道は、祭り帰りの生徒であふれている。皆、手に手に露店で買ったらしい菓子やら玩具やらを携えている。 「夏至祭りは、日が出ている内に主な行事は終わるそうよ。月末の大祓のお祭りは、夜店もたつから、夜間の外出許可が出るそうよ。今日だって、十分楽しんだわよ。こんな素敵な梅も買えたし」  ミズホは鉢植えの梅の木を抱えなおした。最初に行った露店で目星をつけておいて、帰りがけに購入した梅の木だ。 「こんなに小さくて、お花なんて咲くのかしらね」 「今年は5輪くらい咲いたって言っていたから、次の春にも咲くでしょうよ」 「白梅でしょ?楽しみね」 「そうね。マリちゃんのランプも、出物でいい物が買えたわよね。よかったわね」 「そうね、ありがとう」  マリスは右手にさげていたランプを少し持ち上げる。  これで夜の編み物もはかどるに違いなかった。マリスの部屋に明かりはないので、昨夜まで、夜は目数をたよりに編んでいた。それでも編めるけれど、朝起きてみると違【たが】えていたり、思っていた編み上がりではなかったりして、ほどいてやり直すことも度々あった。  思いがけずランプを露店でランプを売っていて、本当にいい買い物をした。 「私も何か形に残る物を買えば良かったかな」  サラが右手に持っている林檎飴を振った。 「焼き饅頭にちまき、焼き鳥、林檎飴。甘酒も飲んでたっけ?」 「そうね、どれも美味しかったわ。神楽も凄かったし、楽しいお祭りだったわ」  サラは楽しげに言って、少し跳ねた。マリスの脳裏に、神楽で見た狼の跳ねる姿が浮かんだ。  ランプを灯さなくても、まだ明るいわ。  マリスは独りごちて、窓を開けた。部屋の空気がすっと動いて、外気が入ってくる。風に乗って微かに祭り囃子が聞こえる。油もマッチも勿体ないからとランプを灯すのはやめにして、マリスは編みかけの衣を手に取った。麻で編んだ裾飾りを掌にのせて眺める。裾飾りを麻で編んだのは、重量感のある落ち着いた衣にしたかったからだ。軽く透いたように編むと裾がバサバサとまくれ上がり据わりの悪い衣になってしまう気がしていた。  マリスはまた、神楽で見た狼のことを思っていた。衣を風にはためかめ、敏捷に跳ね回る狼のことを。まとっていた衣はボロだったけれど、しなやかに動いて美しかった。  糸を少しずつ細くしていこうかと思う。狼を思っていると、この衣にも軽やかさを出したくなってきた。羊毛と亜麻を混ぜて編んでみようかと思う。亜麻が入れば涼やかさが出てくるはずだ。マリスは故国から持参した籐籠から、藍染めをほどこした亜麻糸を取りだし、毛糸とあわせてよりをかけながら、編み棒を動かした。 「ひゃあ」  頓狂な声をあげて、マリスは尻餅をついた。授業を終え、三人で寮に向かい渡り廊下を歩いているときだった。 「どうしたの」 「大丈夫」  ミズホとサラが両脇からマリスをのぞきこむ。  前方、上から、何かに押されたのだ。目には見えないけれど、何かが降ってきた。降ってきた人に押されて、尻餅をついたような感覚を覚えていた。 「滑ったの?濡れてたりした?」  ミズホはいぶかしげにマリスの足元をのぞきこむ。サラがマリスの腕を引っ張り上げて、マリスは立ち上がった。 「ふらついてしまって。昨日、なんだか寝付けなくって」 「お祭りが楽しくて興奮しちゃった?」 「寝付けないから、つい遅くまで編み物をしてしまって」 「あんまり根を詰めすぎると身体に毒よ。ランプもあるから、遅くまで編み物も出来るようになったんでしょうけど、気をつけないとね」 「本当ね、気をつけるわ」 マリスは薄く笑い、その場を取り繕った。サラもミズホも人が落ちてきたようには感じなかったようだ。マリスは、人が降ってきたように感じたことを二人には言わなかった。降ってきた人が、自分の身体の中に入ってきたように思えることも、言えなかった。 「ちょっと寝不足みたいだから、これから部屋に戻ってお昼寝するわ」 「お茶会しないの?」 「今日は、ご遠慮するわ。ごめんなさいね。どうぞ、お二人で」  サラが不満気な声をあげ、ミズホが「仕方ないわ。疲れていてはお茶も楽しめないものよ」と取りなした。マリスは二人のやりとりを聞きながら、居心地が悪い。自分の身体が操られているかのように、勝手に動き出す。歩き出すつもりもないのに、足が踏み出される。普段より大股で、自分の身体が勝手に歩いて運ばれていく。不審の思われるのではないかと気が気ではない。サラとミズホは普段よりも足早に歩くマリスについてくる。