愛を望む

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「エヴァーハルト・ヴァルシュミーデは私の初めての恋人だ」  彼がヴァンパイアの真実を知っていたことに合点がいった。そして、エイミーが彼の曲について強いこだわりを持っていた理由にも納得がいった。まだピアノが現在の88鍵の形になる前の時代、ヴァンパイアになったエイミーは少年エヴァーハルトと出会った。二人は恋仲になり、エイミーは彼からピアノを教わった。ヴァンパイアであることを告げても、彼は離れず、エイミーは少女の姿のまま二人は長年連れ添った。年をとらず長時間日の光に当たれないエイミーは屋敷に身を隠し、エヴァーハルトが自らの血をエイミーに分け与えることでエイミーは生活していた。  エヴァーハルトは最期まで芸術家であった。死の目前、床に伏した彼はエイミーに自分をヴァンパイアにしてくれと願った。エイミーは彼の全身の血液を吸い尽くし、吸血鬼の詩に旋律を乗せて歌った。しかし、当時未熟なヴァンパイアであったエイミーの歌は、アポローンには届かなかった。 「夢半ばの彼をこの牙で殺した感覚は200年経った今でも覚えている。力が及ばないことは分かっていた。それでも二人で永遠に生きる夢を見たかった」  何十年も彼の面影を追い続けた。自分を責め続けた。それでも癒えることはなかった。ピアノが現在の88鍵のものになった頃、ドイツに留学していたひとりの日本人男性と出会った。彼の名は黛清三郎。独りぼっちの屋敷に迷い込んだ彼と恋に落ちた。日本人の血はドイツ人の血に比べて遥かに芳醇だったという。 「簡単に次の恋人を作った私を軽い女だと思うだろう?」 「思わないよ」  エイミーは日本語を清三郎から習った。清三郎は社会的には行方不明扱いとなったが、エイミーと清三郎は添い遂げていた。清三郎も死の間際に自分をヴァンパイアにしてくれと頼んだ。エイミーは清三郎の血を飲み干した。吸血鬼の詩に乗せた旋律は今度こそアポローンのお眼鏡にかない、見事神と通じた。しかし、いつまで経っても清三郎は目覚めなかった。エイミーは清三郎の遺書を発見した。 「私は永遠の命を生きることに耐えられそうにない。生涯で唯一愛した女性の手によって死にたくて嘘をついた。君を騙してすまない」  遺書にはドイツ語でそう書いてあったそうだ。随分と身勝手な男だ。私ならばそんな騙し討ちみたいなことはしないのに。私ならヴァンパイアになる道を選ぶのに。 「君に想像できるか?いくら誰かを愛しても失い続けるんだ。愛した人は必ず自分より先に死ぬ。その痛みを抱えて何百年も何億年も生き続けるんだ。死のうとして真夏の直射日光の下で何日も佇み続けたけれど、皮膚と一部の内臓が溶けただけで死ねなかった。治癒するまで10年余計に苦しんだだけだった」  人は皆、1度は不老不死に憧れたことがあるかもしれない。しかし、その実態は想像を絶する物だった。聞いているだけで体温が2度下がりそうだ。 「清三郎の面影を求めて、日本に来た私は愛と出会った。君とは長い付き合いになりそうだから私が年を取らない理由を説明しておかないといけないと思った。でも、私は人殺しの化け物だから逃げたければ逃げればいい」 そんなの最初から答えは決まっていた。エイミーの手を強く握りしめる。 「逃げないよ。私はエイミーの友達だ! 私、エイミーが名前を呼んでくれて嬉しかった!」 「愛……君の名前は最初に覚えたよ。私も同じ名前の由来だから」 「同じ?」 「ラテン語で愛されるという意味さ。名前をつけた当の親は兄しか愛さなかったけれど」 「分かる! お前が愛せよって感じだよね」  エイミーは手を握ったまま少し考えて答える。 「長話をして悪かったね。私は愛の話も聞きたい」  エイミーの重厚な人生の話の後に私の薄っぺらな半生を語るのはいささか憚られたが、小さな失恋や複雑な家庭事情、学校生活の息苦しさを話した。誰かに言うのは初めてだった。 「エイミーの事情に比べると、全然大したことないけどさ。誰かに愛されたいなってずっと思ってるんだよね」 「苦しみに大きいも小さいもないだろう。愛はもう充分頑張ったよ」  エイミーは私の長い髪を優しく撫でた。 「私も帰り道で愛が話しかけてくれて嬉しかった。君のような人を親友と呼ぶのかもな」  涙腺が崩壊した。エイミーに抱きついて泣いた。初めて感じた人の温もりを永遠に手放したくなかった。
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