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次の日、私は昼休みにエイミーを誘った。
「一緒にお弁当食べよう」
いつも一緒にお弁当を食べているクラスメイトも黛たちも、ほとんどかかわりのない男子たちでさえもざわついていた。しかし、それ以上にエイミーが驚いている。
「いいんですか? 愛さん」
「うん。あと、呼び捨てで良いよ」
周りにどう思われようと関係なかった。私はエイミーと友達になりたかった。
多少の言葉の壁は飛び越えていけると信じていた。私もほんの少しは英語が話せるので、頑張れば伝わると思いたかった。しかし、心配するまでもなくエイミーは日本語が日常会話レベルであれば問題なかった。しかし、可憐な外見に似合わず、敬語をやめた彼女は古風な男性のような口調だった。
「エイミーは日本語上手だよね」
「日本人の恋人に教えてもらったから。少し男性的な口調で恥ずかしいが、気にしないでくれると嬉しい」
エイミーは美人だ。だから、恋人がいるのは極めて自然なことだが、それを知った途端に彼女が艶やかかつ大人びて見えた。失恋したばかりの私には少し羨ましくも感じた。しかし、恋人のことをいきなり根掘り葉掘り突っ込むのはひどく無礼なことに思えたので、なんとなく避けた。
エイミーは音楽の話題を好んだ。
「愛はクラシック以外だとどんな音楽を聴くんだい?」
「NEIROとか。聴いてもらった方が早いかも」
スマホに繋いだイヤホンを片方エイミーに渡した。NEIROは音声合成ソフトだ。多くの人が、自作曲をNEIROというキャラクターに歌わせて色々な動画配信サイトに投稿している。21世紀日本の音楽文化の重要な一角といって差し支えない。早速、一番好きな曲を流した。
「ほう、興味深いな」
エイミーはとても強く関心を持ったようだった。私は次々と、再生リストの音楽をかけた。好きな物を共有できて嬉しかった。
エイミーと過ごすようになってから、学校は楽しい場所になった。文芸部にエイミーを誘ったが、「読み書きは苦手なんだ」と断られた。それでも、エイミーは
「愛が楽しそうに本の感想を話しているのは好きだ」
と優しく笑った。嬉しかった。今まで私の日記帳には陰鬱としたフレーズばかりが並んでいたが、春の朝の日差しのような明るい詩も書けるようになった。
ある日の放課後、エイミーは大事な話があると音楽室に私を連れて行った。エイミーはグランドピアノを弾き始めた。ヴァルシュミーデのピアノソナタ第1番。私はその音色に一瞬で心の全てを掴まれた。素人にも分かるほど、別次元の腕前だった。プロ並みどころか、以前行ったクラシックコンサートで演奏していたプロのピアニストよりも素晴らしい演奏だった。
「すごい……」
私は生まれて初めて感動という言葉の本当の意味を知った。
「300年もやっていれば誰でもこれくらい弾けるようになるさ」
「何そのジョーク」
「ジョークじゃない」
ピアノの蓋を閉じて立ち上がり、私に一歩近づいて告げた。
「私はヴァンパイアだ」
荒唐無稽なオカルトだが、ふざけた冗談やドッキリのような口調には聞こえなかった。作曲家ヴァルシュミーデの自伝にもあったが、ヴァンパイアというのはドイツでは何か別の物を指すのかもしれないと思い、確認してみた。
「ヴァンパイアって、吸血鬼?」
「そうだ。エヴァーハルトが自伝にいやに詩的な結びの言葉を書いていただろう。ヴァンパイアが後世に音楽を伝えると。あれは比喩でも何でも無くそのままの意味だよ」
地上に初めて舞い降りたいわば始祖のヴァンパイアは、古代ギリシアの芸術の神アポローンの手によって召喚された怪物ラミアーである。ヴァンパイアに血を吸われた人間もヴァンパイアになる。ヴァンパイアは不老不死であるが、日光を浴びると死ぬ。これらが私の読んだことのある本に書いてあったヴァンパイアの伝承だ。
「さすが、愛はよく知っているな。ヴァンパイアは、元々は芸術の神の使いだ。つまり、優れた芸術を後世に伝えること、そして長い時間を生きる利を最大限使い新たな芸術を作り出すことが、永遠の命を与えられたヴァンパイアの使命だ。芸術品はいずれ壊れるし、文字による伝承には限界がある。古代には今のようにカメラやCDなんてなかったからな」