足どりは勝手にどんどん速くなる。部屋の前に辿り着いた時には、マリスの額から汗が流れた。動悸もしている。サラとミズホはその様子を具合が悪いせいだと受けとめたようだった。「お大事にね。夕食の時には、誘いに来るわね」 「ごめんなさいね。楽しいお茶会を」  後ろ手に扉を閉めて、部屋で一人きりになる。間髪を入れずに、身体が横に飛ばされ、ベッドの上に仰向けに寝そべっていた。右腕が勝手に持ち上がり、掌がマリスの顔を見下ろす。見透かされ、魅入られていく感覚に、マリスは声をあげそうになる。口が丸く開き、喉の奥から、掠れたような音がした。右腕が降りてきて、右手が口をふさいだ。自分の手ではないように、指に力がこめられている。苦しさにぶわりと汗が出た。恐怖に目をつむると、すっと指先から他者の力が抜けた。 (怖がらないで)  頭の中で声がした。  マリスは目を開ける。ゆっくりと身体を起こす。右の掌を見る。変わった様子はない。けれど確かに自分ではない者が、マリスの身体を動かした。  指を動かしてみる。手を広げて握る。今は、そこに自分以外の誰の力も感じない。いつもと同じだ。  なんだったのだろう。  わかりかねて、ぼんやりと座っている。脳裏に、神楽舞の狼の姿が浮かんだ。マリスと見つめ合ったあの狼の瞳を思い出す。粗野で粗暴な振る舞いは、自分の力を持て余している故で、傷つけたり怖がらせたりするつもりはないのだろうと思い当たる。右手の指が、勝手に動いた。自分の中に、あの者がいることをマリスは確信する。 「ここにいてもいいけど、編み物や勉強の邪魔はしないでね。人前で、勝手に私の身体を動かさないでね」  右手の指が、ぱっと開いて、少し持ち上がる。喜んでいるようだ。なぜだかマリスは、自分の中に入ってきた者を追い出す気にはならなかった。もう恐怖も感じていない。機嫌良くしてくれていれば、自分も嬉しい。そんな気持ちになっていた。 「約束よ」  マリスは立ち上がり、編みかけの衣を手にとった。編んでみると、普段通りに手が動く。安心して、マリスは手を止めた。蔓で作った編み針は輪になっている。編み針の輪の中に足を入れ、編みかけのスカートを制服のスカートの上に重ねる。くるりとまわってスカートを広げ、そのまま床に座り込む。床に丸くスカートを広げ、その真ん中でマリスは編み棒を動かす。亜麻と毛糸をより合わせた青い糸で、編みすすめていく。編み目を数えながら、手を動かす。そうしていると頭の中が空っぽになり、無心になる。糸の手触りを感じながら、編むことに没頭していく。この時間が、マリスは好きだ。誰かが自分の中に入ってきても、変わらずに編み物に没頭できることに、マリスは安心した。 「お披露目をしていただかなくてはいけないわ」  ミズホのきっぱりとした口調に、マリスはたじろいた。 「お披露目と言われたって、まだほんの少ししか編めていないのよ」 「こんなに毎日、寝る間も惜しんで編んでいるのに、少ししか編めてないなんてことはないでしょうよ」 「ミイちゃんは、心配しているのよ。マリちゃん、睡眠不足のようだし、ずっとお部屋に籠もって編み物しているし。卒業まで、あと2年以上もあるのよ。今からそんなに根を詰めなくてもいいのじゃないかしら、って私も思うわ」 「見せるのはかまわないのだけれど・・・まぁ、どうぞ」  マリスは部屋に二人を通した。床には編みかけの衣が丸く広げてあり、編み棒の輪の内側に座布団が置かれている。部屋にいるときは、床に座り込んで編み物をしているので、広げたままにしているのだ。 「あら素敵。あててみてもいいかしら」 「えぇどうぞ」  サラは座布団を取り上げて衣の外に出し、編み棒の輪の中に立った。編み棒を床と水平に腰の高さまで持ち上げる。衣の裾は、膝まで届いた。麻の裾飾りがしゃらりと膝下に下がる。スカートの裾から羊毛で編み、それから徐々に亜麻糸を入れ、上に行くほど亜麻の割合を多くなるようにして編み上げている。同じように藍染めをした糸でも、亜麻と羊毛では染まりが違う。それぞれの風合いが混じり合い、衣に風格を与えている。羊毛は深い落ち着いた青色で、亜麻は光沢のある青色である。編みあげた衣の持つ青の美しさにマリスは見ほれている。 「これは、美しいわね」 「シャランとしてて、すごくいいわ」  褒められて、マリスは、はっと我に返る。自分で編んでいる衣に、うっとりと心うばわれていた。 「つい夢中で編んでしまうの。この糸で編んだら、どんな衣になるだろうって」  ミズホがサラの傍らに立ち、衣に触れる。 