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「ねえ、黛清三郎さんって、黛清恵と親戚だったりする?」
気になったことを帰り道で聞いてみた。
「ああ、彼には子供がいないから直系ではないが遠縁の親戚さ。翻訳家の祖父君のことも知っているし、彼女に近づこうと思ったけれど、性格が清三郎とは似ても似つかなくて驚いたよ」
「確かに」
「長く生きていると多少言葉の意味が分からなくても、悪意も好意も空気で分かるものだな。彼女とは友達にはなれそうにない。でも、いくら遠縁とは言え愛した男の面影が残る人間が性悪だとショックなものだな」
エイミーは苦笑した。
「私がもし、清三郎の子を、あるいはエヴァーハルトの子を産むことが出来たとしたら、その子はどんな子に育ったのだろう」
遠い目をしながらエイミーは自らのお腹をさすった。
「愛は自分の子供が欲しいと思うかい?」
両親の愛を知らない私がまともな親になれるだろうか。まったく自信がない。しかし、去年までの私は確かに白木沢先輩との間に将来は温かい家庭を築きたいと思っていた。
「好きな人との子供だったら、私でもちゃんとお母さんになれるかな」
「愛ならなれるよ。私はそう信じている」
エイミーと心が通じ合った私は、エイミーを自宅に呼んだ。自宅に友達を呼ぶのは初めてだった。勉強机の鍵付きの引き出しから日記帳を取り出す。
「エイミーになら何でも話せるから」
今までに書いてきた詩を見せた。ところどころ読めない漢字があると言うので、朗読した。
「愛はすごいな、詩が書けるなんて」
「いろんな国の言葉がしゃべれて、ピアノも弾けるエイミーの方がすごいよ。私、昔アメリカにちょっとだけいたんだけど、英語下手だもん」
「話せるだけさ。愛も70年ドイツ人と付き合えば、日常会話くらいは出来るようになるよ。でも、読み書きすること、ましてや芸術作品をその言語で作るというのは途方もなく難しいことだ。私に今いきなりドイツ語で詩を書けと言われても書けないよ。300年は生きているけれど」
エイミーが、私の詩の一節にメロディをつけて歌った。その瞬間、私の綴った文字には命が吹き込まれた。私の心臓が高鳴った。その鼓動に、今までの人生で一番強く「生」を感じた。
「素敵……」
「ヴァンパイアの性だよ。優れた詩には旋律をつけたくなる」
「嬉しい。ねえ、もう1回歌って」
エイミーは、今度は詩の最初から最後までにメロディをつけて歌った。とても心地よかった。
「今の、すごく好き」
「それはよかった。そうだ、この歌を愛が好きだと言っていたNEIROに歌わせることは出来るかい?」
エイミーは日本の音楽文化、特に人口に膾炙した合成音声ソフトに興味を持っていた。
「たぶん、やり方調べれば」
「この歌を遠くのどこかや、未来にも届けたいんだ」
夢中でNEIROの使い方を調べた。ソフトを購入した私たちは、試行錯誤をしながら、NEIROにエイミーの作った曲を歌わせた。夏休みになって、ようやくまともな調声に成功した。NEIROが歌う音源に、エイミーがピアノを演奏した生音の伴奏音源をミックスした。
完成した音源は私の人生観そのものをひっくり返すほどの出来映えだった。それを一枚の静画に歌詞が流れるだけのmp4ファイルに変換して動画サイトに投稿した。独創的なメロディと圧倒的技巧のピアノ伴奏が各種SNSで話題になり、あっという間に8万再生を記録した。この数字は、一般的には奇跡と呼べる。
「やったあ! バズったよ!」
「バズった?」
「インターネットで話題になるってこと!8万人が私たちの曲を聴いてるんだよ!」
「それはすごいな。私も一人前のヴァンパイアに少しは近づいたのかな」
ヴァンパイアの使命は、過去の音楽を伝えることと新たな音楽を作ること。エイミーはその本能に従って生きている。
「また愛の詩に曲をつけても良いか?」
「うん、もちろん!」
願ったり叶ったりだった。私の言葉がエイミーの手によって鳥のように遠いどこかへ羽ばたく翼を得る。なんて素敵な物語なんだろう。
私の世界はエイミーと出会って広がった。青いプラスチックの安物の地球儀が、サファイアとエメラルドの結晶へと変わるように私の世界は色づいた。
「これからもよろしくね、相棒」
私はエイミーに握手を求めた。
「相棒?」
「同じ使命のために生きる片割れのことだよ」
「そうか、良い響きだ」
エイミーは私の手を握り返した。
処女作のタイトル『愛を望む』にちなんで、私たちはリスナーから「リーベP」と呼ばれるようになった。リーベとはドイツ語で愛という意味である。
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