私はその神話を奇天烈な与太話だと一蹴できなかった。彼女の言葉に色を塗るのならば神秘的な赤色なのだろうとぼんやりと思った。
「エイミーは300年以上前に生まれたヴァンパイアなの?」
「300年ほど前にヴァンパイアに噛まれた元人間さ。しかし、吸血のたびに増殖していては地上をヴァンパイアで埋め尽くしてしまう。ヴァンパイアは子孫を残せないから、人間をすべてヴァンパイアに置き換えてしまうのは問題があるだろう?」
どうみても可憐な14歳の少女にしか見えないエイミーは、まるでベテラン教師のように分かりやすくヴァンパイアが人間を新たにヴァンパイアにするための儀式について説明した。
遠い昔に神は4つの制約をかけた。1つ、ヴァンパイアが生涯で新たにヴァンパイアにできる人間はひとりのみ。2つ、その人間の血を全て吸い尽くさねばならない。3つ、その人間にヴァンパイアとして生まれ変わる意志がなければならない。4つ、新たなヴァンパイアを生み出すアポローンとの契約は歌によって行われる。前の3つについては理解できたが、4つ目は意味が分からなかった。
「遠い昔の、吸血鬼の詩にメロディを乗せて歌うんだ。その声が神に届き、神は亡骸をヴァンパイアとして甦らせる。この契約が出来る境地に達するまで200年はかかる」
ギリシア語で書かれたという吸血鬼の詩をエイミーが諳んじたが、その詩の意味は全く分からなかった。
しかし、これらの会話で分かったことがある。エイミーは自分の意志でヴァンパイアになったということだ。前提としてエイミーは嘘をついていないということはあるが、私はそれを疑いたくなかった。エイミーの言うことは全て信じたい。私はエイミーを親友と呼びたかったから。なぜヴァンパイアになったのかを、私は親友に尋ねた。
「18世紀は医療状態が劣悪だったため、兄が疫病で死んだ。兄の名前はもう忘れた。跡取りの兄を亡くした両親は、どうしてエイミーではなく兄が死んだのと嘆いた。私はいらない子だったらしい」
エイミーの両親の暴言に憤りを感じた。とうに死んでいる相手に、死ねば良いのにとすら思った。しかし、エイミー本人に対して感じたのは憐憫ではなく共感だった。仮に妹が明日死んだとしたら私も同じことを言われるだろうと薄々思っているからだ。
「自棄を起こした私は名前も知らないヴァンパイアに殺してもらおうとした。丘の上の屋敷に住んでいると噂があったから、半信半疑で行ってみたら見事会えたのさ。そして、彼に提案された。ヴァンパイアになって彼らに復讐したくはないかってね」
こうしてエイミーはヴァンパイアになった。しかし、エイミーをヴァンパイアにした第2の親のような存在である吸血鬼は今どうしているのかがとても気になった。
「彼はまだ見ぬ芸術を求めて世界中を旅しに言って行方知れずになった。屋敷は譲り受けたよ。彼は世界中の絵を見る時間を得るためだけにヴァンパイアになった生粋の芸術狂いさ。そういう人種しかヴァンパイアになってはいけないのかもしれないな。私みたいに、人の愛を欲している人間には向いていなかったよ。私は結局両親を殺せなかった。兄の100分の1でいいから愛されたかっただけだったから」
エイミーの痛みを思い、涙が溢れた。エイミーの手を強く握った。
「何で愛が泣くんだい?」
「だって……」
「やっぱり愛は優しい。君は私が怖くないのか? 私はヴァンパイア、人間を簡単に殺せる力があるのに」
私はそのような発想には至らなかった。友情とは対等であるということだ。いつでもお互いを殺せるが殺さないという選択をする関係こそが究極の信頼であると思っている。
「いつでも殺す機会はあったでしょ? それに、エイミーは親を殺さなかったんでしょ?」
彼女の“生”を否定した親。彼らに復讐するために人としての“生”を捨てることを選びながらも結局命を奪えなかった彼女は優しい人だ。
「でも、私は恋人を2度殺した」
「それでも、怖くないよ」
私は握り締めた彼女の手を離さなかった。
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