「平編みね。模様がなくても、こんなに動きがでるのね。織りとは風合いがまったく違うわ」 「糸が良いのもあるの。裾から細めの毛糸を使って編んでいて、上にいくにつれて徐々に亜麻糸を混ぜ込んで編んでいっているのよ。毛糸を徐々に細いものに変えていって、その分亜麻を多めに混ぜていってるの」 「ねぇマリちゃん。ちょっと編んでみせて」  うながされてマリスはサラと入れ替わり、立ったまま編んでみせる。 「魔法みたいね」 「同じ事の繰り返しよ」 「編み目がそろってて、綺麗だわ」  3人は黙りこんだ。マリスが編み棒を動かす音が、部屋に小さく響く。編み物をする時は、どうしてだか息を潜めてしまう。無言になる。  ぐるりと一段編んだところで手を止めるとサラがたずねた。 「ねぇどんな衣になるの?」 「少しずつ糸を細くしていって、減らし目もしながら緩やかに腰周りまですぼめていきたいの。腰から上は細い糸にして、増やし目をしながら肩まで編んで、ワンピースに仕上げるつもり。袖はつけるつもりだけど、上衣はまだあまり具体的なイメージがわいてなくて」「袖無しでも良いのではない?上はぴったり身体にそわせたら素敵よ」 「あまり肌の露出を多くしたくないの。それに、身体の線が出るのも嫌だし」 「しっかりどんな衣にするか考えてから編んだ方がいいわ。ワンピースにこだわらずに、マリちゃんが着たい衣を編むといいと思うわ」 「そうね。、でも、糸って編んでみないとどんな衣になるかわからないところがあって。ついね、夢中になって編んでしまうのよ。編みすすめれば、どんな衣がにこの糸がなりたいのか見えてくる気がして」 「わかる気もするけれど寝ずに編んだりしたら身体を壊してあたりまえよ。寝食を削るのは良くないわ。マリちゃん、このところ何かに取り憑かれているようなんだもの」  ミズホがそう言った時、マリスの指先に痛みが走った。右手を思わず持ち上げる。マリスの中にいる者が疼いた気がした。 「どうかした?」  マリスの視界がかげりだし、急に汗が噴き出してきた。力が抜け。身体がぐらりと傾いて、そのまま座り込んだ。視界がますます暗くなり、色が無くなった。慌てふためく二人の声がどんどん遠のいていく。 「立ちくらみ。横になれば治るから」  小さな声で言って、マリスは意識を失った。  気がつくとベッドの上に寝ていた。上半身を起こす。日が暮れていて、暗い部屋。ミズホの姿もサラの姿もない。けれど、部屋の隅に人影がある。膝を立てて座って、顔を埋めているのが、目には見えないけれどマリスにはわかった。  私の中に入っていた人だ。神楽で狼を舞っていた人。  マリスが気がついた事がわかっているのに、人影は動こうとしない。  おびえているんだ。私に嫌われたのではないかとおびえている。私がいなくなってしまうのではないかとおそれてふるえている。この人は私に嫌われたくないのだ。  マリスは立ち上がると人影に歩み寄った。 「怖がらないで。嫌いになったりしないわ」  人影が顔をあげ、マリスの顔を見つめた。姿は見えないけれど、マリスにはわかった。人影は腕を広げ、マリスに飛びついた。マリスは押されて、背中から倒れ込み、うっと小さく声を上げた。驚いた人影はマリスから離れる。  起き上がりながら、マリスは伝える。 「大丈夫、私と一緒にいてください」  今度は、ゆっくりと腕をのばし、そのまま人影はマリスの中に入った。目を閉じて開けると、変わらずに暗い部屋の中にいる。目を開けたマリスの顔はほころんでいた。  朝日が眩しくて、目が覚めた。ベッドに横たわったまま微睡んでいると、右手がぺたりと頬に触れてきた。 「おはよう」 (おはよう)  マリスは自分の中に、あの人がいることがわかって嬉しかった。  あの人が存在している。去ってしまわずに、ここにいる。右手に触れられた頬が熱くなった。不意に空腹なことに気がついた。昨日の昼から何も食べていなかった。マリスは元気に起き上がった。  食堂に入ると、いつもの席で、サラとミズホが手を振っていた。 「マリちゃん、おはよう。もう大丈夫?」 「おはよう。心配かけてごめんね。寝不足と暑気あたりみたいな感じで。たっぷり寝たからもう大丈夫よ」 「北の国の人には、こたえる暑さよね。眠れないのも、暑さのせいがあるのかもね」 「平気なつもりでいたのだけれど、湿度のある暑さになれなくて。でも、皆、遠くから入学してきているのに、私だけ馴染めないなんてね」  朝ご飯は、ご飯と味噌汁、卵焼きと大根の漬け物だった。マリスの故郷は、芋が主食で、発酵乳を副菜にしている。故郷の北東草原では、冷涼なために稲が育たない。遠くの地域から買いつけてくる米は高級品で、白米は滅多に食べられないごちそうだった。学園に来てからは、米が主食の食事が出され、マリスは毎食おいしくいただいていた。それでも、なれない食事は負担になっていたのかもしれない。そんなことを考えながら、味噌汁の碗を口につけた。碗がぐっと持ち上げられ、勢いよく汁がマリスの口腔に流れ込んできた。飲みきれずに、ゴホゴホとマリスはむせ込んだ。 「大丈夫?」  むせ込みながら、ハンカチで口をおさえる。頭の中で、ごめんねと謝る声がした。 (危ないから、私のペースで食べさせて。喉につっかえたら大変でしょ)  はいと、頭の中で返事がある。 (私が食べたものの味、あなたにもわかるの?) (うん、おいしいよ。たくさん食べたいの)  頭の中でかわいらしい返事があり、マリスはむせ込みながらも、思わず微笑んだ。 (一緒に美味しい物を食べられて、私も嬉しいわ。でも、気をつけてね)  顔をあげるとサラとミズホが心配している。大丈夫と伝え、マリスは箸を動かす。卵焼きを口に含んで、咀嚼する。そしてまた、むせた。マリスが噛んでいる途中で、あの人が飲み込もうとするのが原因だった。サラとミズホは、ますます心配する。 「ごめんなさい。まだちょっと調子が悪いみたい。部屋にもどって休むわ」  マリスは立ち上がる。送っていこうかと立ち上がるサラとミズホを制して、マリスは部屋に戻った。  部屋に戻って一人になると、途端に身体が重くなった。強い眠気に襲われて、マリスは倒れ込むようにしてベッドに横たわる。そのまま眠りに落ちると夢を見た。  少年が1人、畑に鍬をいれている。豆の畑のようだ。手伝おうとマリスはしゃがみ込んで、鍬ではとれない株まわりに生えた草を手で抜く。炎天下で、たちまち額から汗がふきだす。首に巻いていた手ぬぐいで汗をぬぐい、手元をみながら草取りを続ける。マリスにあたっていた日差しが遮られたので、顔をあげると少年がマリスを見ていた。少年がつくる影の中にマリスはいた。逆光のせいで、側にいるのに、少年の顔がわからない。 「きれいな指が汚れてしまった」  少年が発した声は、悲しげに響いた。自分の手元に目をやると、確かに指先は土で黒く汚れていた。 「洗えば落ちるわ」  抜いた草は、小さくやわらかく、指は汚れたものの傷つくようなことはなかった。マリスの指は、しじゅう編み物をするせいで荒れていた。土で汚れるぐらい、どうということもなかった。少年は、黙ってマリスの手元を見ている。マリスは、すっくと立ち上がった。 「あなたは、神楽で狼をまった人?私の中に入っているのは、あなたですか?」  少年は黙って頷いた。 「あなたは、ここで生きているのね。わかって良かったわ」  言って、マリスは微笑んだ。  そこで、目が覚めた。  トントン、トントン。部屋の扉が叩かれる音がする。マリスは起き上がり、扉を開けた。サラとミズホが立っていた。 「お昼ご飯の時間よ。食べられそう?」 「今まで寝てたから、すっかり良くなったわ。心配かけて、ごめんなさいね」 「本当に大丈夫?お粥にすることもできるそうよ。一度、お医者に診てもらった方がいいような気もするし」  お医者というミズホの言葉に、マリスの指先がズキンと痛んだ。 「大丈夫よ。お医者にかかるような類いのことではないわ。お腹も減ったし、食堂で一緒にいただくわ」  マリスはそう言って、部屋を出る。3人で連れ立って、歩き出す。 (あなたのことは、誰にも言わないから大丈夫。だから、このまま一緒にいてね)  あなたが安心したのが、マリスにはわかった。  授業を受けている間やサラとミズホと過ごしている時間は、あなたは気配を消しているので、マリスの中にあなたがいることに気がつく人はいなかった。日中は、あなたもあの少年の身体で、畑仕事をしたり、神楽舞の練習をしたりして過ごしているらしかった。  夜になるとマリスは編み物をした。窓を開けて、夜風を部屋に入れ、晴れた夜は月明かりで、雨の夜はランプを灯して編み物をした。  マリスが部屋に1人で編み物をしているうと、あなたの気配は強くなった。マリスに寄り添い、じっとマリスの手元をみつめている。マリスは黙って手を動かす。スカートの真ん中に座り込んで編んでいると、すっぽりと青い布にくるまれているようになる。2人で1枚の布にくるまれて、安心している。そんな風に編み物をするのは、幸福なことだった。 「夏至祭りには、リュウノヒゲで編んだ根付けを奉納して、大祓の日は、茅の輪を奉納するんですって。茅の輪を腰に下げると厄除けになるんですってね」  細くまっすぐに伸びた茅を摘みながら、サラはマリスとミズホに言った。  草原に出て、女学生達が草を摘んでいる。夏越しの大祓に奉納する茅の輪を作るためだ。厄除けに腰に下げる茅の輪で、掌に収まるくらいの大きさの輪をつくる。茅の輪を束ねて結わえて作るから、根付けよりも簡単だと、サラは機嫌よく手を動かしている。 「大祓の日には、また神楽があるみたいね。楽しみね」 (見に来てね)  あなたの声に、マリスはこっそりと手を止めて微笑む。 「宵祭りもあるんでしょ。浴衣を着ていきましょうよ、3人で」 「私は浴衣持ってないから、制服で行くわ」 「制服は駄目よ。お洒落して行きましょう。マリちゃんの編んでいるあの衣、スカートとしてならもう編み上がっているんでしょう。あれをはいていけば良いじゃない」  マリスは絶句した。あの衣を身につけるだなんて、思ってもいないことだった。 「成人の式典まで、着てはいけない決まりでもあるの?」 「そんなことはないけれど・・・」 「じゃあスカートにして、着てみましょうよ。」 (着てみせてよ)  あなたの声に、マリスは頷いていた。サラとミズホが歓声をあげた。  思ってもみないことばかり起こる。そんなことを思いながら草を摘む。 (もうすぐ会えるね)  マリスは笑っていた。嬉しさがじんわりと身体中に広がっていた。  部屋に戻り、編みかけの衣を身体にあててみる。腰の高さに編み針をあてると、裾はくるぶしまで届いた。裾はひきずる長さにしようと思っていたけれど、外を歩くには、くるぶしが見える丈にとどめた方が良さそうだ。スカートはこれでいいとして、上は何を着よう。 (かわいい)  顔をあげると、マリスの姿が窓に映っていた。勝手に右手が持ち上がり、手が振られ、マリスは笑っていた。いつのまにか日が落ちて、空が暮れなずんでいる。 (神楽を舞うよ。これを着て、見に来てね)  腕にぎゅっと力が入り、抱きしめられているような気分になる。マリスは、心の中で返事をして、目を閉じる。  森の中を手をつないで駆けていく2人の姿が見える。先を行くのがあなたで、手を引かれついていくのが自分。  マリスは目を開ける。窓に映る自分は、1人で部屋に立っている。  何もかも捨てて、あなたと2人で生きていく。そんなことができるんだろうか。そんな日が来るのだろうか。  考えるのをやめて、マリスはベットに横たわった。  暑さに目が覚めた。ぐっしょりと寝汗をかいていた。この暑さでは、眠れそうもない。手探りでマッチを擦り、ランプに火を灯す。窓を開けると、部屋の空気が動く。それでも暑さはやわらがず、眠れそうもなかった。椅子に腰掛けると、あなたがぴたりとマリスに寄り添った。 (起こしてしまったのね。ごめんなさい) (まだ寝ていよう) (暑くて眠れないわ。編み物の続きをしましょう) (嫌だ。寝よう)  1人で眠ってくれたらいいのに。マリスは嘆息した。 (編み上げてしまわないと、大祓の日に着ていけないのよ) (すぐに編めるでしょ。朝が来てからやってよ)  至極真っ当なことを言われ、マリスはそれもそうだな、と思った。窓は開け放したまま、ランプの火を消してベッドに横になる。ほどなく、深い眠りが訪れた。  開け放した窓から光が入り、マリスの顔を照らした。眩しさに目を覚ましたマルスは、起き上がると編み棒を手に取った。ぐるりと一周、閉じ編みをしていく。ほどなく編み上げて、編み棒をはずし、衣を持ち上げる。ストンと長いスカートになった。麻で編んだ裾飾りに重さがあるため、下に引っ張られて縦に伸びているような気がする。はいて腰にあててみると、裾飾りは床につき、引きずるような格好になった。 (もっと上にしてみて)  胸の下であててみると、スカートの裾が床を離れた。 (もっともっと上。)  マリスは手元で、衣を折り返し、裾をあげる。裾が膝下に来た頃合いで、(そのくらいがいいんじゃない)とあなたの声がした。  外歩きをするならば、このくらいの丈が確かに動きやすそうだった。けれど、もともと正装として編んだ衣なので、重たい印象を受ける。実際に重さもあり外出には向いていない気がした。そんな風に思いながら、スカートをベッドの上に広げる。上に着る者をどうしようかと、紺色のジャケットを置いてみる。カッチリとしすぎて、しっくりこない。それにどう考えても、暑苦しい。  衣紋掛けから、白いブラウスをはずし、スカートの上に置いてみる。ジャケットをあわせるよりは涼しげで、無難な印象をうける。 「私の持っている洋服の中では、これかしらね」  声に出してみたが、返事がない。頭の中であなたは考え込んでしまった。  しっくりこないのもわかるけれど、もうこれ以上の着回しはない。今から、上衣を編み上げる時間など、もっとない。  嘆息と共にマリスは提案する。 「皆に相談でもしてみますか」  呟くやいなや、マリスの身体はきびすを返し、大股で歩き始めた。土踏まずまで床につけて、力をいれて歩く。これはマリスの歩き方ではない。あなたの歩き方だ。呆気にとられている魔に、サラの部屋の前につき、コンコンと大きな音を立てて、扉を叩いた。やや間があって、薄く扉が開き、寝間着姿のサラが顔をのぞかせた。 「どうしたの?こんな朝早く」 「朝早くにごめんなさいね。スカートが編み上がったものだから、見て欲しくて」 「まぁ、すぐ行くわ。ミィちゃんもよんでおいて」  言うなりサラは、バタンと扉を閉めた。  サラとミズホがマリスの部屋にやってきて、ベッドの上に広げたスカートを試す眺めつしはじめた。身につけてみないとわからないと言われ、マリスはスカートを胸の下の位置で紐で結わえてはき、その上からブラウスを羽織った。裾飾りが、マリスの脛にシャラシャラと触れる。 「うん、いいんじゃない」 「もう少し装飾品があるといいんじゃないかしら。首のところか胸元か。髪飾りでもいいけど、なにかないかしら」 「装飾品は、あまり持っていなくて」 「私のを貸しましょうか。珊瑚の飾りはどう?」 「珊瑚ね。赤系ではない方がいいと思うわ。金色か銀色。それからやっぱり青い色だわね」 「じゃあこれは?これがいいんじゃない」  サラが机の上に置いてあった青い紐を持ち上げた。マリスが亜麻で編んだ紐だ。五弁の花を先端に編んで、そこから平紐に編んでいる。教科書を結わえたりするのに、普段使いしている紐だった。  ミズホが紐を受けとり、マリスの首にかけて結ぶ。 「とてもいいわ。青がしっくりくる」 「まっすぐな装いね。しゅっとしてるわ」  サラの言葉に嬉しくなって、マリスは微笑んだ。 (かわいいね。もうすぐ会えるね)  あなたの声が頭の中でした。マリスはますます嬉しくなった。  大祓の朝は、雲ひとつなく晴れ渡った。暑くなる前に、茅の輪をくぐろうと、マリスたち3人は、朝の内に神社に向かった。風はひんやりと涼しく、肌に心地よかった。マリスは編み上げたスタートをはき、ミズホは紺地の葵の浴衣、サラは赤い朝顔の浴衣を着ている。参道を行く人は、3人の他になく、鳥居をくぐり階段をあがると社の前に茅の輪が立っているのが見えた。 「すごく大きいのね」  サラが感嘆の声をあげ、3人は茅の輪の前で立ち止まった。 「ミィちゃん、お手本を見せて」  うながされて、ミズホが1歩前に進み出た。振り向いて、サラとマリスに言う。 「左回り、右回り、左回りで3周して、向こう側へ。心の中で『祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ』と唱えながらね」  ミズホは正面を向き、一礼すると茅の輪をくぐる。左、右と8の字をかいてまわり、もう一度左にまわってから、向こう側へ。茅の輪の向こうで、ミズホは振り返り笑った。 「お先にどうぞ」とうながされ、マリスは茅の輪の前に立つ。一息吐き、朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。茅の輪を見て、頭を下げる。頭をあげて、背筋を真っ直ぐにして、心の中で「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」と唱えながら、左足で茅の輪をまたぐ。茅の輪の左へまわり、正面に戻って礼をする。右足で茅の輪をまたぎ、右へまわって正面に戻り礼、左足で茅の輪をまたぎ、左へまわって、正面で礼。そして、左足で茅の輪をまたいで向こう側へ。微笑んでいるミズホの横に立ち、ふりかえってサラに微笑みかける。  サラは神妙な面持ちで、茅の輪の正面に立ち、お辞儀をして茅の輪をくぐる。俯いてゆっくりと3回、茅の輪をくぐり、こちら側に来た。3人並んで、うなずき合う。 「さぁ行きましょう」と、ミズホが歩き出す。サラに続いて、マリスが足を踏み出したとき、頭の中であなたの声がした。 (よかったね)  マリスは少し顔をあげ、微笑んだ。朝の空は薄く青く晴れ渡っている。  神楽が始まるまで、時間があるので、3人は東屋で過ごすことにして、裏参道を下っていた。道沿いに、紫陽花が咲いている。マリスは足をとめ、紫陽花に顔を近づけた。匂いはない。なんとはなしに野趣を感じ、マリスは紫陽花を眺めた。そうしてたちどまっていると、サラとミズホが戻ってきて、横に立った。 「紫陽花、マリちゃんの国には咲かないの?」 「咲くには咲くけど、こちらから持っていったものだから、こんなに見事には咲かないわ」 そうなの、と相づちをうっって、サラは額紫陽花の花をプチプチとちぎった。そして、その花をマリスの髪に挿す。マリスは驚いて、身体をこわばらせた。サラはかまわずに、もう一輪、花をちぎると、マリスの首にまいた飾り紐の結び目に挿した。 「かわいくなったわ」  満足気にサラが笑う。ミズホが同意した。 「青いスカートにもあうわね。ほら、素敵よ」  巾着から手鏡を取り出してミズホはマリスに手渡した。マリスは鏡に映る自分を見た。首もとで紫陽花が揺れている。耳の後ろに、髪に挿した紫陽花の青い花びらがちらりと見える。 (かわいいね)  あなたの声がして、マリスは微笑んだ。    東屋にも人影はなく、3人はゆったりと座り込んだ。それぞれに水筒をだす。マリスは一口麦茶を飲んで、ふーっと息を吐き。ハンカチを顔にあてる。そのまま背もたれに身を預けた。 「暑そうね、マリちゃん」 「蒸し暑いって経験がなくて。なかなか身体が馴れないの。ごめんなさいね」 「謝ることはないわ。神楽を見ている間に倒れたりしては大変だもの。しっかり水分をとって、休み休み参りましょう」  それから3人は、しばらく黙って東屋で風に吹かれていた。梢を渡ってくる風が心地よく、汗は次第にひいていった。遠くから鳥の鳴く声が聞こえてくる。 「ねぇ、今日の神楽って、どんな謂われがあるの?」 「夏越しの大祓よ。神様が汚れを祓ってくれるっていう、大祓詞【おおはらえことば】を舞うんだって聞いたけど」 「それはどんなお話?教えて」  サラがせがむとミズホは、マリスの方を見た。マリスも話を聞きたいと、目をあわせると、ミズホは話し始めた。 「高天原【たかまのはら】に神留【かむづ】まり坐【ま】す。  神代の昔、八百万【やおよろず】の神々が幾度も集まって話し合いをして、『豊葦原【とよあしはら】の瑞穂の国を安らかに平和に治めなさい』とスメミマノミコトに託されたの。豊葦原の瑞穂の国には、荒ぶる神々が沢山いたから、説得したり払ったりして、国が静まったのをみはからいスメミマノミコトは、この地に降臨されました。そして、立派な御殿を建ててその御殿にお籠もりになって、この国を平和な国としてお治めになりました。これから生まれくるたくさんの人々は知らず知らず罪を犯したり、過ちを犯すでしょう。その時は償って、祓い清めなさいとおっしゃられたのよ。以来、夏越しの大祓のHには、知らず知らずに犯した罪や過ちなどの汚れを祓うの。『祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ』」  話し終えるとミズホは手を合わせて目を閉じた。マリスとサラも倣って、目を閉じ、手を合わせる。  静けさに包まれる。誰の声もないけれど、マリスはあなたがここにいるのを感じていた。  太鼓が激しく打ち鳴らされ、つんざくような笛の音と共に荒ぶる神が登場した。草を踏みにじり、木々をなぎ倒す。人々に石を投げつけ、尻をたたいては舌を出す。頓狂な振る舞いに人々は呆け、天の神はなだめすかす。荒ぶる神は破壊をやめない。力に突き動かされ、滅茶苦茶に動き回る。激しく動き回る最中、荒ぶる神がマリスを見た。民衆の中に立つマリスを真っ直ぐに見た。荒ぶっていた心が突如、静まった。世界に静寂が満ちた。荒ぶる神が去り、白く輝く衣をまとった神様が、世界の真ん中に降りてきた。  マリスは神楽を見ていた。浴衣を着たサラとミズホに挟まれて、青いスカートをはいて、白いブラウスを着て立っていた。たくさんの人々が皆、神楽を見ていた。  マリスには、荒ぶる神があなただったことがわかった。あなたがマリスを見つけたこともわかった。人混みにまぎれて立っていたので、マリスが編んだスカートは、あなたからは見えなかっただろう。首に巻き付けたマリスが編んだ青い紐、それから、サラが挿してくれた紫陽花は、見えたかもしれなかった。  マリスは指で、首に巻いた紐に触れる。麻の手触りがする。  私は、美しい物を創り出して、あなたにみせてあげたい。美しい衣を編み上げて、それをまとって、あなたに会いに行きたい。  人混みに立ちつくし、目では優雅に舞われる神楽を追いながら、マリスはそんなことを考えていた。ぎゅっと手を握る。麻紐の固い手触り。 (会えて良かったね)  あなたの声が聞こえた。  神楽が終わると、マリスは1人で寮に帰り、部屋に籠もった。  高くなる太陽に、外気は暑さを増してきており、これ以上、外にいると暑さに倒れてしまうかもと不安になったからでもあったが、なにより、部屋で休みたかった。  仰向けに寝転がり目を閉じる。  スカートははいたまま、結わえていた紐をほどいた。呼吸が深く出来るようになり、楽になった。そのままマリスは眠りに落ちていった。 どのくらい寝たのだろうか。サラの声に目を覚ました。 「マリちゃん、お団子買ってきましたよ」  返事をして、スカートを紐で結わえ、起き上がる。ドアを開けると、サラとミズホが立っていた。サラは竹皮の包みを手にさげ、ミズホは白い浴衣を腕に抱えていた。 「今夜、マリちゃんが着る浴衣よ」  部屋に入りながら、ミズホはマリスに浴衣を渡した。 「浴衣があったら、マリちゃんも夜のお祭りに行くだろうって、ミィちゃんがお家から取り寄せたのよ」  マリスは驚き、無言で手元の浴衣に目を落とす。ナデシコが青く染めぬかれている。 「夜には、提灯が飾られた櫓【やぐら】が建つのよ。少しは涼しくなるだろうし、楽しいわ。一緒に行きましょう」  屈託なく言われ、マリスは声を出して笑った。 「そうね、楽しみね。浴衣、ありがとう」  サラとミズホが顔を見合わせて笑い、3人は、まずは腹ごしらえと、団子の包みをほどいた。  十三夜の明るい月が昇った。櫓は広場の真ん中に組まれ、ぐるりと人が取り囲んでいる。櫓には、たくさんの提灯がぶら下がっている。マリスたち3人は、みあげると櫓と月が一直線に並んで見える場所に陣取った。ジメッとした空気と、人いきれ。日が落ちて涼しくはなったとはいえ、マリスの額からは汗が流れた。はき慣れない下駄の鼻緒が足の指の付け根に食い込んで痛む。足の痛みに耐えながら、見上げていると、ドーンどーんと、太鼓が鳴り、櫓の上にゆらりと人影が立った。そして歌が聞こえてきた。  水無月の 夏越しの祓 するひとは 千歳の命 延【の】ぶというなり  思う事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓へつるかな  宮川の 清き流れに 禊【みそぎ】せば 祈れることの 叶わぬはなし  朗々と歌い上げられたあと、お囃子が始まった。笛に太鼓に鉦【かね】の音。にぎにぎしくも大地を震わすような拍子に、マリスの身体は自然に揺れた。気がつくと、櫓の上で提灯が揺れている。囃子にあわせ、誰かが持ってゆらしているらしかった。  あぁああああ あぁああああ  櫓の上から、人の声がした。提灯を持って櫓の上に立っている人が歌っていた。いや、月に吠えていた。  おぉおおおお おぉおおおお  繰り返される叫び。  マリスにはわかった。櫓の上で、叫んでいるのがあなただと。マリスの心に住んでいるあなた。あなたは、この世に存在して、今、こうして生きて叫んでいるのだ。  マリスは凝視した。月と提灯の明かりだけでは、到底この場所からあなたの顔は見えない。けれど、あなたがマリスを見ていることがわかった。月に叫ぶ度に顔をあげ、叫び終えればあなたの瞳はマリスをとらえる。  マリスは揺れていた。あなたも揺れていた。祭り囃子にあわせて、同じ拍子で揺れていいた。  朝日が投げる光を受けて、マリスは目覚めた。身体が火照っていた。昨夜の祭りの熱気が、身体の中にまだ残っているようだった。  立ち上がって窓を開ける。朝の空気が風になって部屋に入ってくる。 (おはよう)  頭の中であなたの声がした。  マリスは、あなたが自分の中にいることに微笑む。 「おはようございます。今日もいい日にいたしましょう」  小さな声で言って、マリスは腰掛けた。今日もあなたと一緒の一日が始まる。その喜びをかみしめながら。
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